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2023.06

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03/31のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/hVgGhc13ik 日本の籠手の場合は6世紀に既に手甲が有ると言う事なら 平安期の籠手の手甲は宋の影響は無い可能性も有るのかだが
03-31 09:32

https://t.co/ugyVlPi8tB 左の歩兵の様に 四幅袴に佩楯が縫い付けられているなら 騎馬武者の大口にも縫い付けられている例が有ると言う事なのかだが
03-31 09:54

https://t.co/QwH4h1HnSW 古い短い蕨手刀は歩兵用であり これを伸ばして騎兵戦用の日本刀としたのは 蝦夷では無いと言う意見も有ると言う事なのかだが
03-31 10:26

蕨手刀を騎兵戦用に長くしたとしても 両手持ちに迄成った理由は不明と言う事なのかだが 両手持ちの物は歩兵用に先ず普及した後 騎兵も下馬戦闘を考慮して此れを利用する様に成ったのかどうかだが
03-31 10:33

https://t.co/gz72Mr2wyI 金の重騎兵は 槍が多いと言う事なのかだが 同時期のモンゴル騎兵はどうなのかだが
03-31 11:04

https://t.co/Te2ksInZvS 6世紀のシベリア南部の少し曲がった剣と 蕨手刀は関連は有るのかどうかだが こうした剣が移入されて蕨手刀に成った可能性も有るのかだが
03-31 13:18

https://t.co/Ol7icE87ot 蕨手刀は信濃国が起源であり 北海道や東北からシベリアの曲剣が入り この影響を受けた訳では無い可能性も有るのかだが
03-31 13:21

https://t.co/tVIEwD1ku5 宋の手刀の原型的な物が 蕨手刀に影響を与えた可能性は有るのかだが
03-31 13:35

下の前立は 上杉謙信の物の可能性が有る様だが 勝軍地蔵・毘沙門天・不動明王の三尊が有ると言うが https://t.co/7eT1GQVivQ 此れは愛宕山大権現の三尊と言う事なのかだが 他の三尊の組み合わせの前立も有るのかだが https://t.co/BBTERsYsdJ
03-31 14:26

https://t.co/bL65M4pnUS 阿弥陀三尊は 浄土真宗では無いと言う事なのかだが https://t.co/RQiKo5IWTk >中尊=阿弥陀如来、脇侍右側=親鸞聖人、左側=蓮如上人  と言う組み合わせと言う事なのかだが こうした組み合わせの前立を本願寺僧兵や 雑賀衆が利用していた可能性も有るのかだが
03-31 14:31

>真言宗・・・中尊=大日如来、脇侍右側=弘法大師、左側=不動明王  根来僧兵が こうした組み合わせの前立を利用した例等は有るのかだが
03-31 14:33

江戸期だと仏像が単体で前立とされたり 胴に蒔絵として入る例も有るが 戦国期では有るのかどうかだが
03-31 14:34

RT @kerpanen: 弓をひく時、右手につける手袋を「弽(ゆがけ)」と言う。左上は現代の弓道で使われる「堅帽子三つ弽」、江戸時代、弓の稽古のため考案された。右上、流鏑馬の「騎射手袋」、弓だけでなく打ち物にも使える。「一具弽」とも言う。「止戈枢要」によれば軍陣の「射手弽(い…
03-31 15:07

https://t.co/6ollTcHs6H 後三年合戦絵詞には 手袋式の弓懸が有ると言う事かも知れぬが 江戸期の物より薄いと言う事だっただろうか 親指だけの物が古い合戦図や絵巻に描かれた例は有るのかどうかだが
03-31 15:14

