11/01のツイートまとめ
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boukenkyuu
RT @hiro0725: 🎙️DHS :○ロナ🎙️【速報】『国土安全保障省(DHS) は、○ロナ の起源、○チン の有効性、人種的正義、アフガニスタンの撤退などのトピックに関する検閲規制を強化。』👁🗨 マスクによる○witter買収を受けて、DSは民間企業に対する「…
11-01 08:17RT @JC1oAxgs4D6D3kc: ハロウィン、ディズニー、閉鎖。そして、なぜこのニュースが【速報】なのか?🤔https://t.co/KWY5639Wxn
11-01 09:02RT @JC1oAxgs4D6D3kc: なんか起こってるかもですね。Twitterが正式にイーロンの手に渡ったと発表され、SNS全体に転機が来てる気はするのですが。https://t.co/Ul8vVUUXJ7
11-01 09:03https://t.co/a3Af91vpds 草摺が可也短い鎧が描かれるが 服の下に長い草摺が有り 胴部分が重ね着されている可能性も有るのかだが
11-01 09:23RT @hiro0725: 🎙️マスク:八面六臂🎙️【速報】アリゾナ州務長官候補のマーク・フィッチャムがTwitterをバンされた報を受けてジェネエリスが投稿、それを知ったイーロンマスクが直ぐに対処します。って、正に八面六臂の活躍。その後、フィッチャム氏のアカウントは復帰し…
11-01 09:24https://t.co/YZi204qbqY モンゴルの鎧に類似すると言う チベットの鎧も 鉄小札鎧でも草摺が短い物が有るが 銃の時代に軽量化された物の可能性も有るのかだが
11-01 09:43https://t.co/e2HEScoJkD 旗を持ちながら 剣で戦う兵も居たと言う事なのかだが
11-01 10:07https://t.co/w6vm27iYKn 左の馬鎧には護身鏡が 付いている可能性も有るのかだが
11-01 10:28ロスタムの馬鎧でも馬面が無いとすると 馬面の装備は地位とは関係は無い可能性も有るのかだが
11-01 10:34https://t.co/7ljRdGquLS 左側の騎兵は 赤い綿襖甲装備の可能性も有るのかだが 袖は小札製なのかだが
11-01 10:44
https://t.co/p0RcjQX6Ye 14世紀後期の絵の物では 元寇時に利用されたタイプでは無い可能性も有るのかだが
11-01 10:46左の綿襖甲らしき物の板金的な袖は上部しか無く 右側の人物も黄色い綿襖甲装備と言う事なのかだが https://t.co/BmPn7lC3Ya
11-01 10:58下の14世紀後期の絵だと 鋲が描かれる綿襖甲が有ると言う事なのかだが 袖は筒袖では無く 外側のみの物も有るだろうか https://t.co/AuabwUSmIW
11-01 11:31胸部に赤い布の有る鎧も 赤い布は鋲らしき物が描かれる物も有るし この部分は綿襖甲と言う事なのかだが 袖上部は板金の可能性も有るのかだが https://t.co/3mgF4yyOJW
11-01 11:4514世紀後期でもバズバンド(籠手)が兵にほぼ完備されている様な絵も有るが 現実の装備率はどうなのかだが 14世紀前期では有ったのかだが
11-01 11:52https://t.co/G2047PJmkL 14世紀後期オスマン朝のムラト1世が ビザンチンやバルカン半島を攻撃した際に 西欧的なコートオブプレートを利用していた兵に苦戦したから 此れを真似てバズバンド等の装甲が増し 此れの影響でイランの兵の装甲も増えたと言う可能性も有るのかだが
11-01 11:59一方で馬鎧の増加は 15世紀後期からと言う事なのかだが
11-01 12:00ニコポリスだと シパーヒのバズバンドの装備率は可也高ったと言う事なのかだが
11-01 12:04https://t.co/rxAQeAHCyU 1340年頃の絵の鎧の袖上部にも 護心鏡は有るだろうし 宋的な胸部の2つの護身鏡も有るだろうが このタイプは多かったのかだが
