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2017.08

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11/08のツイートまとめ 

boukenkyuu

狭間筒も野戦用の土塁や竹束越しに利用された例は無いのかどうかだが
11-08 10:05

http://t.co/NDf5p0lpTo >明軍の防具は鉄製のため守備力があり、槍も日本刀も通じにくかった。一方、懲毖録は碧蹄館の戦いにおいて切れ味の鈍く短い刀しか持たなかった明の北方騎兵が、三~四尺の刀を持つ日本軍の歩兵に人馬の区別なく斬り倒されたとも記録している。
11-08 10:11

https://t.co/P8lQttdrur 左の続きだが http://t.co/jGaJMSAMvE 明歩重装歩兵の甲冑は左の様な小札鎧だが 打撃を吸収出来る物なのかだろうし 騎兵は中央左の様な鎖鎧だろうから 槍や刀には脆かったと言う事だろうか
11-08 10:13

https://t.co/FbkP9pNaIj 左の続きだが >懲毖録は碧蹄館の戦いにおいて切れ味の鈍く短い刀しか持たなかった明の北方騎兵が、三~四尺の刀を持つ日本軍の歩兵に人馬の区別なく斬り倒されたとも記録している。  日本軍歩兵の刀は 徒武者以外の物も含むのかだが
11-08 10:16

https://t.co/590m4HCNOP 左の続きだが http://t.co/jD36HqlkwD 左に有る様に スイスのクロスボウ・銃兵はバスータードソードで槍を切断していたと言うが 日本の弓・鉄砲足軽に 同程度の白兵戦能力は有るのかどうかだが
11-08 10:21

http://t.co/NDf5p0lpTo 朝鮮水軍は火器や弓を使っての遠戦指向だったが、朝鮮の火砲は射程が64m〜160mと短く[81]、朝鮮の艦隊が日本船からの火縄銃・弓矢などによる反撃の射程外から日本船を撃破できたわけではない。
11-08 10:39

https://t.co/ArcImZfCGs 左の続きだが 160m先の小型の関船に 砲が果たして当てられたのかだが 日本の狭間筒も 10cm程度の盾板を貫通するのは 100mでは無理な可能性も有る訳だろうか
11-08 10:40

http://t.co/JDBxC45DS0 >本来の日本の火縄銃の用法は、西洋における戦列歩兵による弾幕射撃とは異なり狙撃型のものであり、射撃開始距離も1町(約109メートル)程度であったとされるが、朝鮮においてはより遠距離からの射撃戦が行われる傾向にあり、
11-08 10:48

https://t.co/VUXcDOJtQV 左の続きだが 鉄砲足軽が100m先の敵を果たして 狙撃可能なのかどうかだが 騎馬武者や徒武者なら 可能なのかどうかだが
11-08 10:49

http://t.co/gMcTmUZivN >朝鮮の同時代史料である懲毖録には「弓矢の技は百歩に過ぎないが、鳥銃はよく数百歩に及び、(中略)とても対抗できない」(東洋文庫版283頁)とある。(当時の朝鮮の歩は約118cm)
11-08 11:03

https://t.co/wo2j9aKgH5 … 左の続きだが 日本の火縄銃の射程が 最低でも2百歩(240m)等と言うのは 果たして現実的なのかだが この距離で当てられる者は騎馬武者でも少数では無いのかだが
11-08 11:05

https://t.co/z9jeq1MqMU 左の続きだが 装填を他の者に任せて発射速度を速めたとしても 数発程度なら敵に対する威嚇にも成ったのかだが 島津軍の様に大将でも狙撃すればどうなのかだが 200m以上からの狙撃でやられた明・朝鮮の将軍は居るのかどうかだが
11-08 11:19

日本の足軽も一部陣笠だけに軽装化されたと言うが 騎馬武者や徒武者の装甲は依然有ったから 此れに対応して火縄銃は小口径化しなかったと言う事なのかどうかだが
11-08 11:39

http://t.co/gMcTmUZivN >※加藤清正隊は他の隊にはある長槍が無く代わりに鉄砲を多く装備していた[要出典]。   等と有るが 槍足軽は全く居なかったのかだが 騎馬武者・鉄砲足軽や徒武者が 敵の長柄足軽に切り込んでいたのかだが
11-08 11:44

http://t.co/VHJT59eUPY >義昌は至近距離から鉄砲を撃つという基本に従い、約十間の距離で撃つようにしていた。  通常は十間(約18m)よりは遠くから 射撃をして居たと言う事なのかどうかだが
11-08 11:58

