08/05のツイートまとめ
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boukenkyuu
https://t.co/tWbvc9rVsl 15世紀ハンガリーのキニジ・パールの二刀流は直剣利用の可能性も有るのかだが https://t.co/8bal4wf25P 剣は左の様に 馬にも装備されていた可能性は有るのかだが
08-05 09:19https://t.co/CPuJRMDHSl 左のキニジパールの像だと 直剣が2つ 彫られている様に見えるが
08-05 09:24RT @hiro0725: 🎙️トランプ:8/03 声明🎙️【ICYMI】<第45代米国大統領ドナルド・J・トランプ声明>昨夜、トランプ推薦候補が歴史的な大勝利を収めました! 共和党の上院予備選で15勝0敗、アリゾナ、カンザス、ミシガン、ミズーリ各州で完璧な記録を達成…
08-05 09:36https://t.co/2Qo1I7eBkl 銃が多いオランダ・スウェーデン式大隊でも そうした剣とアルケブスの二刀流が使える者は居たのかどうかだが
08-05 09:58https://t.co/NDAndBTRqD 左の洛中洛外図・東博模本の兎かも知れぬ前立は https://t.co/QvxOXMlfoI 左の江戸初期の物に似ている可能性も有るのかだが
08-05 10:45https://t.co/cVvQzFfEM6 左のグラディウス対ロングソードだと ロングソードが掴まれてやられる例が目立つが カッツバルゲル装備のランツクネヒトは何処迄スイス等のロングソード刀身を掴んでいたのかだが 動きが小さい根元付近なら 割に掴めたのかだが
08-05 10:54バインドして動きが小さく成った後で 根本付近やリカッソを掴まれる例も有ったのかだが
08-05 10:56https://t.co/1ryV6gohRV マムルークの盾2つ利用も バズバンド(籠手)を装備せず 軽量な盾を利用すれば 盾無しのバズバンド装備時と余り変わらない操作性と言う可能性も有るのかだが
08-05 11:29https://t.co/q94FWRt3TS 一方でミニアチュールだと 大型盾装備でも左腕のバズバンドは併用されている例も多いと言う事なのかだが
08-05 11:34https://t.co/YOIPEksIVY シャーナーメの英雄ロスタムは投げ縄の名手と言うが サファヴィー朝等でも投げ縄利用の者は多かったのかだが
08-05 11:41
https://t.co/AZLRojKZJL サルマチア人・スキタイ人・サーサン朝兵も投げ縄利用と言う事だろうか ウマイヤ・アッバース朝時代だとイラン以外の地域での利用は有ったのかだが 1389年のコソボの戦いのトルコ軍も此れを利用と言う事なのかだが
08-05 11:55モンゴルやタタールも投げ縄利用と言うが 1410年のタンネンベルクの戦いでも ドイツ騎士が此れでやられていたのかだが フサリアの翼は投げ縄対策と言うが 軽騎兵パンセルニは此れの装備は無いと言う事なのかだが
08-05 11:59元寇時に投げ縄が 日本兵に対し利用された例も有るのかだが 海上戦での利用は有ったのかだが 水滸伝の扈三娘は投げ縄の名手と言うが 明兵は此れを利用していたのかどうかだが
08-05 12:09https://t.co/ZbAqfmmODb https://t.co/lrMo5fkyl1 16世紀のマイアーの教本だと 騎士は投げ縄では無く 鈎縄利用と言う事なのかだが 此れはフサリアの翼でも防げないと言う事なのかだが タタールやトルコ等はフサリアに対し 鉤縄は利用したのかだが
08-05 12:21騎士の鉤縄もフェーデ等では兎も角 戦場での利用例は何処迄有ったのかだが
08-05 12:22RT @Vrso3PtMJbx8vpT: ホワイトハウスの向かいで起きた落雷で4人が重傷-NBC News https://t.co/h3JoluNrxC
08-05 12:45RT @KuaiH51ql0TT2fR: クラプトンは自身ワクチンの後遺症で苦しんでその後ワクチン反対と唱えてます。それに、広島・長崎に行った事に対して恥じていると言っています。
08-05 12:47RT @hiro0725: 🎙️売電まだ○ロナです!🎙️【速報】先の○ロナ罹患から開けて再発症後3日目。未だ陽性なんだそうです。その割に、「中絶法の大統領令」は発令するわ、「サル痘の緊急事態宣言」はするわで、悪事だけは相変わらずやってるよね、、、。早く終わろうよ、、、…
