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2021.09

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07/04のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/0mO0tlermA >仙台藩の小姓組の中には,薬注ぎ役という役職がある。藩主のために,鉄砲に玉や火薬を込める役目だ。 伊達政宗が,薬注ぎ役の小姓に出した「小雨でも山追い(狩り)に行くので,準備しておくように」との手紙が今に残っているから,弾薬箱もその者が管理していたのだろう。
07-04 12:09

薬注ぎ役も 狩猟用の馬上筒等迄装填はしていたのかだが
07-04 12:10

弓の様な形で 騎馬武者に狩猟用の馬上筒が普及していた可能性は有るのかだが 一部は戦場利用もされたのかどうかだが
07-04 12:31

https://t.co/EBsyfJPwoz 播磨三木城の騎馬武者は 5-6間(9.09ー10.9m)で 秀吉軍に馬上銃を放ったと有るが 此れは短筒の可能性も有るのかだが
07-04 12:47

馬上筒も馬を散弾で撃つだけなら 50m程度での射撃も有るのかどうかだが こうした射撃でも騎馬弓兵には対抗可能なのかだが
07-04 12:51

https://t.co/SzglQIPrTb>また前田家が大坂冬の陣の軍役を記した『大坂出陣覚書』にも『馬上弓を五十騎』、『馬上鉄砲 五十騎』とあることから、馬上からの弓や鉄砲による集団戦法があったことはあきらかである。  こうした兵は大阪陣時点でも騎馬武者の1割も 居ないと言う事なのかだが
07-04 12:57

>まず戦国時代には蹄鉄は存在しない。その代わり、蹄を保護するために藁の沓を履かせた。これを藁沓というが、この藁沓を着けているのは行軍中である。フロイスの『日本覚書』によれば、藁沓は半レグア(半里)しかもたなかったというから、
07-04 13:01

>頻繁に取り替える必要があったと思われる。そしていよいよ戦闘態勢に入るとこの藁沓を取る。  https://t.co/l1WR9KNN8y ポルトガルの半レグアだと 2.5kmなのかだが 中国大返しでは蹄の消耗を覚悟で 藁靴無しで高速移動した可能性も有るのかだが
07-04 13:04

モンゴル軍は蹄鉄無しで長距離を乗馬しているが 替え馬を多数用意する事で蹄の消耗を避けていたのかだが
07-04 13:05

https://t.co/vrgoNMF8Wi 文禄役の黒田軍は 銃の一斉射撃をしていたのかだが 密集陣の明・朝鮮軍を牽制する場合は 此れは有用だったのかだが
07-04 13:19

本願寺の兵の場合は 下知での一斉射撃はしていたのかだが 攻城側の兵が密集している場合は 牽制効果が有った可能性も有るのかだが
07-04 13:21

騎馬弓兵に対し馬上筒を持つ騎兵は 50m程度から散弾を放って馬にダメージを与えた後 弓の射程外に離脱して再装填 次は人に散弾を放って無力化した後で 通常弾や白兵戦で止めを差すと言う様な方向も有るのかだが
07-04 14:43

https://t.co/3IByyRHa95 この種の銃を持つ明騎兵が モンゴル的な騎馬弓兵を散弾で制圧した例は有るのかどうかだが
07-04 14:59

明騎兵も密集陣で運用されるなら 銃の散弾の射程に入る前に騎馬弓が命中する危険も 有ると言う事なのかだが
07-04 15:04

https://t.co/MRlfgywhfa >朝鮮出兵の加藤清正隊や関ヶ原の島津隊では、騎馬隊のほとんどが銃を装備しており、藩によっては騎馬隊が鉄砲を持つことを定めているものもあるようです。
07-04 15:36

清正の騎馬武者も敗走する女真族騎兵を 散開して馬上筒の散弾で攻撃していた可能性は有るのかだが 島津軍騎兵も散弾利用の塵砲が有ると言うが 馬上筒は装備していたのかだが
07-04 15:38

明騎兵の場合散弾が有るかも知れぬ騎銃兵も居るだろうが 敗走時は組織的運用は無かったと言う事なのかだが
07-04 15:39

https://t.co/K29lRVkJRj >このとき甲賀忍者の精鋭21人が選び出され、音もなく館の戸板を外して本陣に潜入。忍者たちは得意の火薬を使った火器により煙を発生させ、館の中にいる者の視界を奪います。   1487年の鈎の陣で使われた 煙を発する火器と言うのは鳥の子なのかだが
07-04 16:04

https://t.co/GcFSvG0nNX >『土佐物語』巻第十七は、長曾我部元親の家臣の足軽・俵兵衛が命を受け、58 間( 約105m )先の魚をくわえて沖へ飛び立つカモメを撃ち落と記している。この功績から俵兵衛は、那須与一とも優劣なしと賞され、士分に列せられたうえ,羽織と太刀一腰を賜ったという。
07-04 18:32

足軽でもこうした者は居たが 忍者以外は直ぐに士分に取り立てられたのかどうかだが
07-04 18:33

https://t.co/QfBDo8TroK >阿波の鉄砲は,口径が小さく一匁五分(11mm)が標準的のようで、どの銃も銃身が異 様に太く,巻張作りのものが多い。これは、鉄材の質が悪いためというよりは、船戦さや籠城戦で遠距離射撃を行うべく、火薬を多量に装填できるようにしたためと思われる。
07-04 19:28

https://t.co/zw5wChKDby >このため徳島藩の火縄銃は,城や軍船に備え付けられることを念頭に置かれたため,長銃身で重量のあるものが多く,軽量化への配慮はされなかったようだ。徳島藩は,船戦や籠城戦を戦闘教義としたことから,
07-04 19:31