http://t.co/vPfKdsPmjy >秀吉が朝鮮出兵をしたころ、加藤清正が騎馬隊を作ったという話があります。 当時は鉄砲で敵に打撃を与えた後、突撃をするためには槍隊が必要でしたが 清正は槍隊を廃止、そのぶん鉄砲の密度を上げ、突撃部隊として騎馬隊を使ったそうです。
11-08 12:42

https://t.co/cDJ0E24DGM 左の続きだが 此れの出典は一体何なのかだが 騎馬武者も 下馬突撃をして居た可能性も有るのかだが 敵を大量の銃撃で混乱させた後 乗馬突撃した可能性も有るのかだが
11-08 12:44

https://t.co/8tHKTbYkNU >中西豪さんが、『真説・加藤清正』(歴史群像81号)で、朝鮮の役で、急拡大した自軍を、長槍ではなく鉄砲隊中心で編成させていて、その割合は65%(騎馬武者も馬上筒携行なので含めると90%超!)にもおよぶとあります。
11-08 12:49

https://t.co/CcvhMQ14HP 左の続きだが 清正の長槍足軽は果たして 0だったのかどうかだが
11-08 12:50

清正の騎馬武者が馬上筒を携帯していたと言う記述は 何処に有るのかどうかだが
11-08 13:02

http://t.co/ppMEsDtHXS >朝鮮出兵の加藤清正隊や関ヶ原の島津隊では、騎馬隊のほとんどが銃を装備しており、藩によっては騎馬隊が鉄砲を持つことを定めているものもあるようです。  此れが馬上筒であると言う記述は 有るのかどうかだが
11-08 13:04

http://t.co/sp1lNXBmMC >加藤清正隊に「馬上鉄砲」があると『常山紀談拾遺』にある。 等と有るが http://t.co/4qfWb7mwic 常山紀談拾遺は江戸中期の物である訳だろうか
11-08 13:10

http://t.co/uCh3ILyj4i >「常山紀談」に書かれている。それによると、「加藤家騎馬武者馬上鉄砲の事」と題して、清正の騎馬武者は、身分の隔たりなく、全て長さ50cmほどの火縄銃を馬上で構え、敵陣に迫ると発砲してから槍を入れた、とある。
11-08 13:14

https://t.co/zLiLuTK4KS 左の続きだが 江戸中期の常山紀談に 清正の騎馬武者が 全長50cm程度の馬上筒を使用したと言う記述が 有るのかどうかだが 此れの信憑性はどうなのかだが
11-08 13:15

http://t.co/NLRb88iXda >常山紀談拾遺 ◯同家騎馬武者馬上鉄砲の事同家にて大小身ともに騎馬は一尺三寸、或は一尺五寸の鉄砲を馬上に持ち、陣前にて打放し鑓を初るとなり。清正家中の老人後に咄せしは、馬上に火縄何とも難レ持者なり、といへり。
11-08 13:28

https://t.co/eR47prKdfK 左の続きだが 常山紀談拾遺を見る限り 清正の騎馬武者は馬上で全長最大45cmの馬上筒を 使用していたと言う事なのかだが
11-08 13:30

http://t.co/eASjvkyQYl >六年~八年(1578~1580年)にかけて行われた播磨三木城の攻防戦で、籠城していた別所長治方が平山合戦において羽柴秀吉方に対して馬上鉄砲を使用したと『別所長治記』に書かれている。
11-08 13:35

https://t.co/6UQm6IwE6Q 左の続きだが 別所長治記は http://t.co/gZqQpGcoqV 安土桃山期の物と言うから 別所長治の馬上鉄砲使用は 事実と言う事なのかだが
11-08 13:36

http://t.co/eASjvkyQYl >前田家が大坂冬の陣の軍役を記した『大坂出陣覚書』にも『馬上弓を五十騎』、『馬上鉄砲 五十騎』とある  等と有るが 大坂出陣覚書の成立年は 今の所見ない訳だが
11-08 13:42

http://t.co/A4fXnlGGFq >「別所長治記」ー天正七年二月、秀吉に攻められたとき、長治軍の百五十騎が馬上にて鉄炮を一度に打ち、秀吉方百五六十人馬より打ち落ちる。図①   別所長治の騎馬鉄砲も 150程度だったと言う事なのかだが
11-08 13:46

http://t.co/7u9FnMWivd >安土桃山~江戸前期の軍役状で見ると、騎馬武者の鉄砲装備率は結構高い。 文禄の役の加藤清正隊は、騎馬のほぼ100%が鉄砲を装備しているし、 江戸期になると騎馬武者の二人に一人くらいは鉄砲を持っている。
11-08 13:58

https://t.co/7gVQPOS7r4 左の続きだが 軍役状には騎馬武者用鉄砲の記述が有るのかだが 此れは馬上筒なのかだろうし 通常の銃を下馬時のみ発射していた可能性も有るのかだが 江戸期では騎馬武者の半数程度が 下馬して銃を射撃した可能性も有るのかだが
11-08 14:01

