01/26のツイートまとめ
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boukenkyuu
RT @shubudo21: 日本中世史平山優氏の研究「戦国の忍び」は忍者の実像以前、現代ミリタリーの潜入術の基礎体験で遠望した技法世界と重なり驚く。昔から実際に使われてきて、いま再研究なのかと。かつて忍びを、草、野臥、かまり等と言ったのは脚色ではなく、まさしく彼…
01-26 09:13RT @shubudo21: 「野に臥せる」技の研究稽古は、高度でかなり難しかった!ただし、自分の感性が研ぎ澄まされていく。その体験から想像するが、弘前藩の忍者「早道之者」も山野で「三寸草隠れ」の術を使ったというが、実際に狙われたら、みえない恐ろしい存在だったろうな
01-26 09:13https://t.co/ni7KIOXfY1 >この早道之者は、1673(延宝元)年に、4代藩主・津軽信政公に江戸で召し抱えられた甲賀忍者・中川小隼人を中心に、1674(延宝2)年に結成された弘前藩の忍びの集団。
01-26 09:15>広瀬寿秀先生の『明治二年弘前絵図―人物と景色を探して』(北方新社)によれば、この忍びの集団は「小隼人目付」あるいは「小隼人組」と呼ばれ、20名が定員で御目見以上の世襲であり、途中一旦廃止されたが、1761(宝暦11)年~1870(明治3)年までつづいたという。
01-26 09:15>以前広瀬先生から見せていただいた明治二年の弘前絵図(現在は弘前図書館蔵)に、早道之者の稽古所が記載されていた。その場所は現在のりんご公園で、位地にして現在レストランやりんご関連商品を販売している〈りんごの家〉の裏のあたり。
01-26 09:16>そこには、「この林を 石森早道稽古所と称し、方二町全林の内に沼あるいは岩石多くあり。明治三年まで役位早道の者(小隼人目付という)年々日を期してこの地において三寸草隠れ、あるいは岩石隠れ等の術を稽古する場なり」と記されていた。
01-26 09:17RT @aomori_ninja: 本日の東奥日報紙に見開きで津軽の忍者について掲載いただきました。忍者に興味を持っていただける方が増えたらいいですね。今年は忍者屋敷ツアーやイベント等で、皆様にお目にかかるのを楽しみにしております。#忍者 #早道之者 #弘前藩 #津軽藩…
01-26 09:19RT @sengoku_dama: 【ニュース】4日、青森で忍術書見つかる 江戸時代の弘前藩のものかhttps://t.co/7T9sSLjDEJ #青森大 #弘前藩 #忍者 #早道之者
01-26 09:20https://t.co/026bJNulcs >ヒキガエルを材料に眠り薬を作る方法、敵に投げつける鉛玉の作り方が記されていた。 前者は余り幻覚効果は無いと言う意見も有るが 後者は鉄礫の鉛製の物と言う事なのかだが 銃弾が緊急時に投げられた例も有るのかだが
01-26 09:26焙烙玉が放れる福井藩等の忍者なら 鉛玉を投げる事も可能なのかどうかだが
01-26 09:26
https://t.co/CRjKM2eS0I >ほかには「カブトワリ」という特殊な鉛玉を使った「無角投げ」、 ワタリのカブトワリは 鉛製だが こうした尖った鉛玉は忍者は放っていたのかだが https://t.co/hq8GiVCuA9
01-26 09:57https://t.co/PFdutaPvnO >弥生期の投弾用の石は、形状としてはラグビーボールを小さくしたもので、長さ3 - 5センチメートル、幅2 - 3センチメートル、重さにして、20 - 30グラム[12]。軍用に加工した飛礫種は、約3寸(約9cm)の平たい丸石で縁欠いてある。
01-26 10:04鉛製の 平たい戦闘用礫が有る可能性も有るのかだが
01-26 10:05https://t.co/3grld1rhxN ローマだと尖った鉛スリング弾が有るが 日本の礫でこうした物は有るのかどうかだが
01-26 10:16https://t.co/4PIbC68iZl >清川教授によると、弘前藩は、アイヌが蜂起した1669年のシャクシャインの戦いでアイヌと松前藩双方の情報を収集、国元を通じ幕府に戦況を報告したとされる。その後、4代藩主・津軽信政が甲賀忍者の中川小隼人を召し抱え、早道之者が結成された。
