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2023.06

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11/11のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/cIMI5H8jWx 西国の騎馬武者でも 敗走した敵を乗馬して追撃する際或いは 乗馬して逃げる際は 乗馬戦闘も有ると言う事だっただろうから そうした状況だったと言う可能性も有るのかだが
11-11 08:05

西国の馬にも鎧を装備する例も有るだろうが 馬に装甲の無い騎馬武者の追撃や逃走には向かないと言う事だろうが 歩兵を追撃する為の装備なのかどうかだが
11-11 08:11

騎兵を追撃する或いは逃げる際は装甲の無い馬を利用し 騎兵には追い付けないと見歩兵のみを追撃しようと言う場合は 一部の者は装甲の有る馬を利用したと言う可能性も有るのかだが
11-11 08:13

川崎F守備連係がさらに強固 ボール奪取位置が前進 https://t.co/rMipUVVzAt 走行距離が一番短いのに 守備力が高く一番失点が少ないと言う様なサッカーも ボール奪取位置が前に有れば出来ると言う事なのかだが
11-11 08:27

>相手ボールになると、前線の4人が的確に相手のパスコースを限定しながらボール保持者をサイドに追い込んだ。  こうした守備が徹底されているチームが 割に少ないと居う事なのかだが
11-11 08:29

https://t.co/c3yUScYA3j >虎革と豹革を四つ張り合わせた半袴を着ていた。 こうした物が具足の下に装備される例も漫画には有るが 現実には有るのかどうかだが
11-11 08:37

>御供衆を七、八百人をずらりと並べ、元気な足軽を先に走らせて、柄が三間半の朱槍を五百本と、弓・鉄砲五百挺を持たせた。   三間半(6.4m)の槍は歩兵用だろうが 赤い柄の槍を歩兵が利用出来たのかだが コストを考えると 太刀打部分だけ赤い様な物の可能性も有るのかだが
11-11 08:43

https://t.co/e34kCyhqCr 秀吉の左の革製伊予札の胴は3.6kgと言うが 3-4kgの足軽胴と同程度の重量と言う所なのかだが 薄い鉄製伊予札の物は板金の薄い物よりは 装甲の重なりを考えるとやや重く成るのかだが
11-11 09:42

軽い共思われた細川忠興の越中具足の胴は6.8kg程度だっただろうから 一定の防弾性は持たせてあると言う事なのかだが 指揮官以外が使う物は同程度の重量なのかだが
11-11 09:43

西国の騎馬武者も馬上筒を装備している例は相当数有る様だが 乗馬しての逃走時・追撃時に利用されたと言う事なのかだが
11-11 09:49

https://t.co/SHq9TDYjVZ 1550年頃でも上が割に平たいバーゴネットが有るし こうした物の単純な物が雑賀兜の原型の可能性も有るのかだが 日本に来る商船に最新装備等は無いと言う事なら 50年程度前の兜や胸甲さえ有る可能性も有るのかだが
11-11 10:07

https://t.co/ow9mHepMvY 上が妙に平たいマクシミリアン兜も有るが 合理的な構造なのかどうかだが
11-11 10:15

https://t.co/fXun4u35Fc 張力160ポンド(72kg)の満州弓等も有るが 現実に使われた物の平均は30kg台だったかも知れぬが サイズは忍者が携行する物よりはやや大型なのかだが
11-11 10:41

https://t.co/JeF4t7C7ZY 左の張力80ポンド(36kg)の辺りの物が 兵の使う標準に近い物なのかだが
11-11 10:44

https://t.co/aVbswGgUqC アーチェリーの弓の場合は66インチ(167cm)程度の弓が多いなら 満州弓(150-160cm)より大型でロングボウ(180cm)よりは小さいと言う事だろうが 小型のトルコ的な物より安定性が有るのかだが 更に錘が付いている訳だろうか
11-11 10:59