11-01 12:20https://t.co/LQ9MEWKypE 肩部の護身鏡だと 1330年の絵にも有ると言う事なのかだが
11-01 12:23https://t.co/oNfMZVhKq0 宋の騎兵だと 肩に加え 佩楯に迄護身鏡が有るが モンゴル兵の鎧には有ったのかだが
11-01 12:32https://t.co/yTUNR3pDVO ベルトで固定されている様にも見える護身鏡が南宋の絵だと有るが モンゴル兵は同様の物は利用していたのかだが
11-01 12:41https://t.co/ezp6QjpUs4 同様の護身鏡は 蒙古襲来絵詞にも描かれるだろうが モンゴル兵の物では無い可能性も有るのかだが
11-01 12:43https://t.co/QXQ29Ls4R2 イルハン朝の絵或いは以後の絵でも 複数の丸い鉄板らしき物が耳付近に有る兜も多いが 護身鏡が耳付近に装備された物と言う事なのかだが
11-01 12:46https://t.co/mR5eEBisyi 左の絵の様な房が付いたシコロなら https://t.co/EaABhyp1QG 1300年頃の絵にも有るが 高位の騎兵のみ装備と言う事なのかだが 袖や胸部・馬鎧に房が付いた例は有るのかどうかだが
11-01 13:04https://t.co/ykzL5K9JjS 1300年頃の絵でも 護身鏡付きの綿襖甲が描かれている可能性も有るのかだが
11-01 13:25綿襖甲では無く 鎧の上の服に護身鏡が装備されている可能性も有るのかだが
11-01 13:31https://t.co/9emlERZQEX 腰布の下に 鎧が有る例も有るのかどうかだが
11-01 14:40https://t.co/3lGR66ruAK 14世紀初期のイランの甲冑は 基本的にモンゴル式と言う事なのかだが
11-01 15:01https://t.co/TmRLWOE2J8 25の様な布・革製の鎧が https://t.co/WUsuPxuQgm 蒙古襲来絵詞に描かれていると言う事なのかだが 下に鉄板が入っているタイプも有ると言う事だろうか
11-01 16:06https://t.co/CsxGMCbp2G 29と同様のキルト鎧が https://t.co/y5ilcnpfdW 左の恐らく綿襖甲の線の入る布部分に使われていると言う事なのかだが 蒙古襲来絵詞でもこうした物は有ったと言う事なのかだが
11-01 16:10https://t.co/wjtr7l2lE5 下の1430年の絵にも 腰布の下に鎧が有る様に見える例が描かれるだろうか https://t.co/JbCQYy71xq
11-01 16:23これも腰布の下に鎧が有り 胸部には護身鏡付きの綿襖甲が有ると言う事なのかだが https://t.co/JUqsubiQIh
11-01 16:28https://t.co/tbct5fi6Ft 胸部の綿襖甲らしき部分も良く見ると 鋲は端部しか無いし コートオブプレートの様な大型の板金が入っている可能性も有るのかだが 中央部は護身鏡で更に補強されると言う事なのかだが
11-01 16:32トルコのムラト1世が14世紀後期に 東ローマ・バルカンでの戦闘でコートオブプレート装備の騎士に苦戦したから コートオブプレート的な装甲が一部利用されたと言う可能性も有るのかだが
11-01 16:35ニコポリスではシパーヒもそうした形で重装甲化された者が増えて 騎士も簡単に勝てなく成ったと言う事なのかだが
11-01 16:47https://t.co/TmRLWOmrky https://t.co/taXLYERlrD 鱗・鎖の面が付いたネイザル付き兜も1335年から有るが 元寇時には有ったのかだが
11-01 17:04騎士に対抗してそうしたネイザル・顔の装甲が 14世紀後期から増えていた可能性は有るのかだが 耳部分の板金装備も増えて 一枚板の物が出現した可能性も有るのかだが
11-01 17:10https://t.co/TmRLWOmrky https://t.co/ZhBg9MNrgs ミニアチュールの矢筒に有る豹の尾は只の飾りでは無く 矢が擦れるのを防ぐ為の物と言う事なのかだが 1306年には登場と言うが 蒙古襲来絵詞には此れは無い様に見えるが 高位の重騎兵のみ装備と言う事なのかだが