>鉄炮鍛冶たちは,高い命中精度と射程距離の長い銃の開発を目指したのであろう。この戦闘教義による開発要請が,阿波筒を生み出したと,私は,考えている。    阿波筒も船の盾板で保護されている敵の顔等を 精密狙撃する為の物の可能性も有るのかだが
07-04 19:33

https://t.co/lzVs2NbggP 関船でも盾板に銃眼が有るだろうし 小口径の阿波筒は銃眼内部の精密狙撃を狙った物と言う事なのかだが
07-04 19:41

籠城戦だと竹束の間への 狙撃を狙っていたのかどうかだが
07-04 19:42

RT @TimeRary_: 【COVID-19関連情報】[東京都]■7/4の感染者数内訳等新規感染確認者数 131人(+7)※うち重症者0人(58日連続)濃厚接触者等 85人(+1)調査中 46人(+6)詳細不明 0人▼陽性率(7日間平均)4.5%(+…
07-04 20:37

東京も経路不明は依然50人超えでは無いが カリフォルニア的な飲食店の規制強化は 有り得ると言う事なのかだが
07-04 20:38

https://t.co/Cm8urXqoJY >シャムでは鹿皮と鮫皮は蘇芳(赤色系の染料)とならんで主力商品であった。シャムの都アユタヤには日本人町があり、彼らが貿易に関わり鹿皮を日本に送っていた。アユタヤのオランダ商館員や東インド総督らの記録等では、鹿皮が1613年と1624年、1625年に
07-04 20:40

>それぞれ12万枚と16万枚、25万枚、さらに1634年に鹿皮6,7万枚と鮫皮1万5千から2万枚が日本に送られていた1,2)。  アユタヤからは恐らく刀用の鮫皮だけでは無く 鹿の皮も日本に輸出されていたのかだが
07-04 20:41

>1634年に交コウシ趾シナ(インドシナのトンキン・ハノイ地方の旧称)から鹿皮と鮫皮それぞれ1万枚と1万2千枚が日本に送られていた。鹿皮や鮫皮は柬カンボジア埔寨や太パタニ泥・六リゴール昆(共にタイのマレー半島中部東海岸)等からも輸入されていた。
07-04 20:46

>1636年頃の日本のオランダ商館長報告では、年々鹿皮2万枚と鮫皮1万枚が輸入されていたとある3)。  刀の鮫皮も タイ・ベトナムの物が多いのかどうかだが
07-04 20:47

>鞘鮫1,083枚、柄鮫10,839枚、   柄鮫と言うのは https://t.co/IWrO4TtKtw 左の親粒が有る高級品の鮫皮と言う事なのかだが
07-04 20:54

>虎皮は中国の雲南とカンボジアで産出し、大きいもので1貫7,8百目、小さいもので5,6百目である。虎皮は唐からかわ皮とも称せられた。豹皮は洮チョウシュウ州(甘粛省西南部)または湖広(湖北・湖南省)で産出した。
07-04 21:00

カンボジア産の虎皮も輸入されていたのかだが 虎皮・豹皮共に輸入量は少ないし 尻鞘や障泥の物は本物の皮は何処迄有ったのかだが
07-04 21:02

>ハルシア百爾斎亜すなわちペルシア革には黒・黄・紅・緑・赭べにがらの5色があり、五色革とも称した。 https://t.co/q0N3dmHBz5 此れは左の色の付いた ハルシャ革と言う事なのかだが 武具への利用は有るのかどうかだが
07-04 21:15

>インデヤは南天竺または印度とも称し、モウルはインド南部、ベンガラはインド東北部、サントメはインドの南東部コロマンデル地方の地域であり、ルソンはフィリピン群島の一つである。ウスコウベヤは江戸時代のモスクワの呼称である。
07-04 21:23

モスクワ製の革迄 江戸期では輸入されていたと言う事なのかだが スペインの革は基本的に 金唐革なのかだが
07-04 21:24

>鹿皮は甲冑の革所および刀剣の緒、革袴、革足袋、巾着等に用いられていた。武人が好んで革袴や革足袋を用いた。シャム革足袋は柔らかで厚く暖かであるということで賞用された。巾着は武人や庶民が用い、それには染革が用いられた。
07-04 21:26

日本にも鹿は居るだろうが 外国製の鹿皮も 厚く足袋等に合うとして輸入されていたのかだが
07-04 21:27

>鮫皮は刀剣の柄や鞘の装飾に用いられていた9, 10, 11)。柄鮫の名称は鮫の産地名で呼ばれ、最上等級品をチャンペと言い、次いでカスタ、サントメと言われた。チャンペ占城は現在のベトナム中部から南部であり、カスタ柬埔寨はカンボジアであり、聖多黙はインドのコロマンデル地方である。
07-04 21:39

柄用の鮫皮は 最上級品はベトナム中南部製の物なのかだが インドの物迄使われていたのかだが
07-04 21:40

>虎皮は馬鞍の飾りや刀剣の尻鞘に用いられたが、日本では産せず、もっぱら中国・朝鮮からのものであり、希少価値があった。そこで虎の毛を他の皮に挿し模造品を製した10,11)。これを植うえとらのかわ虎皮と称した。   こうした模造品さえ 余り無かった可能性も有るのかだが
07-04 21:47

本物の虎皮の一部を植えるのでは無く 熊の黒い毛等を 狐のオレンジ的な皮に植えたと言う物も有るのかどうかだが
07-04 22:02

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