04/08のツイートまとめ
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boukenkyuu
https://t.co/HseMMW0xaJ 左は江戸期のスリング利用の絵なのかだが 此れで8町(872m)石を飛ばした者も居たのかどうかだが
04-08 09:49https://t.co/VdIyit2r6D 左の戦国初期に多用されたと言う 印地槍の室町期の現物が https://t.co/i7qCFwNieL 左に有るが 16cm程度の物と言う事なのかだが
04-08 10:17印地槍は 弓兵が近接戦用に利用したのかだが 矢が少ない靭を持つ者が 投石や印字槍を投げていた可能性は有るのかだが
04-08 10:29https://t.co/52WZUJ7H72 武田光和の7人張り(張力140-210kg)の鉄の弓で 管矢を放てば 1500m等は飛ぶのかだが
04-08 10:32【宗】旧家所蔵 古式馬具 棕櫚 三懸 紋散らし 紐 和鞍 切付 肌付け 軍陣鞍 鞍鐙 蒔絵 馬具 鞍 鐙 甲冑 鎧 相馬 泥障 https://t.co/gvUizm5BXj 棕櫚利用の肌付等も 有ると言う事だろうか
04-08 11:38【LIG】登録不要 直槍 13㎝ 鳶口 11.5㎝ 鳶口付時代拵 226㎝ 時代武具 旧家収蔵品 [.QI]03 https://t.co/V1tQ7kKPEs 鳶口或いは 刃付きの鉤が有る槍と言う事なのかだが
04-08 12:31https://t.co/na1rsq2hQj ゴービンド・シングの張力225kgの弓も有るが これは鉄製では無くトルコ的な物なのかだが 印にも管矢的な矢は有ると言う事なのかだが
04-08 12:494/11にも発表されるリンデルのSNS・FRANKで デクラス開始と言う可能性も有るのかどうかだが
04-08 13:18RT @baritsu: 結構長い。冒頭の所の、何故百姓身分の物が剣術家になれたのか素朴な疑問がわくとか、これまでの研究では武術は武士だけのものとされてきたとかの辺りでちょっと引くが、後半の翻刻が貴重https://t.co/f1zrNadoLd
04-08 14:56RT @baritsu: これ、神道無念流へのライバル意識は他でも書かれてたけど、心地流との違いとか、負けて心地流の片手打ちなんかダメだと落ち込んだり、もう本来の肉と骨は失われて皮だけになってるとか、手拭で試合したり、二天流対策を書いてたり、記述も細かいし読み込む価値が大きいな
04-08 14:56
長さ16cm程度の印地槍も https://t.co/BQC4czoo4p 左の24cm・262gの円明流の短刀形手裏剣よりは 軽いと言う事なのかだが
04-08 15:08https://t.co/u7oOYQMnjP 香取神道流の棒手裏剣は 長さ17cm・60gだが 同程度の長さの印地槍も同じ様な重さなのかだが
04-08 15:14https://t.co/V32G0MFoKi 軽い手裏剣だと 家地を深く貫通するのは 困難な可能性も有るのかだが
04-08 15:23https://t.co/Sm5MjNHM8u 戦国後期の羽織を着ている歩兵には 印地槍はダメージを与え難かったのかどうかだが
04-08 15:25RT @yousayblah: 連日のメディアによるデサンティス・バッシングを見ていれば、民主党勢が如何に2024年のデサンティスの立ち位置を恐れているか一目瞭然。この度CBSの60Minutesが切り貼り編集映像と嘘データを使用してデサンティス下げキャンペーン。これもうT…
04-08 15:32RT @Naoyuki_Asada: それだけではなく、肉食文化の有無(忌避)もあると思われますね。平安期は狩りの文化も残っていたらしく、武家はよく狩りの獲物を食していたと聞きますが、江戸期は肉食を忌避する傾向がありましたから。そうすると自然、体格は落ちていきますよね。…
