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2020.08

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09/26のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/sgJXMWhVDb 十字的な紋が家地に入る籠手も有るが 十字架との関連性は有るのかだが
09-26 08:48

弭槍装備の弓だと 先端付近は藤巻・漆で補強されている可能性は有るのかだが そうした弓の現物は今の所見ないが
09-26 09:34

https://t.co/nRSzBiDmRk 重藤弓だと両端が密に 藤で巻かれる例も有るのかだが 足軽用でこうした物は有るのかだが
09-26 09:41

https://t.co/32GSycK3MR これは先端部は割合密に 藤が蒔かれているかも知れぬが 槍の太刀打の藤の様に隙間が全く無い例は今の所見ないが
09-26 09:47

https://t.co/kbVPdq1y7A  藤の千段巻等も有るが 斬撃を防ぐ為の物では無いと言う事なのかだが
09-26 10:00

https://t.co/yWJmaBWJU0 左の千段刻みの弓と言うのも 藤巻が全体に有る訳では無く 漆が盛り上げられていると言う事なのかだが
09-26 10:04

https://t.co/nsgsouLyGA 雑兵物語の足軽用弓の先端部には 藤は余り巻かれないし 合戦図にも先端に藤が多い弓は今の所見ないが
09-26 10:19

広範囲に密に藤を巻くと 弓の柔軟性が低下するから 先端付近30cm等を密には巻けないと言う事なのかだが
09-26 11:01

https://t.co/qNl2u4QLTT 足軽用の安い弓だと 左の様に均一に藤が巻かれる様な物が多いのか 引きが弱い物なら藤の補強が無い様な物も多いのかだが
09-26 11:02

https://t.co/aPqM1b5cew 左は可也藤が多いが 安い弓なのかどうかだが
09-26 11:04

黒田屏風や津軽屏風の足軽用弓は藤は割に多いが 実際の物とは似ていないと言う事なのかだが https://t.co/hsX6VMvJTU
09-26 12:40

城等に 貸弓が残っている例も有るのかどうかだが そうした物の現物は今の所見ないが
09-26 12:59

https://t.co/Et2GnbfVj3 鶴ヶ城に有る弓は 漆も無い様に見えるし 古い物では無いと言う事なのかだが
09-26 13:07

隙間が有る藤巻でも 蛭巻同様弓は切断され難くは成るのかだが 斬撃で損傷した藤巻部分だけ交換と言う例も多かったのかだが
09-26 13:49

https://t.co/9DY7V1ND0I この弓は通常の4倍太いと有るが 4人張り程度の弓なのかどうかだが
09-26 13:55

https://t.co/tMU0UbuoJp 源頼政の弓は こうした根来塗的な模様が有った可能性も有るのかだが
09-26 14:06

https://t.co/bh60bMvgr6 戦国時代には漆塗の弓は殆ど無いと言うが 黒い部分の有る弓は描かれるが 漆が塗られている訳では無いと言う事なのかだが
09-26 14:09

https://t.co/Egr8aKd8hj >戦国時代に「黒い塗弓」はかなり異質である。 武士は自分好みの形と強さに調整するために、弓を頻繁に削っていた。つまり、黒く塗っても削れば無駄になるから、塗る訳がない。   削った上から藤を巻き直した例は 有るのかどうかだが
09-26 14:20

https://t.co/6SXZesR39A >市内栄町の遺跡(小田原城三の丸幸田口跡)から漆塗りの弓が出土しました。 16世紀後半の戦国時代の堀跡から出土した弓は、「弓胎弓」と呼ばれるもので、三本の木を芯にして周りに竹を張り合わせて糸で巻き、漆を塗ったものです。
09-26 14:23

>これまで、江戸時代の「弓胎弓」の存在は知られていましたが、確実に戦国時代に遡る資料が出土したのは全国でも初めてのことです。   戦国期には弓胎弓は そう大量には無かった可能性も有るのかだが
09-26 14:24

https://t.co/QLpJ0uK2nx  >小田原市栄町の小田原城跡の発掘調査で、15~16世紀のものとみられる漆塗りの弓が出土していたことがわかった。市によると、戦国時代の遺構から弓が出土したのは全国で初めて。   戦国期の弓は 此れ以外は今の所無いと言う事なのかだが
09-26 14:27

https://t.co/ndlSseszBF 此れは左の弓と言う事だろうが 1561年に既に弓胎弓が有ったと言う事なのかだが
09-26 14:36

https://t.co/T0fp4Azxs2 >弓は使っていくうちに歪みが出たりするのを直したり削ったりして調整するから、戦場の弓でも漆なんか塗らなかったはずだという人もいるようですが、全く違います。文献からも出土品からも、戦場では塗弓を使ったことが証明されています。
09-26 14:49

https://t.co/PSeqBsXRqP 鎌倉時代の書物によると、弦を引く右手(妻手)は、右肩と首の中央くらいまで引き絞り(現代では、耳の後ろあたりまで引く)、引き絞った矢の高さは、顎(あご)のあたり(現代では、“口割り”といって口の高さ)
09-26 15:03

