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2020.08

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01/05のツイートまとめ 

boukenkyuu

サエは柴直之進に峰を強打されて 刀を折られていると言う事なのかだが あずみに有る様に刃切れが有る部分の峰側を打たないと 刃の硬い部分が圧縮されて割れるだけで刀は折れない可能性も有るのかだが https://t.co/ULWCqhiS0r
01-05 12:12

https://t.co/a07PRQapVa 刃切れの有る部分の峰では無く切っ先側の峰を石に打ち付けたら 裂け目が拡大した例は有るが 完全に破断はしなかったと言う事だろうか
01-05 12:24

刃切れの有る真逆側の峰を石に打ち付けても 裂け目は拡大もしなかったと言う事なのかだが
01-05 12:27

スパイクの有る籠手で 刀の此れは平部分を打撃して折っているのかだが 籠手内部には亀甲金程度は仕込まれているのかだが 僧兵等の下駄で踏み付ける攻撃は有ったのかだが 古い絵の僧兵は下駄は無いだろうか https://t.co/1waU2lYgYM
01-05 12:36

スパイク付きの草鞋も忍者用等で有っただろうが 此れで踏み付ける攻撃等は有るのかどうかだが
01-05 12:43

https://t.co/ZLNJwNwoUR 左に有る様なスパイクの有る忍者用足甲も 古い物は有るのかどうかだが
01-05 13:01

https://t.co/mSNTR5BvY6 左は江戸期の足甲なのかどうかだが
01-05 13:17

RT @kerpanen: 乗らない馬なら、体重の1.5-2%程度の乾燥牧草を与えるか、生草を食べさせておけば十分だが、砲兵隊や騎兵隊の重労働をする馬には牧草に加えて穀類や豆などの飼料が必要だった。日本の場合は大豆を蒸かしたものを砕いたり、穀類を食べさせていたようだ。そうでなけ…
01-05 13:58

RT @kerpanen: @TUGUMISAMA5 草の種類ではなく、モンゴルでは馬の使い方が日本や、西洋とは違うようです。モンゴルでは乗り手が多数の替馬を引き連れ、二時間ごとに乗り換えながら休みなく駈歩で進みます。その一方、3日も進軍すると3日間休養し、馬にたっぷり餌を食べ…
01-05 13:58

RT @ekkiwamaje1: @kerpanen 乗馬クラブで与える飼料でも豆科、イネ科の飼料を与えるかでクラブの方針があります。状況に応じて麦を与える事も。人間と違い三食食べればというものではなく、本来は起きてる間はほぼ食べてる生き物。水も1日に20ℓ以上は呑み…
01-05 13:58

RT @kerpanen: @hamasuho とにかく一望千里の大草原が続いています。明治時代の記録によれば蒙古の馬賊は日没の二時間前になると宿営のために解散、散り散りなってしまい。翌朝、行軍が始まると10キロも20キロも先から三々五々逐次行軍に加わって来たそうです。ジンギス…
01-05 13:59

RT @kerpanen: 明治時代「永沼挺進隊」の記録。蒙古馬賊は夫々小銃と弾薬20-30発、小さな私物袋だけで寝具も食料も持たず、2-5頭の替馬に2時間毎に乗り換え昼食も摂らずに駈けつづけ、2百騎が5-10頭ずつの集団になりだらだらと長さ3kmもの縦隊となって、日本軍騎兵の…
01-05 13:59

RT @kerpanen: 日本騎兵は隊列を組み常歩と時に速歩で進む。きれいに隊列を組むため、馬の歩度を合わせるのは馬にとっても乗り手にとってもストレスだ。蒙古の隊列がばらばらに伸びるのは、それぞれの馬が駈けやすい速度で進むからだと思われる。馬も乗り手も楽な乗り方である。ジンギ…
01-05 13:59

RT @kerpanen: 蒙古軍というと凶猛なイメージだが、蒙古馬賊は純真素朴明朗闊達で命令には絶対服従、飲食は自分より馬を優先し、指揮官も部下を大切にして死傷者が出るような無理はしなかった。馬は雄馬だが日本と違って去勢されていて大人しい。ただし食料や替馬を略奪する時、地元住…
01-05 14:00

