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2023.06

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01/10のツイートまとめ 

boukenkyuu

朝鮮軍陣図屏風だと 士鉄砲組らしき物は可也後方に配置されているが 射程の短い10匁筒等を装備している故なのかだが 敵が接近したら前衛の鉄砲足軽と入れ替わっていたのかだが https://t.co/v2o8v67zOY
01-10 10:49

https://t.co/wHOwwNu2IX 天文期の物の可能性も有る様な 古い10匁筒が有るが 果たして1550年台等の物なのかだが こうした物も50m程度では放っていたのかだが
01-10 11:05

射撃で落馬し馬を盾にして射撃している様な明騎兵も 10匁筒等で馬毎貫通されやられていたのかだが 包囲されて側面から通常の銃でやられた者も多かったのかだが
01-10 11:28

そうした障害物に隠れた敵を銃の上手い騎馬武者が小さい銃で ヘッドショット等と言うのも有り得るのかだが 墨縄の様な物でも50m程度が限界なのかだが
01-10 11:34

柴田合戦記に 北之庄城の城壁を10-15間(18-20m)の距離で取り巻いたと有るが この距離でも標準の2.5匁程度の弾なら竹束でも防げるのかだが 6匁筒は50mで止まっているだろうか
01-10 11:51

武用弁略には銃眼装備の車盾が有るが 通常の垣盾には無いが 銃眼が有る例も有るのかどうかだが https://t.co/1JCi3I75Xb
01-10 12:23

https://t.co/dGTmNxbG4x <両懸の戦法>持槍を自陣形の先手の前一面に押し並べ、その陰に弓、鉄砲を一人置きに組み合わせて備え、竹束など楯の隙間から少し撃ちながら、足を早めて進撃し、敵との間が14間(約25メートル)から15間(約27メートル)ぐらいになると、楯を捨て、
01-10 13:43

>鉄砲は一斉射撃、弓は矢継ぎ早に両三矢ずつ射掛ける。そして敵がひらきなびいた所へ足軽の後方に備えている徒歩武者などが、各々の得意武器を持って太鼓の合図に従ってまっしぐらに敵陣に斬り込んで行く。弓、鉄砲の足軽も手当り次第に武器を持って武士に続き、
01-10 13:44

>喚声をあげながら敵陣に斬り込んで行く戦法である。これを両懸という。   27mで捨てられる盾と言うのは 車竹束なのかだが 2.5匁弾はこの程度迄なら耐えられるかも知れぬが 垣盾では100mでも貫通するのかだが
01-10 13:46

雑兵物語だと弓・鉄砲足軽は 近接戦時も部隊の横に展開して射撃をするが 27m辺りの部分で車竹束と共に横に移動して 射撃戦をしていたのかだが
01-10 13:49

車竹束では無く垣盾を持って移動しているなら 27mと言うのは2.5匁弾が垣盾と足軽胴を同時に貫通出来る直前の距離かも知れぬし この距離より接近しては垣盾は無意味として 弓・鉄砲足軽は横に移動していたのかだが 接近戦をする騎馬武者・槍足軽を撃たせぬ為に牽制射撃はしていたのかだが
01-10 13:53

https://t.co/hQHgWffeEL >手詰懸 >だいたい5~6間(約9~10メートル)になるまで楯で矢玉を防ぎつつ押し進める。楯で押し進めた後、太鼓の合図で楯の陰から躍り出て敵中に斬り込んで行き、手当り次第に敵兵を倒し、一気に敵を打ち崩す。
01-10 13:59

9-10mでも騎馬武者の胴なら2.5匁弾は 垣盾と同時には貫通しないだろうが 大型の銃でやられる或いは 装甲の薄い部分を貫通される例も多かったのかだが
01-10 14:00

https://t.co/Ioi1D4VDtD <玉砕の戦法>玉砕の戦法も両懸、手詰懸と同じく持楯を自陣前面に立て並べ、その陰に松の木で製造した五貫目弾の木銃を数十挺並べて備え、その大筒の間ごとに十匁弾銃を4~5挺ずつ組み交えて、太鼓の調子を早くし、
01-10 14:06

>敵との距離が二町ほどになると鉄砲を数回撃ち鳴らして、さらに足を早める。敵との距離が14~15間になったときに合図の貝を吹き鳴らすと、持っていた持楯を捨てて左右に展開し、五貫目弾の木銃すなわち大砲に軽い弾を込めて順々に発砲し、
01-10 14:07

>その振動及び爆音に動揺した敵に続けざまに鉄砲を撃って敵の注意を引きつけ、発砲によって発生した硝煙の間から武士、足軽ともに脇目もふらずに矛先を並べて敵中に突き入り、縦横無尽に斬り回って雌雄を争う戦法である。
01-10 14:09