精度は兎も角 発射速度や動いている目標の攻撃を考えると 小型のトルコ系弓の方が使い易いと言う事なのかどうかだが
11-11 11:13

https://t.co/cbBC4zQFny ペルーのこの恐らく首の部分の飾りはエジプトの物に似ているが 関連性は有るのかだが
11-11 13:46

https://t.co/UDqMsIXz8l 左も https://t.co/ItZm8Ie9Pc アメン・ラー等の羽飾りにも似た物が有るが 関連は有るのかどうかだが
11-11 13:48

https://t.co/X9YycU9QCR https://t.co/lIAszUdoE4 左はエジプトには見ないタイプの物だろうか
11-11 13:59

https://t.co/5etq15euTe 更に有るが 溶かされて金塊とされた物も可也多いと言う事なのかだが
11-11 14:02

https://t.co/E7euJbNN1x >唐沢玄蕃はことのきも金の馬鎧を馬につけて戦っていました。馬鎧があまりにピカピカと目立つため、北条方の兵に「あの目立つのが大将であるに違いない!」と狙われたそうです。  金の馬鎧は江戸期の物は多数残るが 厚い金板が使われた物等の可能性は有るのかだが
11-11 14:56

江戸期の様な金の馬鎧は戦国期には少数であり 黒漆塗りの物が多かった可能性は有るのかだが 長谷堂合戦図だと赤い物が多いが オレンジ色の物は金或いは白檀塗の物の可能性も有るのかだが
11-11 15:02

https://t.co/BEgFK7K0XL 18世紀の最上屏風だと 金の馬鎧が書かれると言う事なのかだが
11-11 15:07

手裏剣は忍者専用武器では無いが 飛苦無や火車剣は忍者専用なのかだが 棒手裏剣型の火車剣は有るのかどうかだが
11-11 15:19

火車剣を大量に持って火を放つ等と言う事は有り得たのかだが 基本的には火矢が使われ 火矢を持って潜入出来ない様な状況では火車剣が使われたと言う事なのかだが 敵の松明を奪って火を放つと言う事も多用されたのかだが
11-11 15:25

https://t.co/WUtlPCsua4 >孫六は要請を受け、今川家臣鵜殿長持の守る三河上ノ郷城に潜入。200人の甲賀忍者隊を指揮して城内を撹乱し、長持は遁走し落城した。  風魔忍者も含め200名以上の忍者が一つの城或いは陣地に投入された例を見ないが 実際はどうなのかだが
11-11 15:30

1560年代でも高精度の士鉄砲の銃ならそれなりに数は有ると言う事なのかだが 1570年台では足軽の銃も可也増えているのかだが 銃が未だ高価だった50年台では足軽の銃は有るのかだが
11-11 16:03

https://t.co/hl2OQ2GylG >また国友鉄砲記には「天文18(1549)年7月18日に、橋本一巴を通じて信長から六匁筒500丁の注文を受けた」とあり、これらの記録から信長は16歳の時には既に鉄砲と接していたと言う事が分かります。   この時点では足軽用銃は無い可能性も有るのかだが
11-11 16:07

盾足軽らしき者は 川中島合戦図の備には居ないが 1560年台では実際には居たのかだが
11-11 16:17

https://t.co/AdZL4cHkjU 1524年成立の真如堂縁起絵巻には垣盾は書かれるが 朝鮮軍陣図屏風の船上の物以外は 江戸後期の物を除いて無い様に見えるが https://t.co/4JMbTWBTzi 左の大阪冬の陣図の物は野戦用の物なのかだが 棒が枝を流用した様な物は野戦用では無いかも知れぬが
11-11 16:24

騎馬武者が弓で槍衾を作っている足軽の顔を狙撃して倒すと言う様な場面も 漫画等では有るが https://t.co/yjjiWZ1KNK 左の様に騎兵の突入迄迄は足軽は顔を伏せているなら そうした事は出来るのかだが
11-11 16:31

