FC2ブログ

Category

2020.08

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  

01/13のツイートまとめ 

boukenkyuu

RT @harima_mekkai: 当世具足フル装備での弓やはり兜があると引難さがますので研究せねばです!! https://t.co/JXkf8cqPkJ
01-13 10:03

シコロが割シコロ或いは 帽子兜の様に鎖やカルタ金の物 シコロが短い物でも 弓との干渉は無いか小さく成る可能性も有るのかだが 弓兵がこうした物は利用したのかだろうし 弓足軽の陣笠も干渉はすると言う事だろうか
01-13 10:09

https://t.co/5WkXWKD5Go 弓足軽の陣笠は 弓との干渉を考慮して幅が狭い物が利用された可能性も有るのかだが 絵では其処迄の描き分けは無いと言う事だろうか
01-13 10:12

https://t.co/2mynazhEU3 この程度の幅の笠を被って 満州弓を引いている例も有るが 此れでも精度は低下しているのかだが
01-13 10:18

RT @tegenosan: 三国時代の鎖帷子について(新浪軍事)曹植の記述《先帝賜臣鎧表》“先帝賜臣鎧,黒光、明光各一領,環鎖鎧一領,馬鎧一領,今代以升平,兵革無事,乞悉以付鎧曹自理。”https://t.co/S6erxUegOr曹植すげえな胸熱 https://t…
01-13 11:07

https://t.co/YpoYa1HSUw 鎖帷子である環鎖鎧が 曹植が曹操から貰った珍しい鎧の一覧が載る先帝賜臣鎧表に有る様だが 高級品の可能性が高いと有るが 精鋭騎兵や指揮官の明光鎧の円護の下には 鎖が有る可能性も有るのかだが
01-13 11:09

RT @moonlakemoon: @Chinaswordbot @akiman7 山文甲って実は鎖帷子だという説があります。詳細はこちら:https://t.co/FJn49SURCe
01-13 11:12

https://t.co/CgvK0dGMcA
01-13 11:20

山文甲は鎖製であると言う意見も有るが https://t.co/CgvK0dGMcA 鎖と山文甲が同じ彫像に有る例が有るから 違う可能性も有るのかだが
01-13 11:22

指揮官でも馬鎧迄 鎖とは成っているのかどうかだが 日本の馬鎧の様に金の鎖が使われる可能性も有るのかだが
01-13 11:40

曹操の場合は金の鎖の上に 金の円護の付いた明光鎧 馬鎧も金の鎖等と言う可能性は有るのかどうかだが 腕部分の鎖は漢の騎兵の絵の恐らく小札の様に 前腕部迄有る可能性も有るのかだが
01-13 11:48

https://t.co/wdJ9fh10KC 日本の兜跋毘沙門天の場合は 山文甲的な鎧は金鎖甲と呼ばれているが 鎖はリング状の鎖を意味する訳では無いと言う意見も有るだろうか
01-13 11:57

https://t.co/zDX1SlP1sU >そして、この種の泥臭い民族交流の話の延長として登場するのが、両当鎧。三国時代にこのタイプの鎧の原型が登場したようでして、騎兵戦(特に騎射)を想定して腕の稼働領域が大きいのが特徴だそうな。  南方騎兵だと この種の両当鎧装備の者も多いのかだが
01-13 12:13

https://t.co/2OUa91ZCC7 >明光鎧は急所となる上半身を一枚の鉄板で作ることで防御力を高めている。  唐の物だと脇腹等は小札製の様に見えるが https://t.co/rdZdUft31J 左の南北朝時代の明光鎧は 胴正面は一枚板の鉄が使われている可能性も有るのかだが 三国志時代には有るのかどうかだが
01-13 12:33

https://t.co/VnjhVlbUDv 日本の古墳時代の短甲も一体的な鉄板が使われるが その種の一体的な鉄板が有る明光鎧の影響が有ると言う事なのかだが
01-13 12:36

https://t.co/8Mitbi3quU 短甲は8世紀の物も有るのかだが 騎兵は8世紀に利用は流石に無いと言う事なのかだが 大鎧は両当系札甲が変化した物と言うが 馬に素早く乗れる故に利用されたと言う事だったかも知れぬが 平安期では小規模な奇襲戦が多いとするとこうした物が有用と言う事なのかだが
01-13 12:50

両当鎧的な短い草摺だと馬に素早く乗れるだけでは無く 下馬戦闘にも適すると言う事なのかだが
01-13 12:52

RT @kokutenkyou: 背景と同化してて気づかなかったけどよく見ると半首つけてる武者がいる。 https://t.co/96GunaGiRl
01-13 15:45

https://t.co/sCSi0vSQaV 1312-17年迄成立と言う春日権現験記絵にも 半首らしき物は有るが 南北朝期に果たして完全に消えたのかどうかだが https://t.co/kQNQ6Cefpb
01-13 15:52

半首も額当+面頬か https://t.co/UXY8mMGzCB 後三年合戦絵詞に有る様な 鼻の無い総面で完全に代替されたのかどうかだが
01-13 16:02