平家物語には兜を外して弓を強く引く場面も有るし 兜を装備しない弓歩兵は耳の後ろ辺り迄常に引いていた可能性も有るだろうが 日置流には兜を装備した儘弦を体から離して引く例も有るが 此れは精度が低下する可能性も有るのかだが
09-26 15:08

鎖や割シコロの有る帽子兜装備の弓歩兵も 弓を耳の後ろ迄常に引いていた可能性も有るのかだが
09-26 15:09

https://t.co/rb7IvaAfy0 狼筅は戚継光の発明品では無いと有るが 明の正規軍は利用していたのかだが 刀を防ぐ為に大量に利用したのが戚継光と言う事なのかだが
09-26 15:30

明の正規軍が利用したとしても 敵の大兵力を迎撃する際に応急的に利用される物だった可能性も有るのかだが
09-26 16:27

https://t.co/6jSOxP968w >この時の戦闘で、明・朝鮮連合軍の火薬庫に引火し爆発した。この機に乗じて、島津軍は城門を開き打って出た。   泗川の戦いの戦いのこの火薬庫の爆発は 薩摩忍者の攻撃の可能性は有るのかだが 棒火矢や大筒の遠距離射撃が命中した可能性も有るのかだが
09-26 17:28

https://t.co/O1ljd7xBNO >そのうち、筒井勢の中坊秀行と伊賀衆が搦手から接近して、本丸に火矢を放ちました。この火矢が千石堀城の煙硝蔵(火薬庫)に引火したようで、大爆発を起こして、根来衆は火に包まれ、討って出た城兵はことごとく討ち取られたとされます。
09-26 17:33

1585年の千石堀城の戦いでは筒井勢の火矢が火薬庫に命中しているが 伊賀忍者等の棒火矢が使われた可能性も有るのかだが 欧州だと屋根に泥を塗ってロケット兵器での延焼を防いでいると有るが 明軍はどうなのかだが
09-26 17:35

https://t.co/25P1YDcb1t 小説だと伊賀衆が千石堀城の火薬庫に棒火矢を放ったと言う解釈も有るが 果たしてどうなのかだが
09-26 17:37

https://t.co/TE1mRpv0rK 島原で使われた駒木根八兵衛の棒火矢は 小型の火矢が分裂して命中する物なのかだが
09-26 17:57

https://t.co/IdXt3x9Pmf 倭寇は高速で搭載量の有る遣明船を好んだと有るが 海戦が苦手なので軍船との戦闘は回避していると言う意見も有っただろうから 逃げ足の速い小早と遣明船が組み合わされていた可能性も有るのかだが
09-26 20:33

https://t.co/IdXt3x9Pmf >攻撃の前に集団の一員がいくつかのグループに分かれて、そのグループはいっしょに攻撃した。船を攻撃した時、一つのグループは自分の船を降りて敵の船へ泳いで、その船を上って倭寇の船に残ったグループといっしょに攻撃した。防御者はこの戦法をとくに恐れた。
09-26 20:38

泳いで敵船を上がり攻撃した倭寇と言うのも 三島村上水軍の利用した夜間泳いで船を破壊する兵とは異なり 昼間敵船が警戒していない場所から潜入し奇襲攻撃すると言う様な物なのかだが そうした兵を忍者が指導していた可能性は有るのかだが
09-26 20:41

倭寇の影響の強い松浦党なら そうした泳いでの奇襲攻撃を多用していた可能性も有るのかだが 船具足等は装備されないと言う事なのかだが
09-26 21:05

元寇時の松浦党は そうした泳いでの奇襲はしていたのかどうかだが
09-26 21:07

https://t.co/14piOhrqSt 泳ぐ兵が利用した船具足が有るとしても 胴・草摺は全部浮力を考慮した鱗札で 袖や佩楯・脛当は無く 兜のシコロ部分も鱗札製と言う様な物が使われた可能性は有るのかだが
09-26 21:57

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