FC2ブログ

Category

2021.09

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  

09/04のツイートまとめ 

boukenkyuu

具足の脛あて https://t.co/AmlmYwWGNH  此れは戦闘用の 藍染の脛巾なのかだが 忍者や野伏がこうした物を利用する例も有るのかどうかだが
09-04 10:05

伊達の忍者 黒脛巾組の脛巾は こうした物だった可能性は有るのかだが
09-04 10:07

https://t.co/oCwF2pGYse >今川義元の運が尽きた証拠は、国境の桶狭間村(愛知県名古屋市緑区~愛知県豊明市)で戦ったことである。清洲など、平坦な濃尾平野での戦いであったなら、小軍が大軍に勝てる訳がない。
09-04 12:43

>しかし、桶狭間村は、谷が入り組んでいて、足場の悪い深田あり、高低差もあり、草木が生い茂って兵が隠れたり、逃げるのに邪魔になったりする場所もあるというという難所であった。   信長軍もこうした場所だと 野伏の支援は受けられたのかどうかだが
09-04 12:44

https://t.co/XpXcbQAOdF 桶狭間近辺も 余り起伏は無い様に見えるが 部隊を隠すには十分な物なのかだが
09-04 13:05

https://t.co/MPkXiWhLS9 今川軍も左の様に兵力を分散し 本隊付近の兵数は信長軍と余り差が無くなっていた状態で 奇襲を受けたと言う事なのかだが
09-04 13:06

https://t.co/lFMZZxYPTD グーグルアースで見ても 桶狭間近辺は平坦で開発されている場所と言う事だろうか
09-04 13:25

RT @kerpanen: 平安鎌倉期、騎乗の大鎧武者による騎射戦闘が盛んだった時期がある。大鎧は防御の上では騎射に特化していたが兜の大きな吹き返しなど弓は引きにくく狙いにくい。それでなくても高速で移動する騎射のチャンスは一瞬だったので、有効射程はごく短く、動目標は5.5-7.…
09-04 13:35

RT @kerpanen: @qEWAU5TVs8A9HIZ 一騎打ちで、互いに箙の矢(各24本が標準)を射尽くしても勝負がつかず、組討ちになったというような話も聞きます。大鎧の防御力は大きかったんでしょうね。
09-04 13:35

太平記等だと大鎧や兜鉢は矢で貫通しているが 鎧が二重である場合は太平記では 基本的に貫通しないとされていただろうか
09-04 13:37

装甲が二重で無く共下に綿入れを着ている寒い時期では 貫通し難いと言う事かも知れぬが 兜鉢の下には綿入れは無く 烏帽子や鉢巻は矢に対する防御力は低いと言う事だろうか
09-04 13:39

鎌倉期から使われる鉢巻は この巻き方だと 二重とは成るのかだが 烏帽子の上に鉢巻は有るのかどうかだが https://t.co/O5huIgpu3a
09-04 13:59

蒙古襲来絵詞だと 鉢巻が無い者も依然居ると居うことなのかだが 鉢巻を前で結んでいる様に見える例も有るだろうか 烏帽子と鉢巻は 一部重なるのかどうかだが https://t.co/JMtunFLCag
09-04 14:06

兜鉢も鉢巻の無い場所の上部は湾曲しているから 矢で貫通し難いと言う事なのかだが
09-04 14:07

https://t.co/twVS0o0r8J 梨子打烏帽子も鉢巻と重なる部分は有ると言う事かも知れぬが 厚みは無いと言う事なのかだが
09-04 14:13

鉢巻も布が2重なら 巻き方を考えると4重と成ると言う事なのかだが 高級品は絹製も有るのかだが
09-04 14:31

赤い位置に4重の布の鉢巻が有れば 兜鉢を貫いた矢も止まる可能性は有るのかだが モンゴルの矢を止めると言う絹の下着同様に 衝撃は可成り受けると言う事なのかだが https://t.co/V5YQnn4sNz
09-04 14:52

https://t.co/fodeIOBbaS >三位の中将は、童子鹿毛と言ふ聞こゆる名馬に乗り給へり。盛り伏せたる馬ども、容易う追つつくべしと見えざりければ、梶原、もしやと、遠矢によつ引ぴいてひやうど放つ。三位中将の馬の三頭を篦深に射させて弱るところに、
09-04 15:12

