01/28のツイートまとめ
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boukenkyuu
https://t.co/E5hEPlfXd7>まだいたサンダースw どういうことなん…>公式の配信じゃないから個人のお遊びだよ>個人チャンネルでしょ個人チャンネルでも、お遊びで延々サンダース置いとく意味ないだろだから何かのサインかと勘繰られているわけで
01-28 09:10RT @samasam46002450: 🦁🍿❣️🙏 #FightForTrumpToSaveAmerica 🗽 #Trump2020ToSaveTheWorld 🌏訳 https://t.co/HqxrfbDpzm https://t.co/L92yuJLxNd
01-28 11:33RT @LvVorCxTVw17CF1: @naoyafujiwara 国民にいかに売電政権が危険か目覚めさせておいて、軍が介入するような筋書きだと思います。もう直ぐ春が来ることを祈ります。
01-28 11:34『伊達政宗の兵糧 仙台糒』⇒ https://t.co/QGUmOFnkKU #アメブロ @ameba_officialより
01-28 12:22RT @fJ0UUAbdOWqZK8M: 江戸時代のゆがけの絵。現代で言う騎射ガケ。 https://t.co/3RJ0cpRMMM
01-28 12:29>中段の構が開いていて面があいており小手が隠れている人がいたとします。(むろん、構えている人の技量にもよりますが)この方に素直に面を打っていって当たるということはまずありません。面を攻める強い意思を見せて小手に変化するといとも簡単に当たります。
01-28 13:04>面は「虚の隙」であって隠れている小手こそが「実の隙」だからですね。はくどーさんが私の「虚実の突」について書いてくださってますが、同じことが二刀の「隙」についても言えるわけです(^^)
01-28 13:04>攻略法として二刀の技術をまとめれば、特徴としてのデータは、 ●攻撃の幅が広いように見えるが、基本的には防御に強い ●受けた太刀と攻撃の太刀が異なるため、攻撃を受けた後の反撃が早い (→一刀では受けきれない)
01-28 13:05>弱点としてのデータは、 ●直進力が不足し間合が近い ●小刀と太刀は、多くの場合逆に動く方が安定する (体の捩れを利用している) (どちらの足が前になっているかに注目することで、技を読むことができる)
01-28 13:06>●小刀での打突は少ない (→太刀で受けさせれば攻撃は遅れる) (→太刀のコースが打突コース) ●一刀のみの独立した連続技はないってな感じでしょうか(^_-)~☆
01-28 13:06
https://t.co/pheFyTY4dk>攻めの展開は上段そのものでしたね。打突後の中段の反撃を二刀を巧みに操ってかわしていました。防御に強い二刀の特質と、攻撃に弱い点を補う考え方なのではないでしょうか(^^)
01-28 13:15https://t.co/8dghH55GJR こうした形で竹竿では無く 竹槍に鎌を取り付けて 鎌槍の代用とした例は有るのかだが
01-28 14:22刀を竹竿に取り付けて薙刀としたり 短刀を取り付けて槍とした例は 農民系武術を使う者では多いのかだが 袋槍・袋薙刀を竹竿に装備した例は有るのかどうかだが
01-28 14:26@tea1800tea https://t.co/shGyvt485O 菊池千本槍は明治期の創作とされるが https://t.co/XsBq6AhZ0O 一方で竹竿に装着出来るかも知れぬタイプの手裏剣は有ると言う事だろうか
01-28 15:43https://t.co/tdCZw8qQap 片手用十手でも こうした両手受けは有ると言う事なのかだが 鎌倉期等の短刀でも こうした持ち方はされたのかだが
01-28 15:55竹竿に 短刀と鎌を同時装備と言う例は 果たして有るのかどうかだが
01-28 16:28https://t.co/ZE9fEcyJ9J 峨嵋刺の回転で恐らく飛び道具を防御する技も有るのかだが 羅漢銭や軽量の飛刀なら 完全では無いにしても阻止は可能なのかどうかだが
01-28 17:35https://t.co/7IOJeZd6YY 峨嵋刺が原型と言う日本の手の内(寸鉄)だと 回転での飛び道具防御は無いと言う事なのかだが 峨嵋刺と異なり単体で利用されると言う事なのかだが
01-28 17:44手の内も捕具とすると https://t.co/wi0RecLCjj あずみの飛猿の様に刀と併用されるのでは無く 単体か十手と併用されると言う事なのかだが
01-28 17:46RT @3618Tekubi: レスリングで、レッグダイブとタックルって同じ技の違う呼び名の様に思えるけど、実際は全然違う考え方が流れている。同じように、古流武術の技法でも、一見すると同じように見えるカタチや動きをしていても、本質的には全然違う理合なんて事はザラにある。外見…
01-28 17:52RT @3618Tekubi: @kobayaichi4141 水遁の術検証筒を咥えての技のルーツはおそらく現代の創作なんですが、一応ちゃんとやりました。大変です^ ^チクワでは未だです😁
01-28 17:52@3618Tekubi @kobayaichi4141 https://t.co/uvXVk8tlZy >その後大きなる竹のよを通して、入道の口に当てて、髻を具して放り埋む。 平治物語では信西が 竹筒を咥えて土中に潜んでいる様に見えるが 忍者は水中でも同様の事をしていたのだろうか
