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2018.12

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11/18のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/Ge8oI2vuni >その結果、夜間の路面でクルマから最も見えやすいのは蛍光イエローであると判明。その平均視認距離は47.5mで、視認性最下位となった黒(9.5m)の約5倍も見えやすいという結果に。   黒い忍者服は夜間目立つと言うが 左を見る限り果たしてどうなのかだが
11-18 08:39

>14位青9.9m 最下位黒9.5m   青は割に暗い色に見えるが 忍者服の紺色と比べどうなのかだが 黒の方がやや秘匿性は上なのかだが
11-18 08:41

月明かりや松明の光を幾らか考慮したら 結果は変わるのかどうかだが 白い壁が背後に有る場合なら やや白い色の方が目立たない可能性も有るのかだが
11-18 08:44

松明で照らされた 白い壁や陣幕を考慮すれば暗い色の忍者服の秘匿性は果たしてどうなのかだが 忍者もそうした場所は移動しない或いは 低くして移動と言う可能性も有るのかだが
11-18 09:07

https://t.co/394yphfgHT >元亀元年(1570年)8月に大阪で本願寺勢力と戦った摂津野田・福島攻めで、おそらく初めて、本格的な鉄砲戦が展開されました。この時は敵に回った根来、雑賀衆が鉄砲を陣地に3000丁も持ち込んだようです。
11-18 10:14

信長公記に根来・雑賀の銃は3000と言う記述が有ったかも知れぬが 士鉄砲の比率が依然多かったのかだが 信長が此れを真似して長篠で1500丁以上の銃を持ち込んでいたと言う事なのかだが 1500は最低数であり 3000程度有った可能性も有ると言う事だっただろうか
11-18 10:16

https://t.co/394yphfgHT >ところが不思議なことに、その直前に起きた、浅井、朝倉相手の合戦、姉川の戦いでは、ほとんど鉄砲の話が出て来ません。元亀元年(1570年)の6月に、浅井の小谷城を攻めた後、撤退戦に入ってから、500丁の鉄砲でこれを援護した、という話があるだけです。
11-18 10:18

姉川でも信長軍の銃は最低500は有ったと言う事なのかだが この撤退戦で全てが投入された共思えないし 全体では1000程度は有った可能性も有るのかだが
11-18 10:23

>ただし鉄砲が無くても戦術の差、兵力の差で織田・徳川が勝ってたろう  引き付けて銃を放って逃げ 後方の別働隊が再度引き付けて銃を放つと言う事をしなければ 地形を利用してさえ戦闘力の差で 信長軍が或北していた可能性も有るのかだが
11-18 10:28

1574年の第三次長島侵攻時に信長軍は大鉄砲を使用しているから 長篠でも利用された可能性は有るのかだが 20匁程度の筒しか無い可能性も有るのかだが
11-18 10:42

https://t.co/EAXTH7OZl7 >織田信長は配下の水軍の九鬼嘉隆に命じて固定式の大鉄砲(350匁以上の弾を撃つ)を木製の安宅船に備え付けて、長島一向一揆攻めの際に海上から砦に対し歴史上初とも言われる艦砲射撃に相当する戦法を行っています。
11-18 10:46

350匁と言う数字は信長公記には無いだろうし 大鉄砲と言うのは20匁以上の物と言う事なら 20匁程度の物が多数連発されていた可能性も有るのかだが
11-18 10:47

20匁弾を近距離で防げる様な鉄盾や 車竹束は恐らく無いなら 長篠でも武田軍は此れで かなりダメージを受けていた可能性は有るのかだが
11-18 10:58

https://t.co/rE6iBBuszK >鉄砲の口径を大きくした大鉄砲にも触れている。永禄年間の毛利元就の史料にあるとのこと。  1570年には大鉄砲は 存在していたと言う事なのかだが 西欧製や此れのコピーのフランキ砲の可能性も有るのかだが
11-18 11:08

長篠の場合は信長軍の銃兵は最前列に全て抽出されていたなら この部隊が引き付けて銃を放った後 後方の土塁に迄後退 彼等が再装填する迄弓兵や白兵戦部隊が時間を稼ぎつつ後退し 再度土塁から銃を放っていたと言う事なのかだが
11-18 11:20

とは言え馬防柵と土塁で武田軍を足止めしている間は 出来るだけ銃を連発しているかも知れぬが 5発程度放った後の清掃・冷却には時間が掛かるだろうから この時点では後方の土塁に後退していたと言う事かも知れぬし 清掃・冷却終了後迄白兵戦部隊と弓兵が 後退しつつ戦い時間を稼いでいたのかだが
11-18 11:27

サルフの戦いの様な夜間攻撃に対しても 馬防柵・土塁を利用し 近距離で銃を輪番射撃する事を繰り返し 清掃・冷却時に後方の土塁に後退して再度射撃する事を繰り返せば 日本軍が大兵力なら勝算は有ると言う事なのかだが
11-18 11:32

https://t.co/rf9n38PC9C >さらに驚くべきことは、紹介する3番目に古い天正13年6月の伝書の内容である。鉄炮に装填する玉の数は1個が常識であるが、はたしてこの伝書をみると、なんと数個の玉を針金でつなげた玉、玉は鋳型でつくるが、はじめから鋳型に鉛を流しこんで2個の玉を同時に鋳込んだ玉
11-18 12:15

>中空の玉、散玉(ちりたま)、二ツ玉、三ツ玉、長方形の玉を数個つなげる立あい玉、4個の玉を針金でつないだ門破(玉)、矢玉など、あわせて三十数種類におよぶ玉のこしらえ方が、いちいち説明されている。
11-18 12:16

1585年には散弾らしき物が有るのかだが 縦長の弾も存在すると言う事なのかだが 矢玉と言うのは鏃的に尖った弾の可能性も有るのかだが 標準的な3匁程度の筒でも火薬量を増やした縦長の玉を放てば 可也威力は有るのかだが 大鉄砲にこうした弾は有るのかだが
11-18 12:19

>4個の玉を針金でつないだ門破(玉)  こうした物を垣盾に放てば 割れる可能性も有るのかだが 鏃でも盾を割るタイプも有るが 何処迄使用されたのかだが 練革や竹を張れば 割れない可能性も有るのかだが
11-18 12:25

そうした弾も恐らく精度が低下するだろうし 2倍は兎も角4倍等の火薬を入れては放っていないなら 近距離でのみ使用されたのかだが
11-18 12:34

https://t.co/r7KTn7qbke 此れは柄の断面が見えるのかだが 上手く切れていない部分は 木の芯であると言う事なのかだが
11-18 13:23

https://t.co/yJ6rbgbhMm 左の柄は複合材料では 無いと言う事なのかだが
11-18 13:37

下は1622年成立の信長記の記述だが 現実の長篠で同様の事は無いと言う事なのかだが 大阪陣等で似た様な戦術を利用した者が居た可能性も有るのかだが https://t.co/4VhlE4HMFS
11-18 16:24

下の長持ちの様な形で 100匁等の大筒が運搬されていた可能性は有るのかだが 草履や茶弁当・雨具等の軽い物しか持たない者も居たのかだが 旗や槍を持つ者は疲労を考慮して複数が交替している様に見えるが 軽い物を持つ物との交替等は有り得たのかだが https://t.co/wisO6kzGBK
11-18 17:05

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