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2019.12

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08/24のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/JPjbGc8fex 満州弓も引き幅は日本的に大きいが 清の兜のシコロは横に出ていないので干渉は無いと言う事なのかだが
08-24 12:12

https://t.co/AjNaaQXipq こうしたサイズの傘を被っても 引きの大きな満州弓には干渉は無いと言う事なのかだが
08-24 12:29

https://t.co/b2Hw99bwVj 弓道の射法では顔に可也近くに矢が有るから 割シコロや鎖シコロでも干渉し得ると言う事だろうか
08-24 12:46

https://t.co/jANDL9Xazs 左の百匁筒は砲身は長い方だろうが 合武三島流船戦要法に有る様な大砲のアウトレンジを考慮された物の可能性は有るのかだが 英のカルバリン砲迄はアウトレンジ出来るのかどうかだが
08-24 14:00

>演武時刻の少し前から会場はにわか雨、傘無しでは耐えられないほど強い降り。「雨に弱い」とされている火縄銃、演武できるのかと思いきや、傘も差さず雨水をしたたらせたままの「ずぶ濡れ」状態での射撃。普通通りに発射された。火縄銃、雨に弱い、雨の中では使えない、は 虚説であった。
08-24 14:01

火縄銃も鉄砲陣笠や雨覆いが無く共雨には可也耐えられるのかだが 雨用の火縄は利用していたのかどうかだが 火蓋は閉じている時間が多い訳だろうか
08-24 14:03

砲身の火薬・弾も短時間で詰めれれば 水は余り入らないと言う事なのかだが
08-24 14:06

https://t.co/CFx7L10xvR 此れが写真に有った長い砲身の100匁筒の射撃と言う事なのかだが
08-24 14:15

揺れる船に固定され瞬発式では無いカルバリン砲が関船や小早等の小型の船体に命中する確率と 非固定式で瞬発式の100匁筒が砲に命中する率は 何れが高いのかどうかだが 100匁筒を利用するのは 砲の破壊と言うより砲手を破片等で殺傷する事を意図していると言う事なのかだが
08-24 14:31

三島村上水軍の場合は通信に昼は旗・夜は篝火・花火・のろしを主に利用しているのかだが 夜間はのろしは何処迄見えるのかだが 夜間奇襲をしたい場合は花火や篝火は利用されないと言う事なのかだが https://t.co/odTz2Wb0jK
08-24 14:53

英の艦艇に乗り込む等と言うのは近距離ではマスケット銃でやられるから 前面だけでも分厚い盾板・竹束が装備された様な大型船で無いと困難と言う事なのかだが 砲をアウトレンジして沈黙させた後 前面を向けて接近し 敵艦の前部或いは後部から乗り込むと言う事なのかだが
08-24 15:20

https://t.co/KlDxnCEMwW >水で囲まれた太田城に羽柴秀吉軍は中川藤兵衛に13隻の安宅船で攻めさせた。船の先端には大きな板を建てて、鉄砲や弓矢から攻撃から守るため改造したが、太田城の城兵の中で水泳の名手を選び、船底に次々と穴をあけ沈没させ、
08-24 15:35

1585年の太田城攻防戦では前面に板の有る安宅船が投入されているが どの程度の防御力が有るのかだが 通常の銃が止まる安宅船の防御力よりは恐らく高いだろうが 10匁間筒程度のマスケット銃は 至近距離では止まるのかどうかだが
08-24 15:37

合武三島流船戦要法には 乗り込みには機動性の高い小型船を利用と有るが 西欧船に対しては前面に装甲を施してさえ レパントの様に高所から高威力のマスケット銃を放たれればやられる危険も有るだろうか https://t.co/v9JhBu1dxX
08-24 16:28

ポルトガル・スペイン人倭寇と言うのも居た様だが 彼等は明人等の主流派とは組んでいたのかどうかだが ポルトガル・スペイン人の傘下の黒人やインド人・東南アジア人も加わっていたと言う事なのかだが
08-24 17:49

https://t.co/WWLxxKeezY >12月1日早朝、林鳳は1,500名をシオコに与え、上陸を命じた。倭寇を乗せたボートは部隊をマニラに上陸させるとすぐに母船に戻った。すなわちシオコらに撤退のオプションはなかった。シオコは上陸部隊を三派に分け、橋や教会を焼きながら前進した。
08-24 18:28