01-28 17:57https://t.co/RvrQ0sErvn >東萊城にはすでに釜山鎮の戦いにおいて日本軍が火縄銃を使ったという情報が伝わっており、朝鮮軍は長い板の防弾盾を大量に作ったが、日本の火縄銃に対しては役に立たなかった[2]。
01-28 18:17東萊城の盾も 日本の捕物に使われるのと同様の 6cm厚程度の樫なら 足軽用細筒は近距離でも止まった可能性は有るだろうが 対垣盾・竹束用の鉄・青銅製弾等でやられていたのかどうかだが
01-28 18:19https://t.co/mSjyg7kKQd 対堅木用の 黒鉄(鉄)或いは唐金(青銅)製の玉が 木製垣盾に対しては利用されていたのかどうかだが 足軽の細筒に迄此れは有るのかどうかだが
01-28 18:23高位足軽の中筒や武者用の銃だと そうした玉は有ると言う事なのかだが
01-28 18:25RT @URIwyMPRKcAignq: 影抜きってなんやねんと思って調べたら、剣すり抜けるやつか。別に平成に考案されたわけではなく、わりと各流派に普通にある術理ですね。うちだとその手の一連の技法は寸景と呼びます。
01-28 18:36RT @URIwyMPRKcAignq: なんなら疋田系の高浪も似た技術として教わりましたけどね。伝系違うと別物なのかしら。
01-28 18:36RT @inuchochin: @URIwyMPRKcAignq 私のところでしたらどっちかというと別の技ですが、どちらにせよ甲野先生の影抜みたいに抜けるような使い方はしませんね。
01-28 18:36RT @URIwyMPRKcAignq: @inuchochin わ、ありがとうございます。私はそのまま抜けるというより、一度当てたあとにそのまま抜いてから跳ね上げる技術と聞いていました。当たる前か当てた後かの差で手の内の用法が似てるなと。
01-28 18:36RT @URIwyMPRKcAignq: @inuchochin そうしないとすり抜けたときの敵の太刀が怖くて…。当てて止めてから抜いてかちあげ、ねじ込む感じが原則で、色々な想定でやるという指導でした。自源流は当てないのですが、先に立木打ちの要領で攻め立てて、五分五分ではなく…
01-28 18:36RT @inuchochin: @URIwyMPRKcAignq そんなに話しちゃって良いのですか?笑一度当たるというのは変化する場合の基本だと思ってます。合気道なんかでも。当たらずに変化する事もしますが、やはり相手の気持ちが当たった時と同じようにならないと相手も変化してき…
01-28 18:36ドイツ剣術だと バインドからの攻撃パターンも多いだろうし 刃を合わせても相手の武器をコントロールする事は容易で無いと言う事なのかだが https://t.co/6y5PGCLsco
01-28 18:53RT @megameganemega: 今の大阪城と同時の大坂城は全く違うものであろう。石山本願寺の遺構も出てくるか? https://t.co/y4gG5AKSyO
01-28 18:56https://t.co/TFSsUyJsWA >蔚山で戦った時、他藩の味噌は夏期に腐敗してしまった。しかし、伊達家の味噌だけは,少しも変質せず味も優れていたので、請われて他藩に分ち与え「伊達家の味噌は,美味くて質が良い」と評判になったという。
01-28 19:39>伊達家の味噌,つまり今にいう仙台味噌は,熟成期間が長く,塩がよくしみわたり,当時としては麹の量が多かったため変質しにくかったのだと,八戸の造り酒屋で,南部杜氏の親方から聞かされた。
01-28 19:39RT @3618Tekubi: @boukenkyuu @kobayaichi4141 土中の話があるんですね!水中での隠れ方に関しては正忍記に記載があります^ ^ https://t.co/LFNxsl2TA6
01-28 19:42https://t.co/PMSlni0EOw >仙台味噌の由来として「伊達政宗が文禄2年(1593年)の朝鮮出兵の際に持参した味噌が、夏場でも腐敗しなかったため、他の武将に乞われて分け与えたことから仙台味噌が有名となった」という説があるが[1]、
01-28 19:51>当時の伊達政宗の居城は岩出山城であることと、仙台という地名が慶長5年(1600年)に伊達政宗が名づけたものであるため、これは誤りであるとされる[2]。
01-28 19:51仙台味噌と言う名称では無いとしても 伊達家の味噌が朝鮮で配られていた可能性は 有ると言う事なのかだが
01-28 19:53RT @tozenkagurazaka: @nZ8JwGTq6QbKnnD そもそも騎射なんだから車椅子の弓道はある意味正統派だと思います。
01-28 23:20https://t.co/VxzcOJFm1G 立花道雪(戸次鑑連)の場合は輿から銃を放っていたかも知れぬし 輿から矢を放つ武将も居た可能性は有ると言う事なのかだが
01-28 23:23https://t.co/wDkGZ2kiU4 歩けない毛利玄達の 手裏剣術は江戸時代でも 評価されていると言う事なのかだが 毛利玄達も実在しないと言う意見も有るが 類似の者が居た可能性は有るのかだが
01-28 23:32https://t.co/9YbTlm843u >1589年(天正一七年)に伊達政宗が輿に乗って米沢を出発し、南に向かったという記録がある。この年政宗23歳。実はこの二月に政宗は落馬をして左足を骨折している。進発の時期はまだ完治しておらず乗馬にも支障があったため輿を使用したと思われる。
01-28 23:38伊達政宗の様に一時的負傷で 輿が利用される例も多かったのかだが
01-28 23:38
- [2021/01/29 04:08]
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