11-01 17:241420年迄直剣も描かれると言うが モンゴルの直剣型シミターでは無く イランの直剣の可能性も有るのかだが
11-01 17:37https://t.co/DxHzIfDZa1 1397年だと胴の鎖帷子も明確に描かれ シコロに金の鎖も描かれると言う事なのかだが
11-01 17:40https://t.co/3lGR66ruAK 太腿中央部迄の短い草摺の有る モンゴルの鎧もミニアチュールと同様に有ると言うが 下位の革鎧だけなのかだが
11-01 17:56イルハン朝のミニアチュールに有る 胸部に2つ護身鏡の有る鎧は宋の影響が有ると言うが 鎧は短い訳では無く 宋の絵に有る様に 佩楯が布の下に有る可能性も有るのかだが https://t.co/fq3LL3QT0J
11-01 18:26イルハン朝のミニアチュールだとイラン製兜や イラン・モンゴルの融合兜も 多数描かれていると言う事なのかだが
11-01 19:001320年以前は モンゴル兵の鎖は余り多くは無いと言う事なのかだが
11-01 19:21モンゴルの兜鉢は4枚板で構成され 一部一枚板や 革製の物も有ると言う事なのかだが
11-01 19:3814世紀後期だと コートオブプレートと同様の胴鎧も出ていると言う事なのかだが 全体としては高温を考慮してか 鎖が多く成ったのかだが
11-01 19:45https://t.co/p0RcjQX6Ye https://t.co/buwbRLa4pd 左のタイプの鎧の下部はコートオブプレート 赤い服の下は鎖と言う意見も有るが 果たしてどうなのかだが
11-01 20:14上の鎧だと脇部に護身鏡的な鉄板が有ると言うが 日本甲冑の脇板とは 登場時期(14世紀後期)を考えると無関係と言う事なのかだが
11-01 20:24https://t.co/b3zQJu7Wh4 左上の鎧も 小札の下に鎖が有る可能性も有るのかだが 元寇時にはこうした鎧は 無かったと言う事なのかだが
11-01 20:28ムラト1世が14世紀後期の東ローマ・バルカン半島での戦いで騎士に苦戦した後 一部のシパーヒがコートオブプレートを真似て装備したが 放熱の為に上部は鎖としたのかだが
11-01 20:30https://t.co/tbct5fi6Ft 一方で同タイプにも見える左の鎧の下部は コートオブプレートでは無く小札製と言う事なのかだが
11-01 20:4314世紀末だと 下位の重騎兵の鎧は鎖 中位は綿襖甲 上位はコートオブプレート或いは小札と言う例が多かったのかだが
11-01 20:50https://t.co/ivniYG1vZy トルコだと鉄板札が胴上部に迄有る例も有るが 下部のみの例も多いだろうか カルタ金的な細かい鉄板が使われる例も多いだろうか
11-01 21:00https://t.co/3G0Phcay5F 大きな鉄板札だと こうした下部にのみ装備と言う例が多いかも知れぬが
11-01 21:05https://t.co/J4TUA0j6vh 集史の兜のゴルゲット状の首装甲(板金或いは小札製)は モンゴルには無いイランの物だったと言うし 元寇時のモンゴル兵には無いと言う事なのかだが
11-01 22:27https://t.co/2qjARldmpC 1435-40年には板金の脛当も出ているが ニコポリス時点では無かったと言う事なのかだが
11-01 22:45ムラト2世時代の東ローマとの戦闘で騎士の板金の脛当が摸倣され 1444年のヴァルナの戦いでは少数は実戦使用されていたと言う事なのかだが
11-01 22:56https://t.co/8j72ghhLm2 ヴァルナの戦いでは こうした板金の脛当と コートオブプレート的な板札の有る鎧が投入されていたと言う事なのかだが 一方でヴワディスワフ3世の突破は 可也許していたと言う事だろうか
11-01 23:02
- [2022/11/02 04:19]
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