08/09のツイートまとめ
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boukenkyuu
----畠の続投あるいは代打を送るのはどちらも間違いではない。 一番いけないのは畠かアウトになった後、代打中島が初球を凡打したこと。 畠がベンチで一息つく間もなくマウンドに登らざるを得なくなってしまった。 野...#Yahooニュースのコメント https://t.co/EJ8OP8Yd41
08-09 11:26RT @kerpanen: @kakuzoumaru 簡単に言うと、昔の武士は騎乗を非常に重視して、子供はまず騎乗から習わせました。他の武芸はその後です。それは一体何故なのか。今回、生田さんが馬上武芸を試みながら、どうやらそのヒントを掴んだらしい気配があります。これから…
08-09 11:40徒武者の子供は 乗馬訓練を他の武芸より先に行っていたのかだが 足軽や野伏迄はどうなのかだが 関東なら有ると言う事なのかだが
08-09 11:41RT @PonHenyo: 凄ぇ〜!ちゃんと日本の在来馬で研究してる!逆に人の方が昔より体格が変わってるので、人馬のバランス的に難しくなってんじゃないかな? https://t.co/zTOtnVJRd0
08-09 11:52太平記だと身長180cm以上の騎馬武者も多いだろうし こうした者が皆体高150cmの馬に乗っていた訳では 無いと言う事なのかだが
08-09 11:53RT @miyo_photo: これは非常に理に適った姿勢ですね。下り坂は姿勢を立ち上げることで、膝に掛りがちな重心を修正し、上り坂は手の平を下に向けることで重心を前に乗せ推進力を得る。山で使えそうなので覚えておきましょう。 https://t.co/MMSaZUd0eu
08-09 11:55RT @truelove3121: なるほどー👀コレに似てる↓↓↓???この格好で🙆♀️呼吸をすると深く息が吸える。腕(肘)はなるべく肩と並行に開いた方がいいみたい🙆♀️胸が開くからなかぁ?顔方向に腕(肘)を狭めると呼吸が浅くなる。最近知ったの☺️ https:…
08-09 11:55山岳機動が多い野伏や忍者が 下り坂運歩を江戸期以前から利用した可能性は有るのかだが 古い絵や文献に記載例は有るのかだが
08-09 11:56RT @3618Tekubi: 傳書の図解 https://t.co/pdIlRh5nbO
08-09 11:59身長180cm程度とされる前田利家の馬 松風は https://t.co/oZLViHeOU9 体高142cmと言う事なのかだが 其処迄身長は恐らく無い本多忠勝の三国黒は 体高148cmも有ると言う事なのかだが
08-09 12:54
https://t.co/CGfHtUWp9w >一部黒とて、五尺三寸有ける坂東一の名馬に塩干潟の捨小舟を金貝に磨たる鞍を置て、款冬色の厚総懸て、 太平記の長崎悪四郎の馬 一部黒は 体高は五尺三寸(160cm)有るが 南部馬の可能性も有るのかだが
08-09 13:12https://t.co/4OwBlJhSqo 南部馬なら 体高5尺(151cm)の盛号は現実に存在したと言う事だろうか
08-09 13:15柿染・藍染は防虫効果は現実には無いと言う意見が多いが https://t.co/1uAMuUZefE 左のシカブには有ると言う事なのかだが 煙が出るので野伏は 隠密行動中は利用しないと言う事なのかだが
08-09 13:32----攻撃と守備で同じ量走るのでは疲れ方が違う。 川崎は常に守備の時間を少なくして、攻撃に時間を割くことができてる。且つ人よりもボールを動かすサッカーをしているのも川崎らしいサッカーである。 以前から“夏場...#Yahooニュースのコメント https://t.co/7stAtBABxl
08-09 13:40----走る必要がない展開を作れるだけで別に走らないわけではない。デュエルしないのではなく当たられる前にさばいているだけ。中村俊輔がスコットランドにいるときに一対一ではかなわないからかわすことを覚えたと言って...#Yahooニュースのコメント https://t.co/UgdVlUy08a