08-05 13:00RT @matatabi_catnip: ドイツ保健相ラウターバッハ が新コロに感染。ラウターバッハと連立政権は、秋にマスク義務化や「最新の」ワクチン接種に基づいたルールを復活させる新法案を提案したばかり。 https://t.co/PfwK6Udtr8
08-05 13:52イサックだと騎兵の投げ網が歩兵に使われるが https://t.co/yY1f75tgjt トルコ系民族・イラン等だと 投げ縄だけでは無く 投げ網が騎兵相手に利用されたのかだが これはフサリアの翼では防げなかったと言う事なのかだが https://t.co/2hlTJ48ygG
08-05 14:09https://t.co/ItvadKttjA 投網も捕物で利用され 現代での利用も有るのかだが
08-05 14:22https://t.co/m1GzKApsk2 コンスタンティヌス6世は792年のマルセラの戦いで ブルガリア軍の投げ縄で捕縛され 1205年のアドリアノープルの戦いでも ラテン帝国の騎士がブルガリア軍の投げ縄でやられていたと言う事なのかだが
08-05 14:46https://t.co/yjR8Dft401 マルセラの戦いだと投げ縄では無く モンゴルでも良く見る 棒に縄の付いたarkaniで騎兵がやられたと言うが コンスタンティヌス6世の捕縛は有ったのかどうかだが
08-05 14:51ブルガリアのarkaniは https://t.co/f2Fzx9FHJe 左のモンゴルの馬を捕まえる竿と 同様の物なのかだが フサリアの翼では此れは 防ぎ難いと言う事なのかだが
08-05 14:59https://t.co/MJUjTm3PqY 1205年のアドリアノープルだと ブルガリア軍のロープと鈎付きポールアームが ラテン帝国の騎士を馬から落とすのに利用されたと言うが arkaniは利用されていたのかだが
08-05 15:10アドリアノープルではwolf pitに騎士が落ちていたと言うが https://t.co/sITp26ud0J 左のガリア戦争時代から有る落とし穴と同様に 下に杭が有ったと言う事なのかだが
08-05 15:13https://t.co/9CYKiq7R3v BC5世紀のペルシャ戦争でも 投げ縄を持ったサガルティア人の騎兵が居たが 後のマケドニア軍に対しても用いられたのかだが
08-05 15:49RT @NamakuraKenshi: 逆に中国は対盾はかなり完成されてる感じだよなとフレイル系は中国からだし、硬鞭、錘、九節鞭、双鈎もあれば、軽い藤盾もあるわでショーテル系がパッと思いつかないくらい?
08-05 15:53垣盾より小型の持盾は太平記の攻城戦だと数百枚利用された例も有るし 野戦でも装備している例が有るが これを持った侭白兵戦をしている例は多いのかどうかだが
08-05 15:56https://t.co/PCg0ZILwq3 太平記だと黒丸城攻撃用に 3000もの持楯が投入されていると言う事だろうか
08-05 16:00https://t.co/dDt0yqiZKE >敵を誘き出して勢のほどを見んとて、射手の兵五百人馬より下ろし、持楯畳楯でふたて突き蔀み突き蔀み、閑かに田の畦を歩ませて、次第次第に相近付く。 太平記の第二次京都攻防戦だと 南朝方は野戦でも持楯を利用していると言う事なのかだが
08-05 16:11https://t.co/jCCyt09rId 太平記の赤坂城攻防戦で利用された恐らく対投石用の 練皮を貼った持楯は 城突入時の白兵戦にも利用される物だったのかだが
08-05 16:19https://t.co/TD2ZM4VEzj 太平記の鷹巣城攻めで使われた 此れも恐らく対投石用の大竹を貼った楯と言うのは 垣楯では無く持楯の可能性も有るのかだが 城突入時の白兵戦で使われた可能性も有るのかだが
08-05 16:23https://t.co/zslNKMl358 武田軍には木槌装備の槍が有り https://t.co/sGM66SQMuK メイス的な金砕棒は十二類合戦絵巻に有ると言う事だろうか
08-05 16:42https://t.co/LLDXdNCDY2 https://t.co/y9FRXtdjBk メイス的な木製撮棒も 春日権現験記絵・日蓮聖人註画讃に有ると言う事だろうか
08-05 16:44https://t.co/7byZ5V9t9H 16世紀後期でも ジョンスミスはロングボウ騎兵を編成しようと考えたが 実現しなかったと言う事だろうか
