FC2ブログ

Category

2018.12

 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31  

11/13のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/CO0ThY2Gji >忍者のような工作や諜報は「影働き」と呼ばれ、戦場で直接的に戦う「槍働き」に比べ著しく評価が低かったため、保長は正成を武将として育て、上記の槍半蔵こと渡辺半蔵守綱と並び称される槍の名手となり、戦場で多くの勲功を挙げた。
11-13 12:08

初代服部半蔵・保長は忍者だろうが 偉い者は槍も使用出来た可能性も有るのかだが
11-13 12:10

https://t.co/82GZa9zNxm >忍者としての訓練も受けていたという説もあり、一部の記録などでも正成は戦場で忍者の様な俊敏さを持ち、伊賀流忍者達を率いた撹乱戦も得意としていたとされている。また、戦いでは槍の使い手であったとされている。
11-13 12:13

服部半蔵も自身で潜入迄はしていないが 潜入部隊を後方から指揮はしていたのかだが
11-13 12:17

https://t.co/Te3yZHac0r >弘治3年(1557年)、16歳の時に三河宇土城(上ノ郷城)を夜襲し戦功を立た際、家康から盃と持槍を拝領したという。   服部正成もこの辺りでは 自ら潜入迄していた可能性も有るのかだが
11-13 12:44

>『服部速水正宣家譜』に年号や年齢についての記述はないが、正成が三河宇土城を夜襲し、その武功を立て家康から葵御紋の杯・槍を褒美として贈られたと記述があるため、宇土城で戦功を挙げたのは事実と見てよい[2]。  此れは1557年では無く 62年の攻撃の際の可能性が高いのかだが
11-13 12:47

https://t.co/ORtGouJGcr >永禄5年(1562年)に徳川家康と松平清善らの攻撃を受けるが、堅城である上ノ郷城はなかなか落城しなかった。そのため家康は甲賀衆を用いて城内に火を放ち、その混乱の中から攻め入られ、同城は落城した。
11-13 12:49

この1562年の攻撃の際 服部正成の伊賀忍者も投入されていた可能性も有るのかだが 正成本人が果たして潜入迄はしたのかだが
11-13 12:50

煙玉や目潰しを 雑魚的忍者が使えるのかだが 騎馬武者的忍者が部隊を退避させる際或いは戦闘時に 使用していた可能性も有るのかだが
11-13 13:14

https://t.co/j9E2RoJsx0 >万川集海にない忍器や火器を考えつけば、師匠に教えることも誓っている。  忍術書に載らないこうした物が 相当数有る可能性も有るだろうが 漫画的な物は何処迄有るのかだが
11-13 13:32

撤退時は煙玉・撒菱を散布し 遠方に逃れた後 新手が現れたと見せる為に 爆竹的な百雷銃を使用すると言う可能性も有るだろうが 忍者の知識が有る者に此れは通用しないかも知れぬが 新手は居ない様に見せて伏兵を配置し 攻撃と言う様な例も有るのかだが
11-13 14:19

大薙刀.長巻/刃長52.4㌢拵入/刀身彫/春日大明神/大日如来/真言密教/仏/寺院/神社/日本刀/刀装具/甲冑/武具/僧兵 https://t.co/W5r9KuscaC  こうした文字の彫物の有る薙刀は 実戦使用されたのかだが 僧兵は仏の名の入る物・神人は神号が入る物を多用した可能性等は有るのかだが
11-13 14:37

【喜】大名品 時代物 十字槍 赤樋入 槍被せ 武具 ITK004-70 https://t.co/9sz72w3Tek こうした枝に樋が有る十文字槍は戦国期に有るのかだが   https://t.co/h71YMvVkJB 森長可の人間無骨には有るが 小型の十文字槍には有るのかだが
11-13 14:52

退避時に散弾装備の木砲を一発放ち 其の後で焙烙玉を炸裂させれば 此れを木砲の発射と敵が誤認すれば 可也牽制に成る可能性も有るのかだが
11-13 16:36

騎射もする騎馬武者が 弓に弭槍を装備する例も漫画等では有るが 武田光和が使用した様な鉄製の弓なら切断は困難だろうし 此れに弭槍を装備している例は有るのかだが 十文字槍的な物が装備される例等も有るのかだが
11-13 16:38

そうした物は使用せず 槍を従者に持たせるか 津軽屏風に有る指物の様に 槍が腰に差されている可能性も有るのかだが 双方共即応性には欠けているから 槍に持ち替える前に筈槍が使われる可能性も有るのかだが
11-13 16:46

https://t.co/HanzK5TPfu 有沢武貞の図解兵器に有る鎗腰當と言うのも有るし 此れは帯に槍を太刀の様に固定する物かも知れぬが 戦国期には使われたのかだが 指物的に単純に帯に差される例も有ったのかどうかだが
11-13 16:55

https://t.co/Ft34BuqzeP >光和は三間半の大槍を振り回して 「当城を枕に打死するしかあるまい」 と、なおも進まんとするを…  三間半(6.4m)の槍なら  16世紀前期の歩兵の2間(3.6m)程度の槍なら両手持ちでもアウトレンジ出来るのかだが
11-13 17:06

フサリアの場合5.5mの騎兵槍(コピア)で 5.5mのパイクをアウトレンジした等と言うが 馬をやられる危険は無いのかどうかだが https://t.co/sMYKhIyv6Y 左の絵ではコピアの方が長い様に見えるが
11-13 17:10

蜻蛉切も全長は6.4m程度有るだろうが 下馬した騎馬武者や足軽の持槍なら アウトレンジ出来たと言う事なのかだが
11-13 17:16

キルホルムでスウェーデン軍はフサリアに一方的に撃破されているが パイク兵は軽騎兵パンセルニの弓である程度崩されてから 重騎兵コムラーデに突撃された可能性も有るのかだが 砲でテルシオを崩す例も有っただろうか
11-13 17:42

野戦で散弾利用の千人殺は 使用されていたのかだが 20匁程度の銃でも使用していたのかだが この散弾を防ぐ為に 通常弾は防げないとしても垣盾が利用された例も有るのかだが
11-13 18:19

垣盾が有る場合は 高威力の10匁以上の士筒等が此れに撃ち込まれた可能性も有るだろうし 士気の低い足軽は壊走した例も有るのかどうかだが
11-13 18:55

10人張り等の弓で 垣盾を貫通し足軽を敗走させると言う様な物も有るのかだが 張力500kgの鉄製クロスボウでもそうした事は困難と言う事なのかだが
11-13 19:39

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://boukenkyuusha.blog72.fc2.com/tb.php/10614-7a727b31