RT @kerpanen: @tea1800tea やっぱり地元の馬は環境に適応していますから強いでしょうね。モンゴルの馬は真冬でも放置、どんなに寒くても寒さでは死なないそうです。餌はどうしてるのかは聞き漏らしたか、聞いたのか忘れたのか、よくわかりません。日本軍の馬はかなり…
01-05 14:00

草だけ食べる馬を利用するモンゴルの重騎兵の衝撃力は 余り無い可能性も有るのかだが 替え馬が多数有り疲労していない馬で突撃するなら その限りでは無いのかだが
01-05 14:09

日本や西欧でも行軍用の馬と戦闘用の馬は別だったかも知れぬし 行軍用の物は草しか食べていない可能性も有るのかだが
01-05 14:11

モンゴルやタタール騎兵が3日間馬に草を食べさている間に 他勢力が奇襲攻撃をした例は有るのかどうかだが タタールの手の内を知るポーランド軍等はどうなのかだが
01-05 14:17

https://t.co/YXI3lkKXIh >去勢技術云々も敢えて戦闘に使う馬を去勢しないモンゴル騎兵や十七世紀まで去勢せず騎兵集団運用してるコサック騎兵など絶対に必須ではないのも判明したり。   近代は兎も角チンギスハン時代のモンゴルの戦闘用馬は去勢されないと言う事なのかだが
01-05 14:30

アルスフで極度に密集して突撃した十字軍の騎兵の馬も 去勢等は無いと言う事だっただろうか
01-05 14:31

https://t.co/8W3sUXOiOI>十三世紀中ごろ第六次の十字軍の際、「トルコ兵やサラセン兵はすべ>て雌馬に乗っていたのに、フランク兵はすべて去勢しない雄馬に乗っ>ていたので、十字軍の騎兵の雄馬は敵の雌馬を求めて、ときどき味方>をすてて敵の軍に接したので、フランク兵は非常に困った
01-05 15:32

>といわれて>いる」(加茂 1980)この時、フランスのワルター卿の牡馬は、サラ>セン軍馬の牝馬に興奮したため、卿は落馬してしまいます。   アルスフの際もアイユーブ朝騎兵の牝馬を追って リチャードが抑えていた騎士が早期に突撃した可能性も有るのかだが
01-05 15:33

https://t.co/2ASQCz77b6 >常勝を誇った李靖の戦術の基本は、騎兵の機動力に依存した長距離奇襲戦法であった。敵の思いもよらない方角から攻め込んで混乱させ、敵が逃げる方向を正確に予測して伏兵を置き、挟撃して殲滅するという戦法によって、
01-05 17:39

>李靖は味方の兵が敵より少ない場合でも常に勝利を収めた。   突厥等の騎馬民族も李靖に馬に草を食べさせている間に奇襲されて やられた例も有るのかどうかだが
01-05 17:41

https://t.co/2ASQCz77b6 >李靖は突厥の状況を素早く把握すると、配下の張公謹に軍団の指揮を預け、自らは騎兵3千を率いて雪に埋もれた突厥の陣地を襲撃した。突厥の頡利可汗は李靖の英名を知っていたので、その突然の出現に色を失い、陣を捨てて撤退した
01-05 17:50

頡利可汗も歩兵が多いと見ていた唐の兵が 騎兵のみで奇襲攻撃をして来るとは思わず馬を休ませていたと言う可能性も有るのかだが
01-05 17:51

https://t.co/xQOgvda35T >一体どうやってこの戦法を思いついたのでしょうか。それは三国志の英雄のひとりである曹操が書いた「魏武註孫子」などの兵法書から彼の騎兵運用術を学び取ることで、思いついた作戦です。曹操も鳥桓族討伐戦の時に騎兵を長駆させて、
01-05 17:59

>敵の本陣に切り込むことで鳥桓族の討伐に成功した実績を持っております。  https://t.co/jZmshog4zQ 此れは左の 曹彰の半月以上もの追撃戦を参考としたと言う事なのかだが
01-05 18:04

https://t.co/DqUzYVso45 >後に田豫は曹彰の部下として相に任命され、代郡の烏桓討伐に随行したが、易水の北に宿泊していたところで敵騎兵の伏兵に遭遇し、窮地に陥った。曹彰は田豫の策略に従い、車で円陣を作って弓や弩で敵を防ぎ、敵が撤退すると追撃して大勝した。
01-05 18:07