08-09 13:41https://t.co/CGfHtUWp9w >人夫を集め、城へ継きたる山の尾を、一文字に掘切て見れば、案の如く、土の底に二丈余りの下に樋を伏せて、側に石を畳み、上に真木の瓦を覆て、水を十町余の外よりぞ懸たりける。此揚水を被止て後、城中に水乏して、
08-09 14:06上赤坂城も こうした形で水源を封鎖される事態に備えて 水の備蓄は幾らかは有ったのかだが 蔚山城でも水の手を絶たれていたが 水を備蓄する様な設備は完成前であるから 無かったと言う事なのかだが
08-09 14:07https://t.co/8Bvy3WYSAe 峯高して道細く、山嶮して苔滑なり。されば幾十万騎の勢にて責る共、輒く落すべしとは見へざりけり。 https://t.co/E33VTl3MAW 苔の上は忍者的なスパイク利用でも 歩き難いと言う事なのかだが
08-09 14:28https://t.co/SSI89zArz7 >理由はシンプルで、苔の厚さよりもピンの長さが短いからです。こうなってしまうとピンが全く意味をなさず、非常に滑りやすくなるので危険です。
08-09 14:30>ざらついた苔はグリップできるが、ぬるぬるとした苔は苦手・・。テトラに付着している苔には種類がありますが、フェルトソールの場合はザラッとしている苔であれば、濡れていてもグリップ力は比較的保つことができます。
08-09 14:32https://t.co/t5WuIVXeUL 草鞋は苔で滑り難いとはされるが ざらついていない苔でも滑らないのかだが 太平記時点では騎馬武者は 毛靴が未だ多いので滑ったのかどうかだが
08-09 14:36ざらついていない厚い苔が有る場所では 忍者足甲装備の草鞋でも 対応困難な可能性も有るのかだが
08-09 15:02太平記の金峯山城は https://t.co/E3aZ975u4m 現在の金峯山寺の付近に有ると言う事なのかだが 背後の山から奇襲を受けたと有るが そうした部分は無い金峯山寺には様に見えるが
08-09 15:23https://t.co/IYdft6LFiz >そこで城の裏手の金峯山(青根ヶ峰側)、愛染明王宝塔の方から攻め込んでみてはどうか。 金峯山寺の東に有るhttps://t.co/HyjqXlHvKT 左の青根ヶ峰から奇襲をしたと言う事なのかだが
08-09 15:35https://t.co/8Bvy3WYSAe >物馴たらんずる足軽の兵を百五十人すぐつて歩立になし、夜に紛れて金峯山より忍び入、愛染宝塔の上にて、夜のほの/゛\と明はてん時時の声を揚よ。 野伏では無く足軽でも青根ヶ峰からの攻撃は 出来たと言う事なのかだが
08-09 15:41>その戦闘の最中に、金峰山より回った搦手の兵士、百五十人が愛染宝塔から降りてくると、あちこちに火をかけ、閧の声をあげました。 此れは他所に敵を引き付けてから 足軽が潜入・放火したと言う事なのかだが
08-09 15:45RT @kamaeatte: 三交社「最強護身術 クラヴマガ」。反応速度を速めるために人間が反射的に行う動作を中心に組み立てられている等、護身術としての高い合理性を垣間見ることができる。ナイフ等の凶器を持った人間は、何かを強要するために至近距離で突き付けてくる場合が案外多いとい…
08-09 15:57武器の特定の用法に拘って 動きが読まれる例も現実には多いと言う事なのかだが
08-09 16:11https://t.co/d5o2XveArC 青根ヶ峰の苔と言うのも 草鞋でも滑る種類なのかは良く分からないだろうか
08-09 16:16草鞋でも滑るタイプの苔が有る場合でも 忍者足甲で苔の薄い部分を移動した例は 有るのかどうかだが
08-09 16:22https://t.co/8Bvy3WYSAe >この千剣破城は東西方向の谷が深く切れ込んでいて、人が上ることは出来そうにありません。また南北方向は金剛山に続いており、しかもその峰たるや人を拒むかと思えるばかりです。とは言っても、山の高さは二町ばかりであり、その周囲も一里にも満たない小さな城なので、
