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2019.09

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12/18のツイートまとめ 

boukenkyuu

立花軍の騎馬鉄砲隊も 馬の後部に有るのは胴乱では無く襷早合を大量に入れた袋の可能性も有るだろうが こうした袋に迄有る大量の弾薬は 敵を伏兵迄誘導した後銃撃する分だけでは無く 敵敗走後の乗馬追撃時にも利用されていた可能性も有るのかだが
12-18 13:40

碧蹄館では明軍指揮官李如松を そうした騎馬鉄砲で追撃し銃撃と言う所迄は 物量の問題や騎馬弓での反撃等で出来なかったと言う事なのかだが
12-18 13:42

そうした騎馬鉄砲の馬に 装甲は有るのかどうかだが 西国の騎兵だから完備迄は無いと言う事なのかだが 或いは弓での反撃を考慮して 装備されていた可能性も有るのかだが
12-18 13:47

https://t.co/Fz03vo9YqK >二段射撃して後は槍隊を繰り出して突進、続いて自分が率いて騎馬隊は馬を乗出し敵の中へ縦横に突て廻りける「長尾懸かり」というかけ合い戦法で毛利方の主力である小早川勢を撃破したが、  長尾懸かりのこうした騎乗突撃は 西欧を参考とした可能性も有るのかだが
12-18 13:56

スペインやポルトガルも 1569年段階では槍騎兵はかなり廃れていただろうから 影響は無い可能性も有るのかだが 道雪の軍もそうした騎乗戦闘を多用するなら馬鎧が完備されていた可能性も有るのかだが 宗茂の軍はどうなのかだが 1580年台には火車懸の騎乗銃兵が多く成ったのかだが
12-18 13:58

https://t.co/YC80W1U80u >しかし9月15日の関ヶ原本戦には大津城を攻めていたために参加できず、本戦での西軍壊滅を知って大坂城に引き返した[28]。  立花宗茂が西軍に合流していたら 東軍は敗北していた可能性も有るのかだが
12-18 14:58

>大坂城に退いた後、宗茂は城に籠もって徹底抗戦しようと総大将の毛利輝元に進言したが(『立斉旧聞記』)[29]、輝元はその進言を容れずに徳川家康に恭順したため、宗茂は自領の柳川に引き揚げた。
12-18 15:15

輝元が籠城したら15000+立花軍15000は居るかも知れぬし 他の戦場の動向如何では勝利或いは五分には持ち込めたのかだが 輝元は元は東軍寄りだから 其処迄の抵抗は無いのかだが
12-18 15:16

https://t.co/3JrMnFnUTC南宮山方面布陣  毛利 秀元  15000  吉川 広家  3000  安国寺 恵瓊 1800  長束 正家 1500  長宗我部 盛親 6600毛利軍以外にも 10000程度は増やせた可能性も有るだろうし 40000の兵を宗茂が率いれば 結果はどうだったのかだが
12-18 15:24

https://t.co/yvbBiOxQTY >家康が大坂へ向かうのなら三成にとっては好都合であり、大坂城付近での後詰決戦を行えば良いはずであるという点である。田辺や大津など、近辺の東軍を攻撃していた僚軍の合流も見込める  大阪城で宗茂と合流して戦っていれば 西軍にも勝機は可也有ったのかどうかだが
12-18 15:35

西軍が籠城しても城内等で脇坂等が蜂起する危険は有るだろうが 東軍を勝たせる所迄は行くのかだが
12-18 15:48

戚継光が明軍を指揮して日本軍と戦ったら 何処迄対抗出来たのかだが 日本的な銃の狙撃戦術を大量に導入し 西欧的な非フランキ砲を大量に導入すればだろうが 日本軍も後者は導入した可能性も有るのかだが
12-18 16:42

中国的な軍制では欧州的な弾幕射撃をする兵は兎も角 狙撃兵等は大量に育てられるのかと言う事は有るのかだが 戚継光の使用していた日本的銃も 狙撃は何処迄していたのかだが
12-18 16:43