http://t.co/7u9FnMWivd >信長の播州征伐、平井山合戦では、 別所方の馬廻150騎ほどが10mほどの至近距離で馬上から一斉射撃し、織田方150~160騎ほどを射ち倒しているね。 ただ騎馬鉄砲という兵科ではなく装備の一つとして従者に持たせ、使い分けしていたようだ
11-08 14:30

https://t.co/lmSHvMiW0l 左の続きだが 織田軍は別所方騎馬武者が馬上から銃を撃つと知らずに接近し 至近距離で銃撃を受けたと言う可能性も有るのかだが 同様の戦術は以後 通用したのかどうかだが
11-08 14:32

http://t.co/rllnCTXaS4 >確かに朝鮮出兵のの軍役帳だと、加藤家の騎馬武者300騎ほど全員が鉄砲を装備している。   此れも馬上筒では無く 下馬して射撃する通常の銃かも知れぬが 10匁士筒で且つ 足軽より精度の高い銃である可能性も有るのかだが
11-08 14:42

http://t.co/vnLMvYUob4 >軍役状には基本的に投石兵科はないし、軍忠状や手負注文で石傷が見られるのって 攻城戦の場合がかなり多いから   攻城戦で余り出番の無い槍・旗足軽が 石を落としていた可能性も有るのかだが 野戦では誰が石を投げていたのかだが
11-08 14:47

https://t.co/UoyKlnU6oA 左の続きだが 一応刀を持つ武家奉公人が 石を投げていた可能性も有るのかだが
11-08 14:48

http://t.co/7u9FnMWivd >実際に馬上筒があり馬上射撃の教書もある以上 馬上から鉄砲を撃って戦っていた事実を否定することはできない。  とは言え此れは 戦国期の物なのかだが
11-08 14:53

http://t.co/7u9FnMWivd >『宇都宮高麗帰陣物語』には 朝鮮出兵時 「騎乗の者もそれぞれ小筒を持っていた」 と書いてある  と有るが 此れは何時成立の物かは今の所見ないが
11-08 15:01

http://t.co/5OXW2Z4vzG >鉄砲足軽の訓練を簡単だとか 戦国時代の軍役状じゃ鉄砲と一緒に熟練の放ち手も要求されてんのに 此れは 100m先等を狙撃出来るレベルの兵なのかだが
11-08 15:48

http://t.co/clTIK5CsW2 >幸村は、夏の陣の際にこの銃を携え、敵方の徳川家康を馬上から狙いながら銃を落としたため家康を撃てなかったと伝えられる。  此れが戦国時代に使用が確認されている 唯一の馬上筒なのかだが 家康を直接狙撃出来た可能性は 有るのかどうかだが
11-08 15:52

http://t.co/tHwMSqYQKM  >戦国時代で騎馬保有率No.1なのは南部だってみんな知ってるぞ。 南部なの? おりゃてっきり北条だと思ってたよ。 軍役状で2割ぐらいだったから。  騎馬武者の比率も 大概は1割程度なのかどうかだが
11-08 16:02

騎馬武者の銃も足軽より精度や威力が高いなら 下馬しての射撃としても可成り脅威と言う事は無いのかだが 10万の日本軍の内の1万の騎馬武者の半数5000が此れを効果的に運用すればテルシオ等はどうなのかだが
11-08 16:32

http://t.co/vDC0vcetvy >士筒(さむらいづつ) 弾丸重量が十匁程度のものを指す。威力は絶大だが非常に高価で、さらに銃身が長く重量も重く、   十匁士筒も銃身長は通常の六匁筒と同程度の 70cm程度の物が多い様に見えるが 精度は果たしてどうなのかだが
11-08 17:47

http://t.co/J1Qlyx9bIg >有名な米沢の鉄砲は十匁筒が多く、特徴的である。  騎馬武者では無く足軽用の十匁筒が有った可能性も有るのかだが 士大将の護衛の徒武者が使用した可能性も有るのかだが
11-08 17:53

装甲の薄いと言う明・朝鮮軍相手でも日本の騎馬武者は 大型の士筒を使用して居たのかどうかだが
11-08 18:03

士大将の護衛の徒武者は 島津軍以外では 銃を装備して居たのかどうかだが
11-08 18:27

http://t.co/9Wcg3byMc0 10匁士筒の演武等も 行われて居るのかだが 江戸期の銃は使用して居るのかだが
11-08 18:40

http://t.co/HZiBTzJhvf >士筒。十匁以上、二十匁以下の銃。ここまでくると、金と熟練度が必要になるそうです。   二十匁の士筒等も 有るのかどうかだが
11-08 20:25

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