08-05 17:18https://t.co/l9zak4dFpE 1526年でも仏の騎乗弓兵は 騎射を考慮していたと言う事なのかだが
08-05 17:19https://t.co/JCwhDmU2hx https://t.co/UOqZU1U4cI イングランド・スコットランド国境付近で略奪をしていた ボーダーリーバーも ロングボウや軽クロスボウの騎射が出来た可能性は有ると言う事なのかだが
08-05 17:28https://t.co/jpFcyGr9BP 1476年のブルゴーニュ騎乗弓兵は騎射が出来たが 後で射撃は歩行戦時のみとしたのかだが
08-05 17:32https://t.co/ntkwV9bBk4 アジャンクールだとロングボウ兵は 杭を打ち込むモールを武器としていたと言う事なのかだが 他の戦場でも此れは利用されたのかだが
08-05 17:40https://t.co/tFljUHYqgr 1562年だと ロングボウ兵には1.6mの槍先付きの 鉛のモールが配備され 1545年にも鉛のモールは配備されていたと言う事なのかだが 此れ等は馬防用の杭を打つのにも利用されたのかだが
08-05 17:45https://t.co/d2zp2N9Sj3 シルバーのスパイク付きスタッフは 戦場用では無いと言う事なのかだが 日本だと太平記や十二類合戦絵巻で 両端に石突の付く棒も出て来るが 石突の付かない先端が太い棒が多いと言う事なのかだが
08-05 18:04https://t.co/EhK2nFxVME 片手剣でパイクを切断可能と見る 16-17世紀の武術家は多かったと言う事なのかだが シミターでも槍を切断する技が有るだろうか ディグラッシはパルチザンで パイクが切断可能と見ていたのかだが 大身槍でも可能なのかだが
08-05 18:30片手持ちの撮棒は無いとしても 大太刀等と撮棒の二刀流は太平記では多いだろうか
08-05 18:38https://t.co/pWTLGatJPo 先端に向け太く成る振り棒の様な撮棒だと 筋金で補強されず共 切断され難いと言う事だろうか
08-05 18:47RT @kamaeatte: https://t.co/yQLoVGf6Tj文禄・慶長の役で明軍を率いた宋応昌の日本軍評。「論者が謂った。倭の鳥銃は、我々は遮り蔽い難く、倭の利刀は、我々は防ぎ堪え難い、と。しかし、我々の快鎗や三眼鎗、および諸神器は、鳥銃と匹敵しうるものである…
08-05 18:56https://t.co/5xgrtGNr4E >ここで、査大受の本隊が左右から救援に駆けつけ、十時の部隊を包囲。十時勢は鉄砲でこれに応戦しますが、敵の霹靂砲の砲撃を受けて窮地になった。やがて十時は手勢を回転して明・朝鮮軍の中央を突破し中陣と替わる。
08-05 19:19>そこで中陣の戸次統直[91]は強弓を引いて20余りの敵兵を射落し援護した[92]。しかし連久は李如梅の毒矢を受け、帰陣して間もなく戦死[93][94]。
08-05 19:21碧蹄館だと査大受の霹靂砲は十時連久の兵に対しては役に立っていたと言う事なのかだが 砲は中央突破での接近戦で無効化されたかも知れぬが 突破中に連久が毒矢で戦死していると言う事だろうか
08-05 19:22査大受の兵2000に対し 十時連久の兵は500だろうが 査大受の兵は騎兵主体で砲は多く無かったと言う事なのかだが
08-05 19:24>『毛利家記』では「十時伝右衛門連久とて数度勇の誉れある者。真っ先に進み戦しに、大勢に押しつつまれて討たれ、其外究竟の者73人、枕を双べて討たれ、手負も数十人也。敵をも六百余討ち捕し。然れば先手に有りし唐人ども、同勢の中に引取りし」と記している。
08-05 19:52査大受の2000の兵の内 600が討たれるか捕らえられたと言う事なのかだが 連久の部隊も囮で有るからか 一割以上は戦死と言う事なのかだが
08-05 19:53>『柳川藩叢書』第一集 補遺(二四)『立花事実記』 唐(明朝)の書にも金甲の兵とは御当家先手の歩卒、甲冑具足胴の脊中に大なる金色の蛇の目(金の日の丸)を出し相印とし、兜は桃形にして金磨きなり。
08-05 19:59>故に日に映し輝く大明朝鮮の兵卒も、宗茂公の備を見知り其勇強を恐れて、金甲の兵と称せりとなり。 立花軍の歩兵の胴は金では無く 黒に金の蛇の目紋が入るのかだが 徒武者以外は此れの装備は有るのかだが