曹彰も戦車で烏桓族の騎兵を撃退後 騎兵で長距離の追撃をしたと言う事なのかだが
01-05 18:11

https://t.co/051IcrJJ44 >両軍は白狼山(現在の遼寧省カラチン左翼モンゴル族自治県)で突然遭遇した。このとき曹操軍の輜重は後方にあったため軍は軽騎兵のみで構成されており、一方の烏桓軍は突然の曹操軍侵攻に準備が出来ておらず、兵士はみな恐怖した。
01-05 18:30

李靖も白狼山の戦いの 烏桓族に対する軽騎兵の攻撃を参考とした可能性の方が高いと言う事なのかだが
01-05 18:32

https://t.co/051IcrJJ44 >郭嘉はこのとき、「兵は神速を貴びます。いま千里先の敵を襲撃するゆえ輜重は多く、有利に彼地へたどり着くことは困難です。しかも奴らがそれを聞けば、必ずや備えを固めることでしょう。輜重を残し、軽騎兵を(昼夜)兼行させて突出し、彼らの不意を衝くべきです」と献策
01-05 18:37

>曹操は田疇に助言を求めると、田疇は200年以上前に崩落して使われなくなった間道から先に進むことができると教え、雨で街道がふさがっている限り曹操軍は来ないと油断している烏桓の背後を突くべしと進言した。田疇は自ら手勢五百を率いて先発し、先導役となった。
01-05 18:41

>曹操は街道に立札を立て『雨季により街道が通行不能の為一時撤退する。秋冬になるまで進軍は取り止める。』というような旨を書いた。烏桓の斥候はそれを真に受けて曹操軍が本当に後退するものだと思い込み、油断しきっていた。
01-05 18:41

https://t.co/2ASQCz77b6 >吐谷渾の伏允は李靖を警戒して撤退し、草地を焼き払って馬の飼料をなくす焦土戦術を取った。諸将はこれを見て進撃の難しさを知り、次の年に草が生えるのを待ってから再度進撃することを勧めた。しかし李靖は、草が生え代わるのは遊牧民族である吐谷渾にとっても有利であり
01-05 18:52

>勝機があるのは敵軍が敗走に動揺している今しかないと言って追撃を指示した。全軍は餓えに苦しみながらも進撃し、伏允は部下に殺され、吐谷渾は滅びた。  こうした状況では李靖の軍も馬は使えず 下馬騎兵及び歩兵で伏允を追い詰めたと言う事なのかだが
01-05 18:55

https://t.co/jZmshog4zQ >曹彰は退却する鳥桓族を半月以上にわたって猛追撃を行います。半月以上追撃を行った事から兵士は疲れ、馬も疲労がたまり走れなくなっていました。そのため諸将は「後続の兵士や馬の疲労を取るためにも休息が必要です」と曹彰に進言します。
01-05 18:59

>彼は諸将の進言を聞いた後「敵は今弱っており、追撃を重ねていけば、大勝利を得られるのだ。こんなところで休むのは優れた将軍のする事ではない」と進言を却下し、再び追撃戦を開始します。曹彰は退却する鳥桓族を徹底的に追撃する事で大勝利を勝ち取り、北方の平定を大成功に導きます。
01-05 18:59

曹彰の鳥桓族追撃戦では 草は燃やされていないと言う事かも知れぬが 馬が消耗し下馬騎兵と歩兵での追撃と成っていたのかだが
01-05 19:01

李靖なら金やチンギスハンの本拠地を騎兵で奇襲して 撃退出来た可能性は有るのかどうかだが
01-05 19:09

女真族だとオランカイの様に 城を拠点としている例も多いかも知れぬし 騎兵での本拠奇襲は何処迄出来るのかだが
01-05 19:14

野戦で李靖が重視している戦車で金の騎兵を撃退する方向も有るだろうが 大兵力が有りサルフの様に兵力を分散させなければ 勝利出来る可能性も有るのかだが
01-05 19:16

https://t.co/2ASQCzoIzG >また同書によると、李靖は「防御力・輸送力に秀でた戦車(偏箱車・鹿角車)は用兵の要である」としている。   李靖も騎兵撃退及び輸送用に 戦車は重視していたと言う事だろうか
01-05 19:24

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