忍法秘話に有る 一旦上昇した手裏剣が 急に落下する様な技は有るのかどうかだが ブーメラン的では無くフライングディスク的に変化する手裏剣なら https://t.co/fxyOppOjqK 皿を投げるかわらけ投げ等からヒントを得て 作られた可能性は無いと言う事なのかだが https://t.co/OuFMy0L1dO
03-31 17:06

https://t.co/ynlAFGQuAO かわらけ投げの皿も フライングディスク的な変化は果たしてしているのかだが
03-31 17:12

https://t.co/BggefsGShB >かわらけ投げを確実に成功させるために、フライングディスクの基本から投げ方までを菊地選手に教わり、フライングディスクの技を身につけて、かわらけ投げを行うために滋賀県の竹生島へと向かう!  と有るから フライングディスク的な変化はしていると言う事なのかだが
03-31 17:22

https://t.co/6g1MnutdnF フライングディスクでもブーメラン的に戻し 背後を狙うと言う事は可能と言う事なのかだが
03-31 17:39

https://t.co/DYS0aet07i こうした形で鉄製の手裏剣を作っても 上手く戻るのかどうかだが
03-31 18:06

https://t.co/v57j4QWmYS 樹脂製フライングディスクに 鉄製刃を付けた様な物は何処迄変化するのかだが 木の皿に刃を付けて 手裏剣化すれば大きく変化はするのかだが
03-31 18:19

https://t.co/H5EYWIaMYL 木の皿に針的な刃を付ければ 可也軽量化は可能と言う事なのかだが
03-31 18:34

RT @kamaeatte: 慶長元年に井伊直政の家中で制定されたとされる「井伊軍法」に「鉄砲縦ハ五十挺あらは廿五挺宛互に薬をつぎ候間見合一度ニ不可放、廿五挺放時ハ残之火縄を挟最前之筒ニ薬を込すましたるを見て小頭下知ヲ可待」とある。これによればこの頃には鉄砲隊の輪番による連続一…
03-31 19:05

RT @kamaeatte: また久芳崇「東アジアの兵器革命」によれば、明国の文献でも日本軍が輪番射撃を行っていたことが確認できるという。例えば「神器譜」には降倭(文禄・慶長の役での投降兵)が義州において火器の輪番射撃によってモンゴル軍を撃退したとあり(適慮万余、倅薄城下、以火…
03-31 19:06

RT @kamaeatte: 「経略復国要編」にはもし日本軍が分番休迭の法を用い、遊撃の騎兵を出して我が軍を搔き乱せば進んでも退却できない、とある(倘倭奴用分番休迭之法、時出遊騎以擾我師、我師進不可退)。「分番休迭の法」の詳細はわからないが、井伊軍法にあるような射撃法を指してい…
03-31 19:06

RT @kamaeatte: 江戸時代の軍学書にはカウンターマーチじみた複雑な移動を伴う輪番射撃法の数々が紹介されているが、井伊軍法の記述を読む限り鉄砲足軽はその場に留まって撃ち続けているようである。当時の足軽隊の規模・練度から考えても、数十人程の足軽を分割してその場で交互に射…
03-31 19:06

https://t.co/W8NuHOONum >鈴木重秀→組撃ち鉄砲一例を挙げれば、左の兵が銃に弾を込める。次に右の兵は火蓋に火薬を素早く盛って閉じる。さらに後ろの兵が火縄を火挟みに挟む。あとは撃ち手が引き金をコトリと落とすだけである。この一連の動作に慣れてくると、約4~5秒間隔で連射できたという。
03-31 19:12

>ところがこの組撃ち鉄砲では、単に射撃を2組に分けただけでも、計算上2~3秒間隔の射撃となる。いかに重秀ら雑賀党の工夫が素晴らしいかおわかりいただけると思う。  とは言え5発程度銃を放ったら 清掃が必要と言う事だっただろうが 短時間に連発したい時は使える戦術なのかだが
03-31 19:16

https://t.co/fHkNvmZtFU 車撃ち >数列の隊列を作り、先頭が射撃を行うと最後尾が戦闘に躍り出て射撃。 自分たちが最後尾になるまでに装填を終わらせ、先頭が射撃したら回りこんで射撃を繰り返します。 此れはオランダの影響は 有るのかどうかだが 最終的にスウェーデン的な物には成ったのかだが
03-31 19:25