この散弾装備の木砲・十匁筒は攻勢時の至近射撃に使われる物と言う事なのかだが
01-10 14:11

5貫=18kg等と言うと スウェーデンの連隊砲よりかなり大量の散弾が放たれるのかだが 木砲であるから1回のみの利用なのかだが 忍者が潜入時に使うには余りに巨大な砲だろうか
01-10 14:17

18kgの砲弾を放つ木砲を攻勢時に使うには 台車が必要と言う事は無いのかだが
01-10 14:20

下の国芳の絵の車輪付き砲は 木砲では無いと言う事なのかだが https://t.co/ZNw8AuxguK
01-10 14:25

https://t.co/HXEsznewux >この鈎が頻繁に用いられるようになったのは関ヶ原の戦い頃からだといわれている。大坂の陣の頃になると、戦場で用いられた槍の8割から9割が鈎槍だったという記録もあるそうだが、それに関する史料をみたことがないのでここでは控えさせてもらう。
01-10 14:50

https://t.co/cWuaUCWWOe 朝鮮軍陣図屏風では足軽が大量に鈎槍を持つ例も有るが 津軽屏風や黒田屏風では鈎槍は戦闘している者は持たないが 足軽の長柄槍では無く持槍の8-9割が鈎槍と言う事なのかだが
01-10 14:56

珍品 変わり兜●武具甲冑鎧兜 https://t.co/x9p5gCCsCQ 此れは福禄寿形兜なのかだが 家康の大黒頭巾の兜が有るなら こうした物も戦国期に無いのかだが
01-10 15:13

【侍】 時代 縁起物 五円玉細工 鎧 草摺 籠手 臑当て 甲冑 5円玉 1,662枚 に 古銭 A870 https://t.co/m5kcnw6sVI 佩楯や籠手に 銭が使われる例なら 戦国期にも有るのかどうかだが
01-10 15:42

https://t.co/DHWQKN6j7Y こうした銭の入る 佩楯・籠手は戦国期に有るのかだが
01-10 16:41

小鰭・襟・脛当の立挙にも 銭が入る例は有るかも知れぬが 面頬の垂や下シコロには有るのかどうかだが
01-10 16:47

雑魚兵や非専業忍者が鎖帷子の代用に 銭を利用した帷子を使う例は有るのかだが
01-10 16:52

https://t.co/f7HZSUR1vE >豊臣家に仕える「お菊」と言う女中が「天守に鉄砲の弾が飛び込んだ」と言う内容を手紙に書いていますが、大砲の弾が天守を直撃したと言う記録は見つかってないようです。なので「淀君が大砲の弾に驚いて和議を結んだ」と言うのは史実ではないと思います。
01-10 19:01

小谷城は兎も角 北ノ庄城では羽柴軍の大筒は大量に撃ち込まれている可能性も有るだろうし 淀君もそうした事でやられた女の戦死者も多数見ているだろうから 砲を撃ち込まれた程度で和平を結んだ共考え難いのかだが
01-10 19:06

信長の鉄甲船の砲は300匁以上と言う意見も有るが こうした物は北ノ庄城に撃ち込まれていたのかだが 大型のフランキ迄は有ったのかだが
01-10 19:16

https://t.co/yguMNfbSRB >長篠の戦(1575年)に備え、国友の鉄砲鍛冶に3千挺の鉄砲を発注した信長は、同時に大砲の試作を命じている  国友の鍛冶が岐阜城に届けた試作の大砲は4門。砲身長9尺(約3m)、弾丸は種子島銃の30倍(2百匁)に達し、比類なき大口径砲だったとされる。
01-10 19:22

>信長がこれを用いたのは、石山本願寺との2回にわたる木津川沖の合戦である。   この200匁程度の砲以上の物が 北ノ庄城に撃ち込まれていた可能性も有るのかだが
01-10 19:23

鉄甲船の砲も 砲身3m・200匁では スウェーデンの連隊砲よりは長砲身だが 口径はやや小さい訳だろうか 瞬発式で精度重視の砲なのかだが
01-10 19:30

毛利水軍の指揮船をこの砲で砲撃したと有るが 高精度かも知れぬが何処迄射程は有るのかだが
01-10 19:32

砲身3mでは発射速度は低速だろうが 1門放った後は装填しつつ回頭して 側面等の別の砲を放っていたのかだが 毛利水軍指揮船は安宅船だろうが 何処迄ダメージは与えられたのかだが 村上水軍は小型船が多いと言うが 指揮船は関船程度なのかだが
01-10 19:40

https://t.co/Wr8hMJBz7X 九鬼水軍は指揮船を大砲だけでは無く 大鉄砲でも狙撃したから 安宅船でもやられていたと言う事なのかだが
01-10 19:42