08-09 17:06https://t.co/mlIMXgqEBc 千早城も南北に可也離れた場所に 高山が有ると言う事だろうか
08-09 17:08>この城を構築する際に、必要な水を確保する方法を考えていた時、五所の秘水と言って、修行のため、この山を行き来する山伏たちが、密かに汲む水がこの峰に存在し、しかも一夜に五石ほども湧き出ることを知りました。 そうした場所は 現実の千早城跡には有るのかどうかだが
08-09 17:12https://t.co/Swz98ktgY1 >-フロノ谷-楠木正成が木をくり抜いた桶をおき水をためた場所五所の秘水はこの奥にありますが今はいけません。 五所の秘水は現存すると言う事なのかだが 今水は出ているのかどうかだが
08-09 17:19>合戦ともなれば火矢を消す必要もあり、また兵士らも喉を渇かすことも多くなり、この水だけでは不足するかもしれないと、大きな木をくりぬいて、水を貯める舟を二、三百ほど作って、水を貯めていました。
08-09 17:21>そのほか数百ヶ所ほど建造した詰所には、雨どいを軒に取り付けてそれをつなぎ、雨が降れば雨水を残さず舟に受け、しかもその舟の底には赤土を沈めて、水の腐敗を防止しました。 こうした設備は 他所でも利用されていたのかどうかだが 下赤坂城には無かったと言う事だろうか
08-09 17:22RT @cakram_bow: イノシシやクマなどにも効果があるそうだから動物にとって傘は怖いものなのだろう。 https://t.co/1xVZLfGs4H
08-09 17:24RT @cakram_bow: @kerpanen 以前テレビ番組の実験コーナーみたいなやつで突進してくるイノシシに向かってジャンプ傘を広げるとイノシシが避けて行ったのを見ました。
08-09 17:24>御方の向ひ陣と敵の城との際に、高く切立たる堀に橋を渡して、城へ打て入んとぞ巧まれける。為之京都より番匠を五百余人召下し、五六八九寸の材木を集て、広さ一丈五尺、長さ二十丈余に梯をぞ作らせける。梯既に作り出しければ、大縄を二三千筋付て、車木を以て巻立て、
08-09 17:41>城の切岸の上へぞ倒し懸たりける。 https://t.co/1iTs7hxg8d 此れは雲梯或いは 摺畳橋の様な物を設置したと言う事なのかだが 後の時代には利用されたのかどうかだが 長さ20丈(60m)等の物は現実的に作られたのかだが
08-09 17:47>魯般が雲の梯も角やと覚て巧也。 https://t.co/zn1FNZDijF 公輸盤(魯般)が春秋戦国時代に開発した 攻城用の雲梯が矢張り意識されていると言う事なのかだが
08-09 17:55>去程に吉野・戸津河・宇多・内郡の野伏共、大塔宮の命を含で、相集る事七千余人、此の峯彼〔の〕谷に立隠て、千剣破寄手共の往来の路を差塞ぐ。 山城の周囲の山岳地帯に布陣すれば こうした野伏のゲリラ攻撃を受け易いと言う事なのかだが
08-09 18:09>依之諸国の兵の兵粮忽に尽て、人馬共に疲れければ、転漕に怺兼て百騎・二百騎引て帰る処を、案内者の野伏共、所々のつまり/゛\に待受て、討留ける間、日々夜々に討るゝ者数を知ず。 そうした攻城軍の山中の補給路も 野伏に襲撃されると言う事なのかだが
08-09 18:11https://t.co/oUQI8GFhmp >この山に登るには、途中七曲と言う険しく狭い場所があります。この場所に到達した寄せ手軍が、進軍にてこずり留まっているところを、赤松の三男、律師則祐と飽間九郎左衛門尉光泰の二人が、南斜面の麓近くまで下りてくると、矢を惜しむことなく激しく射込みました。
08-09 19:37https://t.co/dHdh58QJzj https://t.co/oOv85tgF0y 七曲と言うのは 虹駅の西の摩耶山城跡の南部に有ると言う事なのかだが