04-08 15:36印地槍もコストや投げる技術が必要である事を考えると 雑魚弓兵は石しか使わず 精鋭弓兵が打根を利用する前に 此れを数本投げていた可能性も有るのかだが 打根が投げられる者なら 容易に投げられると言う事なのかだが
04-08 15:54RT @TotalWorld1: 【国境問題】「トランプ大統領は正しかった!」/バイデン、遂に「国境の壁」の建設中止を取りやめて再開の見込み/「移民よ来るな」のCMに続く措置https://t.co/PHCeBhdLlA
04-08 16:28https://t.co/5NaLLXcHvl スリングで狩猟をしている者と言うのは 果たして居たのかだが
04-08 16:33https://t.co/PFdutaPvnO >絵画資料としては、『月次祭礼図』(東京国立博物館蔵)に見られ、川を挟んで(礫が多い場)、縄や棒を用いて投石する者や覆面をして加わろうとする輩が描かれている[19]。
04-08 16:47https://t.co/S9QtfWThZF 15世紀の月次祭礼図でも スリングが使われていると言う事なのかだが https://t.co/4LPmedh33Z
04-08 17:09https://t.co/PFdutaPvnO >投弾用石器の近くからはアホウドリなどの群鳥の骨が出土することもあり、狩猟用の可能性もある[3]。 弥生期の狩猟時の投石だと スリングは利用していたのかどうかだが
04-08 17:32https://t.co/Do255qGZaw>しかし、「石合戦」に遣(つか)われた石は、これを戦場に携帯するには大き過ぎる為、後に、掌(てのひら)の中に隠れてしまう、平面の丸石などが遣われるようになり、これは「飛礫袋」という袋に入れられた。普段は携帯に便利な「腰巾着」のように、腰に付けて置いて、
04-08 19:45>必要な場合に取り出し、それを敵に向かって投げるという武技が発達した。この意味で飛礫術は、単なる投石とは異なる、武芸的な要素を帯びてくる。飛礫袋に納められる石は、あからじめ大きさを限定して、その基準に基づいて大きさ別に選(よ)り分けられた。
04-08 19:46>こうして選り分けられた石を、「飛礫種(つぶてだね)」とか、「石種(いしだね)」といった。 石種はその大きさにより、飛んでいく距離と威力が異なってくる。大きいものは長距離に適応し、小さいものは近距離に適応させ、その都度、使い分けた。
04-08 19:46>長距離で用いられる石種は、掌に隠れる中でも最も大きく、遠くにいる敵に対し、こちらは姿を現さずに、隠れた場所から敵を倒す場合に遣われた。 また、近距離戦で遣う石種は、比較的間合は遠いが、しかし、数歩で敵に飛び込める間合にある時機(とき)に、
04-08 19:47>拇指(おやゆび)と人差し指を丸い輪にして、ほぼその大きさになる石種が用いられた。この場合、石種を投げつけて、これを「飛礫」として用い、それだけで敵を倒すというものではなかった。つまり、一種の露払い的な戦術の駆け引きとして「飛礫石種」を用い、その後、直ちに抜刀して、
04-08 19:48>敵に斬りつけるというものであった。一瞬、怯(ひる)ませる為の手段として用いられたのである。 雑魚歩兵が こうした抜刀術を使えたのかどうかだが
04-08 19:49>また、「掛け砂」という隠武器もあり、あらかじめ砂袋に砂を用意しておき、間合が縮まった頃、これを敵の眼に投げつけ、目晦(めくら)ましをかけて初太刀を浴びせ、斬りつけたものである。 村上水軍だと目潰しは有るが 地上戦でこの種の物は利用されたのかだが
04-08 19:53>西郷派の飛礫之術で用いる飛礫石種は、直径が5~6cmで、5~60gくらいの鉄分を含んだ平石が適当であり、平面の円形で、真ん中が少し窪んだ物が最適である。これだと飛距離もあり、単にソフトボール大の石を投げるより、標的に当たる命中率も高く、投げて「伸び」があるのである。
04-08 19:59>「打ち方」の理想からすると、直径が5cm程度、厚みが7m前後で、中央部が多少へこんだように細工し、重さが60gの物がいいようだ。 スリングで投げる物だと ギリシャ的なラグビーボール的形状の物の可能性は有るのかだが