01-26 10:26>しかし、家老・棟方作兵衛貞隆が死去すると、政敵の圧力により1756年に解散。この政敵の失脚後、早道之者は5年の時を経て再結成され、明治初期の1870年まで存在した。 これらの経緯を踏まえ、清川教授は、棟方家の関係者が忍術を後世に伝えるために1756年頃に著した可能性が高いとみている。
01-26 10:26>漢字と片仮名を交えた文章からも江戸中期のものとみてとれるという。 清川教授は「早道之者は日本で最も大人数で組織的に活動していた。伊賀や甲賀の忍者が江戸時代にはほぼ出番がなかったことを考えると、弘前の忍者の独自性が光っている」と話した。
01-26 10:27早道之者も シャクシャインの戦い後のアイヌ対策で 作られた可能性も有るのかどうかだが
01-26 10:28https://t.co/sRfjIYR6F4 >同大忍者部顧問の清川繁人薬学部教授によると、早道之者の結成は1669年にアイヌが松前藩に挑んだシャクシャインの戦いで、弘前藩からの派遣部隊が戦況を確認する諜報活動を行ったことがきっかけ。
01-26 10:33>実際に諜報活動を行った杉山八兵衛吉成は関ケ原の戦いの後、津軽に逃れてきた石田三成の次男重成の子で、三成からは孫に当たる。杉山の死後、諜報活動を行う者として甲賀忍者とされた中川小隼人を弘前藩が江戸でスカウトし、早道之者の結成につながった。
01-26 10:33>早道之者は杉山家の指揮下で活躍し、諜報活動のほか、蝦夷地や弘前藩内のアイヌの対応をしたとみられる。 早道之者もアイヌ対応を やはり考慮していたと言う事なのかだが
01-26 10:37https://t.co/OTChFetGCy >当初の任務はアイヌ民族の動向の監視が主であったが、ロシアが蝦夷地に来航を始めるとそれに対する警備のため早道之者が動員された[2]。幕末には60名の忍びが弘前藩に仕えていたことを記す名簿も残されている[3]。
01-26 10:39>1807年の文化露寇の際に、伊賀組同心の平山行蔵は罪人で構成された軍を蝦夷地に派遣するという策を幕府に上申しているが、これはその性質上盗賊と関連のある忍者集団の再興を意味するとの意見もある。ただし、この策は幕府に受け入れられることはなかった[4][5]。
01-26 10:40RT @heianwaki: それとは別に、日本が50年ぶりに外貨準備金の金80トンを追加すると発表し、大騒ぎだ。金本位制(または類似)に移行するなら、預金封鎖と新円切り替えの可能性が非常に高い。国家としての日本は、何かを警戒している。もちろんアメリカ共和国だろうな
01-26 10:46https://t.co/3qkbUt6Nxm>金本位制への準備か?>18日に国会審議が始まった第3次補正予算の成立後に80トン増え845トンとなる見通し。>>104単なるリスクヘッジだと思うけどねえその程度の量>>105これは買い増しのうちの一部だけやで合計したらえらい量を買う
01-26 10:50RT @heianwaki: もちろん、アメリカ共和国が成立したなら、新ドルに切り替えだ。ワシントンDC(アメリカ共和国からすれば外国の都市国家)が、今もなお軍隊で包囲されている。アメリカの保守派の民衆は、ポップコーンを食べながらゲラゲラ笑っていることだろう。
01-26 10:52RT @heianwaki: 最後に、トランプは計画倒産のプロだ。国家も当然、馬鹿な経営をしていたなら、いつかは倒産(デフォルト)する。こんな不名誉なことを誰かがしなければならないのなら、トランプがするのだろう。これほどアメリカの民衆と世界中の民衆に愛されている男なのだから。
01-26 10:52RT @tbafmmw: @heianwaki 新しい500円玉の発行をやめたようですよね。なので、こういうことなのかなと思いました。
01-26 10:52RT @ushironoshoume2: @PP51099204 @heianwaki https://t.co/2apBsgEqMT
01-26 10:52菅政権もトランプ派の新ドル発行に備えて 金を買い増しているなら トランプ派と連携している可能性が高いと言う事なのかだが
01-26 10:57所謂GESARA的な事が行われるとしても 隠されていたと言う新技術の公開が無い限り 物価高騰を招く危険が高いのかだが
01-26 11:06https://t.co/XzjgteSuUm 赤穂浪士の持つ様な短弓だと 左の芳年の浮世絵の様に 矢筒が装備される例も有るのかだが
01-26 12:12https://t.co/hb7STmOiTw 現存している短弓だと そうした矢筒が利用される例は今の所見ないが