08-09 19:41https://t.co/oUQI8GFhmp >矢比近き敵二十五騎、真逆に被打落ければ、矢面なる人を楯にして、馬を射させじと立てかねたり。 此れは人その物を馬の楯としているのかどうかだが 垣楯兵を集める余裕は有ったのかだが
08-09 20:01>中にも帥律師則祐、馬を踏放て歩立になり、矢たばね解て押くつろげ、一枚楯の陰より、引攻々々散々に射けるが、「矢軍許にては勝負を決すまじかり。」と独言して、脱置たる鎧を肩にかけ、胄の緒を縮、馬の腹帯を堅めて、只一騎岸より下に打下し、手縄かいくり渡さんとす。
08-09 20:12指揮官が甲冑を装備せず 小型の一枚楯の背後から 射撃をする例等も有るのかだが
08-09 20:13>佐用・上月の兵三千余騎、一度に颯と打入て、馬筏に流をせきあげたれば、逆水岸に余り、流れ十方に分て元の淵瀬は、中々に陸地を行がご〔と〕く也。 三千の馬で 川の流れを緩くしている間に 他の兵が渡河した例も有るのかだが
08-09 20:22RT @kokutenkyou: 実戦期の和甲冑の重さについて仮まとめ。棒一本で一領を表現したので最多分布が分かりやすいはず。胴部のみの重量を比較すると大鎧は時代とともに軽量化して14世紀以降は10kg前後になるのだけど、それでも同時期の胴丸より3kg近く重い。当世具足は胴丸…
08-09 20:30RT @kokutenkyou: 兜の重量も本歌ではシコロの軽快化に伴い14世紀以前の4.5kg前後→室町期3.5kg前後→室町末期2.5kg前後と軽量化志向か見られるものの、鉢本体は一貫して1.5kg前後である点は興味深い。 https://t.co/Onku0U7ya0
08-09 20:31RT @kokutenkyou: 大袖は鎌倉期以降は左右計2.5-3.5kg前後でほぼ変化はないけど、室町期には1.5-2.4kg前後の軽量化した一群が見られるので、軽量な壺袖の発生と併せて「重い袖」「軽い袖」両方の需要というのが室町期の特徴っぽい。 https://t.co/…
08-09 20:31南北朝期だと下馬戦闘多用で 大鎧も軽量化したが 騎乗時は胴丸等が重ねられた例も多いと言う事なのかだが
08-09 20:36https://t.co/oUQI8GFhmp >信濃守貞範三百余騎、羅城門の前なる水の潺きに、馬の足を冷して、敗軍の兵を集んと、旗打立て引へたり。 https://t.co/z5fZdmUSvL こうした馬の足の冷却は 農作業でも有ると言う事だろうか
08-09 20:52>善峯・岩蔵の上より、足軽の射手一枚楯手々に提て麓にをり下て散々に射る。 足軽も一枚楯装備で 山岳戦をすると言う事だろうが 野伏より装甲は多く 機動力は彼等程は無いと言う事だろうか
08-09 21:00RT @tsunaken11: >薙刀を持っているほうが馬上でのバランスをとりやすい目からウロコ… https://t.co/rlAlh2xJAy
08-09 21:54RT @kerpanen: @tsunaken11 綱渡りの時に棒を持つようなもんなんでしょうか。でも、それは地上で長物を振る時の体幹とバランスがしっかりしている武芸家ならではのことなのかも知れないと思いました。
08-09 21:54>両六波羅是を聞て、思に、山徒縦雖大勢、騎馬の兵一人も不可有。此方には馬上の射手を撰へて、三条河原に待受けさせて、懸開懸合せ、弓手・妻手に着て追物射に射たらんずるに、山徒心は雖武、歩立に力疲れ、重鎧に肩を被引、片時が間に疲るべし。
08-09 21:59延暦寺の僧兵は 歩兵しか居ないと言う事なのかだが 春日権現験記絵等には 騎乗した僧兵も描かれるだろうか
08-09 22:02騎乗戦時は胴丸の上に大鎧を装備し 下馬戦闘時は上の大鎧を脱いで戦う騎馬武者も居たのかだが 偉い者は下馬時も 大鎧利用が多い可能性は有るのかだが
08-09 22:52南北朝期では騎乗戦で胴丸を使う騎馬武者は 下位の者以外は未だ居ないと言う事なのかだが
08-09 22:59
- [2020/08/10 04:07]
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