>移動しながらの射撃を可能としたこの戦術は実行にかなりの訓練を必要とするので、侍が銃を握っていた島津以外では実行がなかなか難しかったであろうと思います。  島津軍でも 騎馬武者・徒武者専用の戦術だったと言う事なのかだが
03-31 19:26

https://t.co/WDn5e4B20K 車撃ちも 後退しながらの利用は有ったのかどうかだが
03-31 19:36

https://t.co/acFPJ2P4AV >しかし島津家は1554年の岩剣城の戦いでこの戦法を使っている。そう、それが『車撃ち』である。やり方は全く同じで、蒲生連合軍を破っている。  1554年では オランダのカウンターマーチは無いと言う事だろうか
03-31 19:40

https://t.co/T41aa24Epl マウリッツのカウンターマーチと言うのも 1580年代後半からなのかどうかだが
03-31 19:47

敵が敗走する前の 乗馬騎兵の攻撃は西国では基本的に無いだろうが 関東では有ると言う事なのかだが 佐竹軍は大量の銃を用いて敵が崩れ 騎兵突撃が可能と見たら早期に突撃していたのかだが
03-31 19:59

https://t.co/FEppBkWGTm 西国でも立花道雪の長尾懸かりは 敵が敗走する前に乗馬突撃をしていると言う事なのかだが 立花宗茂は同様の戦法は利用したのかどうかだが
03-31 20:02

>18日に発生した最大の合戦では道雪自ら陣頭に立って先に鉄砲800挺を2隊に分けられ、自分が発案した「早込」を用いて二段射撃して後は槍隊を繰り出して突進、続いて自分が率いて騎馬隊は馬を乗出し敵の中へ縦横に突て廻りける「長尾懸かり」というかけ合い戦法で毛利方の主力である小早川勢を撃破した
03-31 20:05

長尾懸かりも銃の二段射撃後 先ず槍歩兵を突入させ この後で乗馬騎兵が雑兵物語の様に側面等から突撃をした可能性も有るのかだが
03-31 20:07

https://t.co/7tp05dr8gH >そして平山城を包囲する一揆方隈部氏配下の有働兼元軍を統増や米多比鎮久ら騎馬鉄砲[注 10]の先陣が引き離しつつ、第二陣に守られた輜重隊が城に兵糧を搬入、長槍の第三陣が有動軍を永野原において撃破し有働志摩守を討ち取って、「火車懸」という戦術を繰り出した[10]。
03-31 20:29

立花宗茂の騎馬鉄砲隊も敵が敗走する前は 乗馬突撃は無いと言う事なのかだが
03-31 20:44

雑賀の組撃鉄砲と言うのも 騎馬武者・士鉄砲組以外は困難と言う事なのかだが 他の者も単純に射手の後ろに装填手を縦に並べて 射撃と言う程度なら出来ると言う事なのかだが
03-31 23:05

https://t.co/8I8Qm8eynM こうした2列に分けての連続射撃と言うのは 何処迄行われたのかどうかだが
03-31 23:10

現実には2列に分けても一斉射撃は行われず 前列の狙撃終了後に生き残った敵を 2列目の者が狙撃するとう言う物なのかだが
03-31 23:14

狙撃と言っても5-10秒以内には 列の者は全員射撃を終えたのかどうかだが
03-31 23:16

https://t.co/EJ8HplcVFA >二段撃ち:2列横隊に並び、前列が片膝をつき、後列が直立して射撃する。佐々成政が考案したという記録が残っているが、実際に採用されていたのか、上記の議論上問題がある。  2列での射撃は 佐々成政考案と言う事なのかだが
03-31 23:22

>この射撃手・助手を分業する射撃運用法を烏渡しの法と上杉流軍学では称したと伝えられ、  雑賀衆の物以外は 射手の後ろに装填手が縦に並ぶ形式の物の可能性も有るのかだが
03-31 23:23

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