01-26 12:16RT @3618Tekubi: 漫画「ナルト」にて「これが私の忍道だから」という台詞が登場したり、ゲーム「忍道シリーズ」などで『忍道』という言葉が一般にも知られるが、伝統的にあった言葉なのか?と言うと実際にある。『忍道階梯論和漢忍利證語抄』という傳書が年代は不明だが(1630…
01-26 12:22RT @La_Pla: 忍者の流派で 風魔が実在しない と知った少年時代…を思い出した。漫画なんかで普通に伊賀・甲賀・風魔みたいに出てくるから、本気であると思ってたからショックだったなぁ。w https://t.co/Lodiaxvjp1
01-26 12:33https://t.co/FolXG0Qobd 風魔を慶長見聞集で記述した 三浦浄心は1565年生まれであるなら 風魔の存在と言うのは果たして 無いのかどうかだが
01-26 12:40https://t.co/x0noMa4w2d >後北条氏の旧臣で小田原合戦の籠城戦を体験したという三浦茂正(法名は三浦浄心)の著書である『慶長見聞集』から、後北条氏に関わる記事を後に茂正の旧友と称する人物が抄録したもの。 北条五代記の風魔の記述は 三浦浄心の物では無い可能性も有るのかだが
01-26 12:42何れにせよ北条が忍者を用いていた可能性は有り 関東だと騎乗する忍者・盗賊も多いと言う事なのかだが 北条五代記の風魔の様に大量に戦闘利用されていたか迄は 不明と言う事なのかだが
01-26 12:43https://t.co/IBcOQyUNok >北条氏滅亡後の風魔衆ですが、「慶長見聞集」によると「関東に頭する大盗人千人も二千人と候べし。これ皆古して名を得しいたずらもの、風魔が一類らっぱの子孫ともなり」とあり、関東を荒らし回る千人から二千人の大盗賊集団がいて、彼らは風魔を名乗っていたとあります。
01-26 12:47北条時代に1000-2000人の風魔忍者が 居た可能性と言うのも有るのかだが
01-26 12:48https://t.co/fFXRGkMvkU>慶長見聞集 >元は『見聞集』と呼ばれる52冊の大作であったが、後に『そぞろ物語』『北条五代記』『順礼物語』『見聞軍抄』に分冊して、その残りが『見聞集』と呼ばれ、
01-26 12:52>更に類似の書物との区別のために自序が記された慶長19年12月25日(1615年1月24日)の元号が冠されて現在の書名となった(ただし、実際には次の元和年間に追記された部分も含まれている)。
01-26 12:53慶長見聞集の風魔の記述は元和迄には有るが 北条五代記だと寛永期以降の部分も有ると居う事なのかだが
01-26 12:54三浦浄心は1644年迄生存しているとすると 寛永期の記述も 一部は誤りでは無い可能性も有るのかだが
01-26 12:59RT @tono_mikado: 名越高家の額に命中して脳を砕き骨を破った鏃がなんで首から突き出すのか(額への入射角からはそうならないはず)解明しないかな。 https://t.co/e8Nph1i8xb https://t.co/rZyqRAACD5
01-26 13:09RT @x0QJnFV472kv0qF: @tono_mikado @kerpanen 上からとんできたのを仰いだときにどまんなかにあたって後頚部に抜けた…でしょうか…史実が良くわからぬのでなんともいえませぬがキニナル(*´ー`*)
01-26 13:09https://t.co/zkq4KBvIfZ >爰に赤松の一族に佐用佐衛門三郎範家とて、強弓の矢継早、野伏戦に心きゝて、卓宣公が秘せし所を、我物に得たる兵あり。態物具を解で、歩立の射手に成、畔を伝ひ、薮を潛て、とある畔の陰にぬはれ臥、大将に近付て、一矢ねらはんとぞ待たりける。
01-26 13:13>尾張守は、三方の敵を追まくり、鬼丸に着たる血を笠符にて推拭ひ、扇開仕ふて、思ふ事もなげに扣へたる処を、範家近々とねらひ寄て引つめて丁と射る。其矢思ふ矢坪を不違、尾張守が冑の真甲のはづれ、眉間の真中に当て、脳を砕骨を破て、頚の骨のはづれへ、矢さき白く射出たりける間、
01-26 13:14>さしもの猛将なれ共、此矢一隻に弱て、馬より真倒にどうど落、 眉間から首を射抜かれてやられた 名越高家は 下を向いていた時に正面から矢を受けたか 上からやられた可能性も有るのかだが
01-26 13:17こうした形で 矢が刺さっていたのかどうかだが https://t.co/zpFYh1CGkR
