11/01のツイートまとめ
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boukenkyuu
RT @3618Tekubi: 正面からの戦闘では不利な敵が現れたら作戦を練る。人数、奇襲、武器、遁走、火計など。忍術とはこの戦略の事であって戦闘は武術の範疇。だから武道の試合の中で忍術をというのはちとフレームが違う。一応、忍術の稽古の中で培う武術の技も多少はある。…
11-01 11:02撒菱を投げる等と言うのは 忍者以外では有るのかどうかだが https://t.co/3MMPA1JmtY 一方で福井藩の忍者だと 撒菱の携行は無いと言う事なのかだが
11-01 11:20福井藩の忍者が携行する 打鈎(鈎縄)で戦っていたとしても これは忍者固有の物なのかだが
11-01 11:21太平記の笠置城攻防戦では 通常の兵が鉤縄で潜入しているが これを武器として使える者は居なかったと言う事なのかだが
11-01 11:27RT @3618Tekubi: 武術が強いに越した事は無いけれど忍びとしては、あまり勇名が知られたり、いかにも強そうな感じが外に見えてしまうと、作戦によっては向かないものもあったと思われる。
11-01 11:38武術の強い忍者と言うのも 銃の名手が大半と言う事なのかだが 手裏剣の名手次郎坊も居るだろうが 白兵戦が得意な者だと 畑時能とその部下以外は居るのかどうかだが
11-01 11:40太平記だと武術の強い者で 忍術的な野伏戦が得意な者も居ただろうか
11-01 11:41銃が出る前だと 弓や投石が上手い者が 多いと言う事なのかだが
11-01 11:44福井藩の忍者だと半弓装備だが 名手級の腕を持つ者等は居るのかだが
11-01 11:45https://t.co/3MMPA1JmtY 福井藩の忍者だと兜・頬当迄有る 徒武者的な装備だが 太平記の畑時能とその部下が 大鎧と鎖帷子を使い分けていたと同様に 軽装で潜入した例も有るのかどうかだが
11-01 11:48
https://t.co/ljZSbMQwBb >此三人の者共、闇にだになれば、或帽子甲に鎖を著て、足軽に出立時もあり。或は大鎧に七物持時もあり。 畑時能とその部下も 夜間の潜入時でも鎧を重装とするだけでは無く 七物に含まれる長物を装備する例も有るのかだが 福井藩の忍者はそこ迄は無いのかだが
11-01 11:54https://t.co/VgGkxh5oF7 >其夜は九月晦日の事なれば、目指とも不知暗き夜に、雨風烈く吹て面を可向様も無りけるに、五十余人の者ども、太刀を背に負、刀を後に差て、城の北に当たる石壁の数百丈聳て、鳥も翔り難き所よりぞ登りける。
11-01 12:06太平記の笠置城に潜入した兵だと 崖を登る為に恐らく長物は無いが 大太刀を背部に回して装備していた可能性は有るのかだが 鎧は敵兵への偽装も考慮して装備していたと言う事かも知れぬが 大鎧迄は有るのかだが
11-01 12:08https://t.co/BRGPtTDjBb こうした形で腰に長物を 装備して潜入した例も 或いは有るのかどうかだが
11-01 12:15https://t.co/8Bvy3WYSAe >兵百五十人をすぐて、其日の暮程より、金峯山へ廻て、岩を伝ひ谷を上るに、案の如く山の嶮きを憑けるにや、唯こゝかしこの梢に旗許を結付置て可防兵一人もなし。百余人の兵共、思の侭に忍入て、木の下岩の陰に、弓箭を臥て、冑を枕にして、夜の明るをぞ待たりける。
11-01 12:22太平記で金峯山城に潜入した150人の足軽は 弓も装備しているが 地形対応を考慮して 半弓装備の可能性も有るのかだが 兜だけでは無く鎧も有ると言う事なのかだが
11-01 12:25----マロニーはなかなか隙がなくて動きをとめず的を絞らせなかった。 逆に井上に対して攻め手もなかったけれど。 井上は隙が無いから色々と工夫を交えながら 突破口としてはカウンターを狙いはじめて、 最後はほんと...#Yahooニュースのコメント https://t.co/8SRjkOHFyK