九鬼水軍は明・朝鮮水軍に対しても 同様に砲・大鉄砲で指揮船を狙撃していた可能性も有るだろうが 他の水軍はどうなのかだが 毛利・村上水軍は焙烙玉は捨てないが 九鬼同様の銃砲主体の戦術を利用した可能性も有るのかだが
01-10 19:47

そうした恐らく瞬発的な砲や大鉄砲は 明・朝鮮水軍の砲より射程は長いだろうが 火矢の射程外から攻撃はしていたのかどうかだが 火矢も非ロケット式なら100m飛ぶのかどうかだが
01-10 19:51

https://t.co/ZxNmMutHpI >100隻以上の敵船との交戦で、その様子は、「棒火矢が飛んでくれば用意の綱で海中にはたき落とすので、船には当たらない。近くから半弓で射ても、三重の幕の二重は通るが、最後の一枚で受け止めてしまう、
01-10 20:05

https://t.co/2ECO7dkgee 上の棒火矢を防いだ戦いと言うのは安骨浦海戦なのかだが 1592年に既に棒火矢の対策は成され 日本軍が一方的に瞬発砲や大鉄砲でアウトレンジ攻撃が出来たと言う事なのかだが
01-10 20:11

https://t.co/umHqxpgfn0 姫が居る場所は 砲や大鉄砲の砲撃は避けていたかも知れぬが かなり近くでそうした砲で人がやられていたと言う事かも知れぬが
01-10 20:13

https://t.co/ZxNmMutHpI >近距離まで迫って石火矢(火砲)を射放したときは、日本丸の中柵三尺四方を打ち破ったが、かねて用意の大工たちに言いつけ、即座に修理して海水をとめ、日本丸は動揺すらしなかった。」(志摩軍記)
01-10 20:17

こうした状況では日本丸が一方的に射撃を受けた訳では無いだろうし 砲の実体弾の射程は50m程度なら 日本軍の火矢で延焼する可能性も有るのかだが 大安宅的な日本丸程度の船は体当たりではやられなかったと言う事なのかだが
01-10 20:20

立花誾千代の女鉄砲隊は 立花道雪から利用される襷早合を利用しているのかどうかだが
01-10 21:24

https://t.co/Wr8hMJBz7X >九鬼の6隻の鉄甲船は、敵を引きつけて、大将が乗っていると思われる船を大砲・大鉄砲で集中攻撃するという戦術をとった。  6隻だと大砲は18門有るだろうし 大鉄砲も相当数有るから 毛利・村上の指揮船は短時間でやられていたのかだが
01-10 21:40

6隻の鉄甲船も回頭しながら砲を3連発し装填もしつつ 砲の次弾発射迄は停止してこの間に大鉄砲を連発していたと言う事なのかだが 砲の照準に可也時間も必要だろうから この間にも大鉄砲を放っていたのかだが
01-10 21:45

https://t.co/SaBJ3pmD4Q >日本軍の艦船が停泊するもの400餘隻、朝鮮船が近迫するのを望み、艦上、城上、山上より巨丸を飛ばしてこれを防ぐ。朝鮮水軍では鹿島万戸鄭運以下死傷するものが多く出た。   釜山浦海戦では艦上からも砲が 相当数放たれていると言う事なのかだが
01-10 21:49

関船の船首にも砲が有る例が有る様だが 何処迄装備されたのかだが 下の蔚山城を救援に来た日本船は 浅瀬に乗り上げる為に小早なのかだが 此れには砲は無いと言う事かも知れぬが 下の様な状況では正面の銃兵に銃を渡して連発していたのかだが https://t.co/0VFM0t9NWQ
01-10 22:24

https://t.co/Z1cvJ2GCEd 天正伊賀の乱でロケット式の飛火炬が使用された可能性は有るのかだが 日本軍のロケット火矢もこの種の物なら 1592年にも有ったのかだが
01-10 23:02

https://t.co/6NFRpUK9w8 1km飛ぶ様な大国火矢も有る様だが 船上で果たして使われたのかだが 棒火矢も慶長の役では コピーされ利用されていたのかだが
01-10 23:03

大国火矢も射程1kmの物は城や陣地相手に放たれる物であり 対船用の物の射程は500mも無い可能性も有るのかだが
01-10 23:06

https://t.co/bHV6PvKqCg 1593年に九鬼嘉隆が棒火矢を入手している可能性も有るだろうが 此れ以前にも鹵獲された船から手に入れていた可能性も有るだろうが 文禄期にコピーはされていたのかだが 文禄期でも鹵獲品は 使用されていたのかだが
01-10 23:29

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