>シオコの戦術は集団による正面突撃であり、スペイン軍の砲火によって多大の犠牲を出しながら、イントラムロス内に侵入した。しかし、シオコらはイントラムロス内の肉弾戦に破れ、続いて林鳳が送った400名の部隊もスペイン軍に破れた。
08-24 18:29

スペインに撃退されたこうした倭寇も 8割は明人なのかだが 砲・マスケット銃を装備している相手に接近戦を挑むのはだろうが 弓や瞬発式銃・大鉄砲等での砲・マスケットのアウトレンジはしていたのかどうかだが 地形を利用されれば重砲でも無いとアウトレンジは厳しいと言う事なのかだが
08-24 18:33

https://t.co/sX6gisUh7c  地形が有っても 大阪冬の陣図に有る様なこうした塹壕や土俵で攻略すれば勝利出来たのかだが 倭寇の日本人指揮官も1574年ではこうした事が出来た者は何処迄居たのかだが
08-24 18:40

https://t.co/B46YsnpZVm >イントラムロス >その構想は星形要塞すなわちイタリア式要塞(とても平坦な構造物で、互いをカバーするように特に設計された多数の三角形の稜堡と堀からなる)に基づいていて、8フィートの厚い石と22フィートに達する高い壁に囲まれた64ヘクタールの土地に及んだ。
08-24 18:45

倭寇が撃退されたイントラムロスのこうしたイタリア式の星型要塞は 1574年時点では未だ無いと言う事なら 塹壕や土俵でも攻略出来たのかだが 星型要塞なら2000名でもそう簡単に攻略出来たのかどうかだが ロドス攻防戦の場合坑道爆破をしても時間が掛かっているだろうか
08-24 18:47

倭寇のポルトガル・スペイン人も拉致されて戦奴的な戦闘員とされた者が大半なのかだが 黒人や東南アジア人は作業員とされた者の方が多いのかだが
08-24 21:01

https://t.co/PnuqTWVhA9  >フィリピン人とスペイン人の混成部隊は協力して戦いました。当時、スペイン人は当時のスペイン式フェンシングであるエスグリマを、フィリピン人に自衛手段として奨励していました。のちの言葉でいう「エスクリマ」です。
08-24 21:08

>この原初のエスクリマ部隊は見事シオコを打倒しました。  とは言え150人が2000人に接近戦で勝利したのでは無く 地形と火器を組み合わせた故と言う事なのかだが フィリピン兵の弓も銃の装填中等に利用されたのかだが
08-24 21:14

https://t.co/gQKMSP4vYU >伊勢守と言えば新陰流の開祖。そしてその師である陰流の開祖、愛洲移香斎というのが倭寇だったと言われています。おそらくはこの船山諸島倭寇に参加していた時期があったのではないかと思われます。
08-24 21:46

https://t.co/HtGelgrgbG >一説には久忠は若いときに各地へ渡航し、明にまで行ったとされる。このことに対し、『武芸流派大事典』(綿谷雪編、1978年)では、海外での貿易・略奪にかかわるものではないかとしている。
08-24 21:49

https://t.co/XYVojUhRrp >愛洲久忠が北京に赴いたのは第二期・六次遣明貿易で、文明15年12月に「堺」を出港している。日向国(宮崎県)に寄港し、年を越して「寧波」を経て、北京には明の成化20年11月に到着、日本の文明18年7月4日には帰国している。
08-24 21:50

愛洲久忠が明に行ったのは勘合貿易が理由と言う可能性も有る様だが 熊野水軍の者だろうが果たして倭寇には加わっていたのかだが
08-24 21:58

https://t.co/gQKMSP4vYU >この船山諸島の六横島にあった海賊たちの港は、当時の文献によると数千人規模の街が形成され、ポルトガル人やその奴隷として連れてこられた黒人たちがおり、病院や警察機構が備わった都市であったという話すらあります。
08-24 22:11

>五島列島の先にある船山諸島が、明に嫌われたポルトガル人、地元の中国人、そして訪れている日本人ら各国海賊たちの密貿易の本場となりました。   ポルトガル人も密貿易推進の為に 自ら倭寇に加わっていたと言う事なのかだが
08-24 22:16

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