紅夷砲の様な砲は大量に導入された可能性も有るだろうが キャニスター弾が出る前では 散開した日本軍への制圧効果は限定されるのかどうかだが
12-18 16:47

https://t.co/Q5TbDeL9iG >崇禎三年(1630)には徐光啓の監督下で四百門あまりの紅夷砲が製造されており、  こうした数が有れば 攻城戦等で密集した状態では通常弾でも厄介かも知れぬが 日本軍もこうした物は大阪陣の様に 数を揃えた可能性も有るのかだが
12-18 16:50

日本軍もそうした砲を数揃えたら 野戦でも密集する明軍は打撃を受けるかも知れぬし 銃の狙撃力の差も有り やられ得ると言う事なのかだが
12-18 16:51

https://t.co/1o8Yvmr1Ag 17世紀スウェーデン軍の主力砲は 砲弾は3ポンド(1.36kg)の連隊砲だろうし 此れは大阪陣で100門以上使われたと言う芝辻砲(砲弾重量4.5kg)より小型である訳だろうから こうした砲を数百門製造するのは日本なら容易なのかだが
12-18 17:41

https://t.co/wQzzxZzKCr スウェーデン軍の連隊砲は左の350匁筒とほぼ同様の砲弾重量だろうが 砲身の長さは連隊砲の方が可也長いだろうし 精度は有ると言う事なのかだが
12-18 17:48

スウェーデン軍の24ポンド等の重砲は 機動性・発射速度は無いだろうが 射程を生かして指揮官ティリー等の居る後方の騎兵を狙って放っていたのかだが
12-18 17:58

https://t.co/8us93LlajQ レヒ川でティリーは そうした重砲の本陣への遠距離射撃でやられた可能性も有るのかだが
12-18 18:01

大阪陣の野戦で芝辻砲等の砲が使用された例は有るのかだが 真田軍の突撃は此れで果たして 何処迄阻止されたのかだが
12-18 18:15

https://t.co/GHfOPPU9rz 天王寺口では 中央の本多忠朝隊の前に 数百門の砲等は配置されていたのかだが 此処に突入した毛利勝永隊が全く阻止されている様にも見えないし 真田軍が迂回を試みた様にも見える 松平忠直の部隊の前に配置されていた可能性も有るのかだが
12-18 18:32

https://t.co/uMxVULHFqH >そこで勝永は戦術を変更し兵を折り敷かせ(左ひざを立て、右ひざを曲げて、腰をおろした姿勢)、本多隊との距離が100メートルほどになった時に一斉射撃をさせた。
12-18 18:36

これ以前は100m以遠で銃撃戦をしていたと言う事なのかだが 低くすればそうした距離では中々命中しないのかだが
12-18 18:37

衝撃騎兵としては体重600kgの騎士の馬 偽装退却で長距離逃走しながら弓を放つなら スタミナの有るモンゴル馬が良いと言う事なのかだが アラブ馬は両者の中間と言う事なのかだが アハルテケはアラブ馬的だが 例外的にスタミナも高いのかだが
12-18 20:30

https://t.co/mIdDQcb7gi >1935年、トルクメン人の騎手団がアシガバートからモスクワまで2,500マイルを84日で走破したのが示したように、この品種には大きな持久力がある。この行路には235マイルの砂漠を含んでいたが、水なしで3日で横断した。
12-18 20:55

水無しの状態ではモンゴル馬よりアハルテケの方がスタミナは上かも知れぬが 水が有る状況ではどうなのかだが
12-18 20:59

https://t.co/IefoaFZQeV 日本の馬鎧の場合後部に装甲は無いから パルティアンショット的運用には向いていないし 伏兵迄敵を誘引する騎馬鉄砲隊には 装備されていない可能性も有るのかだが
12-18 21:46

https://t.co/9RjPiSdgfu 板金の小鰭も 江戸期の南蛮胴では有るのかだが 戦国期には雪下胴の物以外は無いのかだが
12-18 22:26

https://t.co/6ZDlatjQBH 上杉謙信の板金的な小鰭も有るが 一枚板の物は雪下胴以外では戦国期に有るのかだが
12-18 22:33

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