04-08 20:00>西郷派の飛礫之術は、その打ち方として、上から飛礫石種が縦方向かつ垂直に回転して飛ばす「上手打ち」と、飛礫石種を横にして、水面を駈けるように水平に、横回転で飛ばす、「横手打ち」がある。 「上手打ち」は垂直に標的を切り割く場合打ち、
04-08 20:01>「横手打ち」は標的を真一文字に切り割く場合に用いる打ち方である。特に、風上から風下に投げる場合は追い風に乗って「上手打ち」を行い、逆に、自分の方が風下に居て、風上の敵に投げる場合には「横手打ち」の方が有効である。 何故ならば、風の吹き付ける波動に乗って、
04-08 20:03>下から「浮いたようになって飛んでいくから」である。こうした特別の動きをする、飛礫石種はこれ自体が殺傷の武器でないのにも拘(かかわ)らず、その動きの変改において、敵を撹乱させるのに十分な効果があり、威嚇(いかく)の武器としては効果が大きいものである。
04-08 20:06近距離だとスリングを利用して威力を増すより 手投げで発射速度を重視する例も有るのかどうかだが
04-08 20:26https://t.co/O6R3rDVgSF >張清 >天捷星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第十六位の好漢。渾名は没羽箭(ぼつうせん)で、石礫(いしつぶて)にあたる「羽の無い(没)矢(箭)」の意味であり、これは張清が石礫投げを得意としたことに由来。
04-08 20:28https://t.co/Jddf4sVDUC 国芳の張清の浮世絵に描かれる 石を入れる袋は 日本で利用されたタイプの可能性も有るのかだが
04-08 20:29https://t.co/80WLjZAxJf 中国の張清の絵だと 石は籠の様な物に入っていると言う事なのかだが
04-08 20:33日本的な火打袋だと口が小さいかも知れぬし 取り付け方は同じでも 国芳の張清の絵に有る様な 口が大きい袋が使われた可能性も有るのかだが
04-08 20:43https://t.co/PQjxkrcwCq 西欧だとゴリアテが装備する袋や https://t.co/k7nlZ9dNQw 服に石を入れている例が描かれるが 兵がこうした物を利用している絵は有るのかどうかだが
04-08 20:55https://t.co/j6CwF15PF2 ナヘラの戦いの絵だと 投石兵の石は地面に置いてあるだろうか
04-08 20:59https://t.co/rDwEdaCVew >瓊英>第97回から110回まで登場する、田虎配下の女将軍。花の如きと形容される16歳の美少女で、武芸に精通し、取分け石礫の名手であることから、あだ名は瓊矢鏃(けいしぞく)。 水滸伝だと瓊英も礫術の名手だが 古い絵は今の所見ないが
04-08 21:08https://t.co/ZtdMdGtOBh 恐らく割った竹の中に石を入れて 放る様な例も描かれるが 江戸期にこうした投げ方は有ったのかどうかだが
04-08 21:35RT @kamaeatte: 島原城にあった武具。①「殿様の鎧」。展示されている甲冑はこれをはじめ深溝松平家関係のものが多い。写っていないが大袖は素懸威となっている。②家老板倉家(千九百石)の具足。目の下頬に般若のような牙がある。指物付き。③「長崎代官の甲冑」。槍先がよく滑りそ…
04-08 21:45RT @kamaeatte: ①中の丁山本家に伝わった「六十二間小星兜」と「伊予札二枚胴具足」。皮包の脇引が付いている。②「槍:政常入道 刃長28cm」と「脇差:備前長船祐定 刃長45.5cm」。③④「百匁石火矢大筒 貞夫一」。島原藩が天保九年(1838)に作らせた大筒で重量は…
04-08 21:46
- [2021/04/09 04:09]
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