騎射でも梶原景季が 遠射をして平重衡の馬に当てたと言う例も有ると言う事なのかだが 300m等では無いと言う事なのかだが
09-04 15:14

https://t.co/y8QAFmJFzy  >大のし付に車を懸けて、御伴衆、皆のし付にて候なり。  >織田信長は、大きな熨斗(金銀飾り)付で、家紋の木瓜紋を散りばめた太刀(一説に、長い太刀で、地面を引き摺るので、先端に車を付けていたという)を差し、御伴衆も全員熨斗付の太刀を差していた。
09-04 15:51

鞘の端部に車が付いていたと言う大太刀は 打刀的な差し方をしていたのかだが
09-04 15:53

RT @kamaeatte: https://t.co/oOVPW0p5dG薩摩日置流弓術の腰矢組弓。交互に援護しながら進み、弓を射る。武士がこのような連携を重視した集団訓練を行っていた例を他に知らず、個々の武勇を重視する武士の在り方とは相容れぬのでは?と思っていたが、これは…
09-04 18:51

集団では兎も角武士が個々の判断で 伏せて矢や銃弾の装填をする例は江戸末期以前でも有ったと言う事なのかだが
09-04 18:54

https://t.co/gggfxL2swC 黒田屏風だと伏せ撃ちでは恐らく無いが 可成り姿勢を低くして銃を構える例も有るだろうか
09-04 19:06

https://t.co/jifjQk15oI 弓だと前九年合戦絵巻で こうした低い構えも有るが 地面が低く無いと弓の下端部が 接触する可能性も有るのかだが
09-04 19:10

https://t.co/bWOgNxAi8w 男衾三郎絵巻の此れは 伏せ撃ちを意図しているのか 或いはやられている可能性も有るのかだが
09-04 19:14

https://t.co/ERkVTDAaY4 >その日は風が強く吹いていた(火災が発生したらすぐに延焼するであろう)。織田信長が馬で駆け回って状況を見て、「塀際に詰め寄って、四方から松明を作って持ち寄り、投げ入れよ」と命令した。   火矢利用では無く松明を投げて城を燃やす例は 太平記等では見ないが
09-04 19:34

>二の丸を焼き崩すと、敵は皆「天主構へ」(本丸)に入ったので、二の丸の入口表の高い建物(櫓?)の上に太田牛一だけが上り、無駄矢なく射かけたのを織田信長が見て、「小気味良い見事な働きである」と、   味方が敵の櫓を利用し射撃する例も 有ると言う事だろうか
09-04 19:36

>「先ず、隊列を整え、負傷した雑人(小荷駄などの非戦闘員)を先に逃し、後尾に足軽を置いて追撃に備えよ」と馬を乗り回して指示し、やすやすと撤退した。   騎馬武者は雑人と 足軽の間に配置され 乗馬して退却と言う事なのかだが
09-04 19:38

https://t.co/b8do7hWW3C 中世西欧の兜だと ギャンベゾン的な受張が有ると言う事だろうか
09-04 21:35

一重の鎧でも 太平記の札よき鎧は基本的に貫通していないだろうが 膝丸的な硬い革や 厚い革小札が利用されると言う事なのかだが 鉄板の硬化処理等は有るのかだが
09-04 21:52

https://t.co/9IGZ77g74W 鉄小札も包丁鉄だけでは無く 玉鋼的な高炭素の鉄も混ざる 偽ダマスカス構造の物なのかだが 折り返しは1-3回では 10回程度の刀と異なり強度は最大化はされないと言う事なのかだが
09-04 22:06

>室町時代末期以降の鋼板には、炭素濃度の異なる鋼を接合する「合わせ鍛え」(あわせぎたえ)や、「折返し鍛錬」が行われた鋼板が見られ始めることを明らかにしている。   防弾を考えて こうした鉄小札が出て来たと言う事なのかだが
09-04 22:12

RT @kamaeatte: よく見たら、最後に全員で筈槍(弓の先端に取り付けた槍穂)で突く動作があるんですよね。陸上自衛隊の演習の最後の銃剣突撃みたいだ https://t.co/C9W84G0Jd0
09-04 22:36

騎馬武者は接近戦では筈槍利用では無く 従者の持つ槍に切り替える可能性は有るのかだが 雑兵物語の銃を利用していた騎馬武者は 接近戦では槍に持ち替えただろうか
09-04 22:37

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://boukenkyuusha.blog72.fc2.com/tb.php/11271-8909d442