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2021.09

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09/16のツイートまとめ 

boukenkyuu

豆腐など「大豆食品」で膵臓がんリスク上昇?日本での研究より(ダイヤモンド・オンライン)#Yahooニュースhttps://t.co/uA890piHSs 味噌や納豆は そうしたリスクは無いと言う事なのかだが
09-16 09:17

岸信夫防衛相が兄に毒を盛った オバマゲート関係者を 英連邦や米南部と協力し打倒と言う事に成るのかどうかだが
09-16 10:12

河野行革相は政府内部のオバマゲート関係者の洗い出しと排除 何れ入閣する橋下総務相が メディア中心にオバマゲート関係勢力を粛清と言う事に成るのかだが
09-16 10:15

RT @KobujutsuDojo: 馬術同様、地上とは違う水中での身体のコントロール、バランスが求められる泳法。奇しくも両者は徳川家康がこれだけは自ら修得しておけと強く勧めていた武芸でした。泳法水術の先生との和式馬術の検証稽古も行う予定です。『泳法と馬術』どのような出会いとな…
09-16 10:33

https://t.co/8uzyrWriCd >わざわざ「信長は水泳が得意だった」とも書かれているので、かなりのものだったのでしょうね。>尾張周辺は、他国との境界線がほぼ川や海です。となれば、織田氏から攻めていくにしろ、迎え撃つにしろ、水場の近くが多くなるわけです。
09-16 10:36

>義隆の甥っ子で養嗣子だった大内晴持が、海から船で撤退しようとしたところ、船着き場で「我先に」と殺到する兵に船ごとひっくり返され、溺死してしまったのです。  >信長は天文三年(1534年)生まれですから、家臣や城下のうわさ話などで、この件を聞いた可能性も十二分にあります。
09-16 10:40

https://t.co/jPSJcV7c9q >また水泳の方は小さいころ徳川家康に教えたというほどである。
09-16 10:46

https://t.co/LNTl22nDZd >「人して代はらしむる事のならぬわざなり」。こちら、徳川家康の残した言葉である。直訳すれば、「人に代わってもらうわけにはいかないもの」。何について語っているのかというと「負け戦の騎馬」と「泳ぎ」の2つについてである。
09-16 10:50

>しかし、戦に負けてしまえば、そうは言っていられない。全軍撤退して逃げなければならないからだ。だから、どんなに偉い大名であっても、自らが馬に乗り、川で泳ぐ。この「負け戦の騎馬」と「泳ぎ」の2つだけは、いくら家臣でも代わりをさせることはできない。そんな意味が込められた言葉なのだ。
09-16 10:53

『仙台の殿様,鉄砲がお好き』⇒ https://t.co/0OcLH8k0zT  >二代藩主の忠宗は十五間(約27メートル)先の釘を狙って外さない腕前で,100発100中の妙ありと伊達自家記録に記されている。   50m程度なら 防弾胴以外を狙撃出来たと言う事なのかだが
09-16 12:42

『伊達の鉄砲と伊達政宗の天下飯』⇒ https://t.co/WOOi1P8kqO >佐竹芦名連合軍は,総勢三万,迎え撃つ伊達勢は七千に過ぎなかった。 >危うい所で虎口を脱した政宗だったが,この日の戦いで,その鎧に銃弾5発と矢1本を受けていた。政宗は,鉄砲の有用性と恐ろしさを身を持って学んだことだろう。
09-16 13:02

https://t.co/1fBz79u5wG 1584年の沼尻の戦いでは 佐竹・宇都宮連合軍は北条の騎兵に対抗する為か 8000丁もの銃を利用したと言うし 1586年の人取橋でも銃が多用されたと言う事なのかだが 此れの影響で伊達軍も銃が増えたのかどうかだが
09-16 13:06

佐竹義宣の30kgの胴等が有るのも 銃の危険性を理解しての物なのかだが
09-16 13:14

雪下胴も佐竹の大量の銃に対抗する為に 作られた可能性は有るのかだが
09-16 13:14

https://t.co/x4xBF8egov 苗刀・大太刀でも一撃で槍を切断出来るのかだが 柄に切れ目を入れた後 これより手前を強打して折ると言うのが多いのかだが
09-16 13:27