01-26 13:24現代のヘルメット・ボディーアーマー装備の軍格闘術だと 胴や兜で刃や打撃技を受けてのカウンターと言う 甲冑剣術的な要素も有るのかだが
01-26 14:34RT @inuchochin: 窪田派田宮流の居合刀、不動丸。重さ6キロ600グラム。日本刀は重いから振るのがタイヘン論者がたまに「刀は数キロあるから」というけど、実現するとこんなの。プロポーションがおかしいhttps://t.co/2BU4gXWLmn
01-26 14:52https://t.co/KINEMyfk7o >中にも山名が郎等、因播国の住人に福間三郎とて、世に名を知れたる大力の有けるが、七尺三寸の太刀だびら広に作りたるを、鐔本三尺計をいて蛤歯に掻合せ、 太平記には 根本から3尺が厚いかも知れぬ刃長7尺の大太刀が出て来るが こうした物の重量はどうなのかだが
01-26 14:59>二刀の戦い方の要諦は、鶴翼の陣、あるいは城塞の構えと言われるごとく、どっしりと構えて、じわりじわりと包み込むようにして相手の攻撃を封じ込め、詰め将棋のように相手を追いつめて行って、ここぞというときに一太刀で決める。こういう戦い方をしなければならないのじゃないかと思いますが、
01-26 15:07>昨日の試合では、相手がなまじ攻撃力があるものだから、その攻撃を押さえて、陣形を整えておくことに我慢しきれず、自ら城門を開いて一点突破の突撃敢行をしてしまった。
01-26 15:07>これは、千代田区でのお話ですが、元々、中下段っぽい構えのようで、抑えに>いくと間合いを切られるようなかんじでした。うーん、それは戦法として有効かもしれませんね。小太刀が押さえようとして不用意に伸びてきたのを引き下がってはずせれば、あとは片手上段が残るのみです。
01-26 16:12>小太刀の外側からの突きを狙う。そうですね、小太刀の打ち側から突を狙うのは、押さえ込まれて打たれそうで恐いものです。実際、二刀の方はそれを一番狙っておられる(笑) しかし、外側からの突は自由に動く小太刀に簡単にはじかれてしまい、押さえ込まれるのよりも体勢に乱れが生じてうまくない
01-26 16:33>中村先生の二刀は、小太刀の使い方に特徴があると考えております。先生のは小太刀に「攻め」があるんです。他の方は小太刀は 1.お相手の竹刀を押さえるなど、太刀での攻撃の補助に使う 2.太刀での打突後、空いている部位を防御するといった感じですが、
01-26 16:58>中村先生のは小太刀そのものに攻めが効いてます。ゆえに、一刀の構そのものを浮かされてしまう(一刀同士で対戦し上位者に攻められたときのように)からだと考えておりましたが・・・(^^;
01-26 16:58>まさに、そのとおりですね。私の場合、Hide.さんの霞からの攻撃に対して、どうやってツキを押さえようか?どうやって小手を守ろうか?と考えていたのですが、中村師範は、小刀で私の霞の構えそのものを攻めてきました。
01-26 17:01>あらかじめ霞からのツキ、コテ打ちの太刀筋を読んで、その太刀筋を小刀で攻めてくるので、打突自体が封じられてしまいました。打って行って、押さえられるとか、かわされるのではなく、打突そのものが出来なくなってしまったのです。
01-26 17:01>小刀の攻めの強さを鍛えることは、先日戸田先生にも指摘され、小刀のみでお相手を制するだけの攻めの力を付けるようにアドバイスされました。難しいですけどね。今後一番の課題です。
01-26 17:02>もし、小太刀だけで一刀を攻め崩すことができれば、一刀の側には太刀を受け止めるだけの余力は残らないことになります。2-1=1の理屈です。いやぁ、二刀おそるべし!そうなってしまったとき、一刀としてどのようにお相手を攻めるかが問題ですね。
01-26 17:09>それから考えると、やはり上段の構が有効なようです。小太刀で上段は攻められません。勢い受けに回らなければならず、「十字の構」で防御に徹する以外の方法がないように思いますが(^^)実は、私の「中段高霞」も中段と上段の良さを合わせた効果を狙っての構なんですけどね(^_-)~☆
01-26 17:10>「霞対策」ですが、こちらが想像していた通り、小刀の構えが高くなり、剣先が「中段高霞」の剣先にピタッと合っていました。この状態ですと、こちらが片手突にいっても小刀の左鎬でコースを替えることが可能です。また同時に、小刀を持つ右小手も狙いにくくなってしまいました。
01-26 17:12>つまり、こちらからは攻撃の手段を2ヶ所も奪われてしまう結果になったのです!