マントを着ている三国志武将等も良く描かれるが https://t.co/WxNbfzLaPx 南北朝期の騎兵はマントを着ていると言う事かも知れぬが 此れ以前では有るのかだが
01-13 17:15

https://t.co/4unCZ1keJ2 マントを装備する北魏騎兵の像は有るが 三国志時代の北方騎兵が防寒用等にこうした物を装備していた可能性も有るのかだが
01-13 17:24

https://t.co/UMKhDnyi2Z 左の絵では南北朝期以外の兵は マントは装備していない様に見えるが 廃れた可能性は有るのかどうかだが
01-13 17:37

https://t.co/gcVjTgp46T 左の宋の兵には マントが有ると言う事なのかだが 騎兵が綿襖甲を装備する様に成った後は 防寒は此れで行う事と成って廃れたと言う事なのかだが そうした時代でも指揮官は鱗鎧を装備しているなら マントが着られた可能性は有るのかどうかだが
01-13 17:44

明時代では鱗鎧装備の指揮官も https://t.co/Of50sWrtq3 左の様にマントが着られるのでは無く https://t.co/LWJ8Q1tCxc 左の様に鱗鎧内部の服を厚くして防寒していた可能性も有ると言う事なのかだが
01-13 17:59

https://t.co/dqpQwyGlQG 左の絵だと秦の兵がマントを装備しているのかだが 同様の鎧を装備する他の絵ではマントは無いし 正確性は何処迄有るのかだが
01-13 18:06

https://t.co/p8MF6W2hah 鎧は左の像を参考としているなら 原型にマントは無いと言う事なのかだが
01-13 18:15

https://t.co/7ITE5CV13T 関羽が鎧の上に服を着ている例をゲームの絵等では良く見るが https://t.co/GxZUwWk64t 古い絵だと北魏の重騎兵には有る様に見えるが 三国志時代の北方騎兵等には有るのかどうかだが
01-13 18:33

https://t.co/Eqez1Ymlx0 左の北魏騎兵は馬鎧に布を被せてあるのかだが こうした例は三国志時代の北方騎兵等には有るのかどうかだが
01-13 18:36

https://t.co/l8DpZOlIyT >びっくり三国志の時代には、鎧の上に衣服を着ていた?  三国志の漫画などでは、よく、武将が衣服の片肌を脱いで、その下から鎧がのぞいているのを見る事があります。あの衣服は通常の衣服ではなく、戦袍(せんぽう)と呼ばれるものです。
01-13 18:52

重騎兵が鎧の上に服を着ている様に見える例は 南北朝期以前には無いと言う事なのかだが
01-13 18:53

鎧の上の服が片肌脱ぎに成っている例は https://t.co/Sbwn8Ua8eh 明代には有ると言う事なのかだが
01-13 18:59

https://t.co/oB0w0EY35V 左の北魏騎兵の鎧の上の服は 片肌脱ぎに成っている様にも見えるが https://t.co/61aPK2uHnr 関羽が緑色の服を片肌脱ぎしているゲーム等の絵は 左の絵が原型と言う事なのかだが
01-13 19:07

南方騎兵でも寒い時期は 鎧の上に服やマントを装備している例も有るのかどうかだが
01-13 19:11

日差しが強い時に鎧の加熱を防ぐ為に サーコート的に上に服が装備される例も有るのかだが 陣羽織も同様の理由で着られる例も有ると言う事だっただろうか
01-13 19:13

https://t.co/fNmh1VxOnB この東魏騎兵も 鎧の上の服を片肌脱ぎとしていると言う事なのかだが
01-13 19:23

https://t.co/K8vbJCVq9n 左の様な唐の兵迄 兜の房飾りは https://t.co/08uhOhH0zP 左の357年造営の高句麗の安岳3号墳の騎兵の物しか見ないが https://t.co/02a38O2aV3 単純な構造の物なら三国志時代にも有ると言う事なのかだが
01-13 19:48

https://t.co/wpF7XS2rv1 三国志の様な鐙の無い時代でも 槍の片手打ちなら騎馬民族で無く共 ローマやマケドニア等で有るなら漢人にも出来る可能性も有るだろうが サルマチアやパルティアに見られる様な両手打ちは困難な者も多かったと言う事なのかだが
01-13 20:20

https://t.co/2YBsiNgeI6 父親にチベット系騎馬民族・羌族の血が入る馬超なら 騎兵戦は可也得意な可能性も有るのかだが 部下の兵はどうなのかだが
01-13 20:36

https://t.co/EvkJdTt7oi 羌族なら 位置的に蜀でも可也騎兵として雇っていた可能性は有るのかどうかだが
01-13 20:46

https://t.co/V31OR4LdHj >呂布の生まれは并州五原郡九原県であり、この辺りは遊牧騎馬民族である匈奴との国境付近にあたる。そのため、呂布にもモンゴル系の血が流れているという説があるし、呂布の部下には騎射に長けたモンゴル系の兵がそろっていたと言う説もある。
01-13 20:59

呂布の戦闘力が異様に高いのは 騎馬民族との混血故と言う事なのかだが
01-13 21:00

https://t.co/AjqvbzaFaJ 呂布の赤兎は 演義で無く共良馬とはされるが 武帝時代には居るアハルテケ的な馬しか良馬は居ないのかどうかだが
01-13 21:23

RT @kokutenkyou: 江戸時代中期頃の鉄素材の産地メモ。鋼が注目されがちだけど軟鉄も重要なので押さえておきたい。(鋳鉄も重要だけど甲冑素材には使わないので割愛) https://t.co/UFzSdd3beR
01-13 22:26

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://boukenkyuusha.blog72.fc2.com/tb.php/11036-9c643daa