08-05 20:00>『立花記(正・続)』、『武神 立花宗茂』、『清和源氏隈部家代々物語』「騎馬に裝著」とは、宗茂考案の鉄砲の準備である。 騎馬武者の馬首に鉄砲袋を備え、弾薬の袋を馬尻に掛けさせたのである。 これで、鉄砲は騎馬武者が一人で扱える。
08-05 20:07>三人四人と騎馬の周りに配備した鉄砲持ち弾薬持ちの歩兵が戦闘力として鑓・弓・鉄砲を個別に握らせ得る。つまり、八百の兵が二千、三千の兵の役割を果たすのである。 銃袋を馬首に裝著した二百の騎馬と、水・糧食・武具弾薬を背負った馬百頭、これに従う徒歩三百。
08-05 20:08>立花軍は、鉄砲二百丁を馬首に具えた騎馬二百が先頭を駆ける。駆け來たっては陣を具えて一斉に隈部軍へ鉄砲発射である。筒口を揃えて一斉に発射すると、その煙も収まらぬ間に第二弾である。二段三段の鉄砲連射に隈部軍が怯む間隙に、今度は徒歩に長柄を備えて無二無三に突きかかる。
08-05 20:09>長柄の徒歩隊は無二無三に突いて進むように見えながら、ようやく右に陣形を傾ける。隈部軍の正面に対峙するのは、徒歩の後ろに具えた騎馬鉄砲隊である。徒歩長柄が右に退く。前方が開ける。対峙した隈部軍に鉄砲弾丸の亂れ射ちである。
08-05 20:091587年の肥後国人一揆で使われた立花軍の騎馬鉄砲部隊は 文禄役でも居たのかだが 500の十字連久の兵だと騎馬武者は50名程度だから 戦力とは成ったのかだが
08-05 20:11騎馬武者の銃・弾薬を持つ奉公人が 此れを馬に乗せる事で不要と成っていたと言う事なのかだが 食料や水も馬で運搬と言う事なのかだが
08-05 20:18>このとき立花軍の金備え先鋒隊長の安東常久は李如松と一騎討ちして落馬させたが、李如梅の矢を受けて戦死。 安東常久も騎兵銃で 李如松は狙撃出来なかったのかだが
08-05 20:25RT @NamakuraKenshi: @hOoEUrncojynZSF 多刀流?ですかイージスガンダム4刀流なら、装備を工夫すれば現実的にイケそうな範囲だと思ってます硬い靴の爪先にソケット設けて、レイピアと言うかスモールソード的な刃渡り30〜50cm程の短剣を嵌め込めば…
08-05 22:27ゴシック鎧等だと爪先に長いスパイクが有り 膝にもスパイクが付く例も有るだろうが 前者は歩行戦時には外されると言う事だっただろうか
08-05 22:28https://t.co/zmgYPRsRIj 1300年頃にも爪先が伸びたサバトンが有る様だが 1490年頃消えたのかだが
08-05 22:39https://t.co/m1fRlsR2rW ゴシック鎧のサバトンの装甲厚は0.8mm程度なのかだが 足首の装甲は2.4mmも有るのかだが
08-05 22:54RT @0Fami: 中世ヨーロッパの騎士のトレーニング方法(1/3)#中世ヨーロッパの騎士トレ #C100 https://t.co/fAjPSiePtB
08-05 23:00ニコポリスだと仏騎士の体力に自信が無ければ 無理な追撃をしてやられる事は無かったと言う事なのかだが
08-05 23:31https://t.co/h18pAL66Do >クシーとヴィアンヌは、フランス軍は軍列を再編するために休止し、休養をとり、ハンガリー軍が進軍しフランス軍救援が可能な位置に布陣するのに要する時間を許すことを勧めた。彼らの意見は若いタカ派によって却下された。
08-05 23:33>オスマン軍の規模に関して何も考えていない彼らはバヤズィトの全軍の撃破を信じ、その追撃を主張した。[11]フランスの騎士は丘に登り続けたが、半分以上を徒歩で上ることが表明されたにもかかわらず。どのみち彼らは尖らせた杭によって馬から振り落とされるか、馬防柵によって落馬したのだが、
08-05 23:34>重装備で戦いながら、彼らは坂のてっぺんの平たん地に到達した。そこは彼らがオスマン軍の退散を見つけてやると期待していた場所であった。しかしそれらの代わりに、新たなシパーヒーの軍に出くわした。彼らはバヤズィトが予備役として保持していたものであった。
08-05 23:35>シパーヒーはラッパを鳴らし、鐘太鼓を打ち鳴らし、「神は偉大なり!」と叫び感情を湧き立たせていたので、彼らの状況の死にもの狂いぶりはたやすくフランスといくつかの騎士を立ち止まらせ、坂を下させた。
08-05 23:36
- [2022/08/06 04:19]
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