11-01 12:52ガードを固めつつ足を最大限使って的を絞らせない様にしても 攻撃時にカウンターを受ける危険は有ると言う事だろうか
11-01 12:54RT @tunayoshi0003: モロニーもかなり井上対策してたみたいだけどやっぱパワー差が出たなガード固いから強引に前出て右のショートアッパーと左ボディでガード下げさせる→離れたら重い左ジャブで削られる→踏み込んで来た時にカウンターの左フックが当たる丁寧な倒し方だ…
11-01 13:05RT @NGDC16: @GoLneewZo7tlu7a ちょっと反応が鈍かったですね。5Rにもちょっといいのもらってましたし。試合勘の問題なのか、目なのか。ただ、モロニーのリードは相当切れてて、普通の一流ボクサーではあれだけで削られるだろうなとも思いました。まあなんやかんや…
11-01 13:08RT @rereyama: しかしドネアといい、モロニーといい、この位の階級になってくると体格差も感じるし、なにより相手がタフだなー。恐らくどれだけ身体を作っても骨格的に井上が上げられる階級はもう一個くらいが上限なんじゃないかな。その点ではやっぱパッキャオはすげぇ
11-01 13:11RT @miyo_photo: 馬は走らせるのは難しくはないが、一度火の着いた馬を止まらせるのは難しい。また勝手に走り出すと手に負えない。神降ろしも同様、降りる時は難なく降りるが、一度憑いた神を神送りするのは難儀する。また日常で勝手に憑くようになると手に負えない。その為に作法や…
11-01 14:15畑時能とその部下・唐沢玄蕃も昼も重装備で戦闘しているが 福井藩の忍者はどうなのかだが
11-01 14:21https://t.co/zncjn4i2Q7 手甲の様な左右を連結する紐の有る 鎖籠手が描かれている可能性も有るのかだが
11-01 15:12https://t.co/WkUF752NCD 北斎漫画に有る様な指固めが 描かれていると言う事なのかだが
11-01 15:13https://t.co/EAkTmbGETs 左の北斎漫画の 右下の技が描かれていると言う事なのかだが
11-01 15:17RT @kamaeatte: 何年か前の歴史人に桐野作人氏による薩摩島津軍の記事が載っていた。それによると島津義久は元亀元年(1570)の軍役規定の中ですべての諸士に鉄砲の装備を命じていて、これは無足衆と呼ばれる五反(約十二石五斗)未満の小身の家臣には大名側から鉄砲と弾薬を支給…
11-01 18:18https://t.co/v0hV54rsCn >薩摩勢は鉄砲の数が少なかったが多くの弓を持ち、短い槍と非常に長い太刀を備えていた。 フロイス日本史の1584年の沖田畷の戦いだと 島津軍の鉄砲は少ないと有るが 此れは誤りと言う事なのかだが
11-01 18:21https://t.co/DuWNLoMt1T 此れは髪型も服同様に 蛸を意識していると言う事なのかどうかだが
11-01 20:11RT @kamaeatte: それにしてもこの軍役規定、実現できたんだろうか。元亀元年時点では難しそうな気も...
11-01 20:561570年の野田城・福島城の戦いでは 雑賀衆・根来衆の銃は3000有ったと言うが 短い数打物の腰筒等なら 島津軍でも同時期に大量生産は出来た可能性は有るのかだが
11-01 21:01RT @uF5e0i91b7X8Qpv: 否決ですか吉村知事の人気が沸騰していた6月頃に投票していたら、結果は違ったかもねヨードなど下らない話で味噌をつけた、また結局大阪の感染者数も抑えられなかった事で、失速したのかも大阪都構想、反対多数 大阪市存続へ(朝日新聞デジタ…
11-01 23:19
- [2020/11/02 04:08]
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