柄を切断するフェイントを入れて槍を回避させ その間に斬り込むと言う例も多いのかだが
09-16 13:28

切断を回避させた際に 柄を掴むと言う例も有るのかどうかだが
09-16 13:33

スペインの槍には倭寇に掴まれるのを回避する為に 油が塗って有ったと言うが 明軍も同様の事はしていたのかだが
09-16 13:35

https://t.co/Rvs2hKp1j9>後に故殿家人殿村平三と云ふ者、愛曾が知音(=親友)にて、此甲の鉢と半首(はつぶり)を取出て見せて、「今川殿はいかなる剣を持ち給ひて、随分某(それがし)がためしたる甲と半首をわり給ひて、鉢巻き切て頭にすこし疵をかうぶりき。
09-16 14:37

>眼(まなこ)くらく成りしかば引退し」と語りき。 https://t.co/IRb1Lz904P 此れは1336年の事だろうが この時点でも半首は利用されていたのかだが
09-16 14:41

難太平記は1402年成立であるから この時点でも半首が頬当と併用されていた可能性は有るのかだが
09-16 14:43

https://t.co/wV1jOPIi1S >相模国湯本で、海道の敵が要害を構えて支えていたので、北の山に登って式部入道殿の手勢だけで攻め下り、敵の大軍の中に馳せ入って敵陣をお破りになった。 今この難所を見ると、人馬の通えるような道ではない。一ノ谷よりも急な岩の崖を五町ばかり攻め下られたのである。
09-16 14:59

https://t.co/lAbpdmtFpD 具体的場所は不明だが 湯本付近は高山が多いだろうか
09-16 14:59

>刑部少輔殿範満は、同じ時に武蔵国小手指原でお討たれになった。重病だったのを馬にかき乗せられて、力革に両足を結びつけて戦ったという。股(もも)を切り落とされて、酒田左衛門という家人に頸をお取らせになった。   足を負傷した場合でも こうした乗り方はしていたのかどうかだが
09-16 15:06

https://t.co/1NGHAKZYho >また、3の「赤鳥」は、女性が馬に乗る時に使うものなので、今川了俊が九州で見たという騎馬の女性の瑞夢とも符合しています。これらから考えると、3が今川家の「赤鳥」に該当するもののように思われます。
09-16 15:23

>・・・と思ったのですが、さらに調べてみたところ、戦国時代、今川義元(了俊の兄範氏の末裔)は、馬櫛を描いた旗を使っていたことがわかりました。  此れは南北朝期は赤垂だったが 後で馬櫛に変化した可能性も有るのかだが
09-16 15:27

https://t.co/Rvs2hKp1j9  >桃井勢は皆たかの鈴を付けたり。故殿笠じるしを思案し給ひけるに、「赤鳥(=鞍と馬の背を掩う布)を馬に付けばや」とて其夜俄に付けられき。   桃井勢のたかの鈴と言うのは https://t.co/9Fk4Ysp4ef 鷹の足に付ける鈴なのかだが 此れは傘印に付いていたのかだが
09-16 15:32

https://t.co/jfjXStJ8ee こうした現代の鷹に付ける鈴と ほぼ同様の物なのかだが
09-16 15:37

https://t.co/FCmaKwc8qL >すず‐つけ【鈴付け】 の解説鷹の尾羽の中央の2枚の羽。鷹狩りで、そこに鈴を付けることから言う。「鳥を一羽づつ―の羽に赤符 (あかじるし) を付けて」〈盛衰記・一〉   鷹の尾に付くタイプの 鈴も有るのかだが
09-16 15:43

https://t.co/4R1ArcjQtd この尾の鈴は 古い形式の物なのかだが
09-16 15:49

https://t.co/OcD3qYzprA 刀で銃弾を弾いている浮世絵なのかだが 峰側を前にして 刃が割れるのを防いでいるのかどうかだが 石ならこうした形で弾いた例は現実に有るのかだが
09-16 18:18

RT @KY08311744: オバマゲートかなと私は予想しています。楽しみ〜😊 https://t.co/cFY90k2xOO
09-16 20:26

RT @kamaeatte: https://t.co/rrkSPsefzh大坂夏の陣の際の加賀前田家「軍役及び指物等之儀御定」をみると役職ごとに羽織や兜の立物、指物などの軍装が指定されているが、「馬上之鉄砲衆」と「馬上之御弓衆」の指物はどちらも同じ「四半はば三尺、長さ三尺五…
09-16 21:38

https://t.co/dSAqcmhoml 大阪夏の陣だと前田軍は15000なのかだが 100人の騎馬銃弓兵は撤退の援護及び 追撃用と言う事なのかだが
09-16 21:41

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