01-26 17:16>もうひとつの課題は、正二刀に対する構でした。前回までのお稽古で、正二刀に対しても「中段高霞」を使っておりましたが、どうも、太刀の片手面のコースを呼び込んでいるような感じがしていました。そこで、「正二刀と逆二刀はまったく違う構であり、その戦術もまったく異なる」
01-26 17:17>という考え方に直して、正二刀に対して平正眼を高くした構え「高平正眼(と命名)」をとってみましたヽ(^.^)ノりょうさんが腰を痛めている関係もあり、また、稽古時間も終了間際でしたので、ホンの3合しか立会いませんでしたが、太刀の面に対する備えが「中段高霞」よりもいい感じでした。
01-26 17:17>それにしても、毎回の稽古の度に新しい気づきと更なる工夫を要求せられるようなお稽古相手に恵まれるのは、本当にありがたいことですね。二刀というだけで屁理屈をこねて逃げてしまわれる人もいる中で、真正面から応じて真剣に渡り合ってくださるHide.さんには感謝感激です。
01-26 17:22>実はね、こちらが小刀を高く構えれば、Hide.さんの霞の構えもそれに対応して高くなるだろうと踏んで、その高くなった霞の左小手を打ってやろうと狙っていたんですよ。σ(^^)ところが、Hide.さんの霞は高くならずに、逆に低くなって、
01-26 17:29>その低い位置から、逆胴と左小手を主体に攻めてこられた。(゜o゜)これでは、こちらも小刀を高い位置に維持するのは難しくなってしまいました。(+_+)相手の構えに単に応じるのではなく、その弱点を素早く見つけて、そこを積極的に攻めてくる姿勢に、Hide.さんの剣風をかいま見た思いです。
01-26 17:30>実はね、こちらが小刀を高く構えれば、Hide.さんの霞の構えもそれに対応して>高くなるだろうと踏んで、アハハ、合わせてこちらの霞を高くしても、そのコースから突や右小手が狙えるわけではありませんから、ムダだと思いましてね(^^)
01-26 17:35>ところが、Hide.さんの霞は高くならずに、逆に低くなって、>その低い位置から、逆胴と左小手を主体に攻めてこられた。(゜o゜)あの小刀の位置からだと、右脇があいている分、面を打つための押さえが難しくなる。
01-26 17:36>しかも、両腕とも上にあがっているに等しいので、バランスもアップになってて不安定。こちらの左小手に反応しきれなかったのは、小刀を気にしすぎただけが理由ではないかもしれませんね(^^)
01-26 17:36RT @takuyafutaesaku: プラトンは強かった!ソクラテスはもっと強かった!坂本龍馬も、勝海舟も、剣術強かった!面白い!@airi_smile https://t.co/66L8k3zKgf
01-26 17:51>以前に戸田先生もおっしゃっていたように、二刀というのは、一点突破を目指す攻撃の構えではないですね。戸田先生が鶴翼の陣と形容されるように、一点突破を目指して攻撃してくる一刀を、周囲から包み込むようにして討ち取るのが二刀の基本的なスタイルです。
01-26 18:25>稽古のときには、相手方も「何とか二刀を討ち取ってやれ」という思いで積極的に攻撃をしかけて来ますが、試合ともなれば、逆に打たれたくないという思いが働いて、容易には攻撃してこなくなってしまいます。
01-26 18:26>遠く間合いを取って、なかなか仕掛けきてくれないと、片手打ちとはいえ、通常より6センチ余りも短い竹刀を使う二刀にとっては分が悪いですね。あっという間に試合時間が過ぎ去ってしまいます。
01-26 18:26RT @NAOKONO6: フリン将軍の最新テレグラムより(1月26日)The best is yet to come⛈(これから最高の事がやってくる)ワクワクする💫🌎 https://t.co/TH1XLvTpoX
01-26 21:00RT @scivan61: 国防総省は、1月26日に国防総省の衛星視聴場所でニュースメディアの座席を割り当て、グアンタナモ定期審査委員会の未分類部分を議論します https://t.co/mVkMX7tRNm
01-26 21:04RT @scivan61: 「定期審査委員会は、国防総省、国土安全保障省、司法省、および州の高官;統合参謀本部で構成される組織。また、米国の安全に対する継続的な重大な脅威から保護するために、グアンタナモに収容されている特定の個人の継続的な拘禁が引き続き必要かどうかを検討する」
01-26 21:04
- [2021/01/27 04:08]
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