強い弓なら陣笠や胴等貫通するだろうし 他の場所を狙撃しても槍衾は機能しなく成る可能性も有るだろうか
11-11 16:31

https://t.co/C4U9YhWjad 筒籠手が装備される鎖帷子の写真も有るが 具足の下に装備された訳でも無いのかだが 筒籠手での武器の受け流しを考慮した者が着用したのかだが 忍者用でこうした物は有るのかだが
11-11 17:34

サルフの戦いの様な銃の遠距離射撃を無効とする様な夜襲に対抗して 火で草や藁等を燃やして照明とすると言う様な物も有ったかも知れぬが 此れは何処迄有効なのかだが
11-11 18:16

垣盾では近距離の銃には対抗出来ず 竹束では移動性は無く 車竹束も荒れ地は越えられるのかだが 大型の土俵を盾にしつつ前進し 此れを積み上げている例も有るのかだが
11-11 18:25

垣盾も低くして傾斜させれば 可也近距離の銃撃でも保つかも知れぬが そうした運用は有るのかどうかだが
11-11 18:29

https://t.co/5n0WupvWob 竹束を横倒しとして船に積んでいる例も 朝鮮軍陣図屏風には有るが 大筒用の太い竹束を横にして転がしながら前進した例も有るのかだが
11-11 18:35

雑兵物語の関東の騎馬武者は 敵の右側に乗馬突撃したと有るが この場合歩兵の槍衾は右側を迅速にカバー出来たのかどうかだが
11-11 19:18

下の記述を見る限り 槍衾での防護は困難だったと言う事なのかだが 此れは関東の騎馬武者がやる様な乗馬突撃に慣れていない故も有るのかだが https://t.co/lktljP2J4T
11-11 19:35

関東や関東武者と戦う周辺国の歩兵なら こうした乗馬突撃には 側面攻撃でも可也対抗出来たのかどうかだが
11-11 19:42

雑兵物語に鉄砲の後に弓の勝負と成ったと有るが 銃を撃つ際も弓は装填時等に放っていたかも知れぬし 5発放つと銃は清掃及び冷却されるなら その間は弓のみの射撃と成ったと言う可能性も有るのかだが https://t.co/jBqAu8O4Bs
11-11 21:18

一番手の部隊の銃も再度放たれている様に書かれているし 此れは冷却・清掃後に再度放ったと言う事なのかだが この時点では白兵戦をしている者も多かった訳だろうか https://t.co/QotJUBdge7
11-11 21:38

>関西のさむらいは関東のさむらいとちがって乗馬でたたかうのに馴れていないので、馬に乗って攻められた時どう防げばよいかという心がけがなかったもんだと思うぞ。  と有るから 関東の歩兵なら側面への乗馬突撃にも 割に対応出来ると言う事なのかだが
11-11 23:22

関東の歩兵も 乗馬突撃を防ぐ為の長柄槍が多いと言う訳でも無いのかだが 足軽の持槍で何処迄乗馬突撃が防げるのかだが
11-11 23:28

https://t.co/SQ8ieEOfGP >長さは、北条家の場合、2間半(約4.5m)柄の長柄槍を用いていたようで、北条氏康や北条氏政と激突している越後の上杉謙信軍の長柄槍も同様に、2間半だったらしい。   持槍を持った騎馬武者の乗馬突撃を防ぐだけなら 4.5m程度の槍で十分と言う事なのかだが
11-11 23:36

>天正5(1577)年の岩付城の規定では、兵力1,580人に対し、鉄炮50丁、槍600本、弓40張、その他とあるので、やはり、北条勢では槍の比率が異常に高く、飛び道具合計の90と比較しても6倍以上となっている点からも、北条氏の主戦力が槍だった事は容易に納得できる。
11-11 23:38

北条軍も関東武者の側面等への乗馬襲撃を警戒して テルシオ的に槍が多く成っていたのかだが
11-11 23:39

>上杉家の天正3年(1575年)の軍役帳によると、全軍の兵員、5,513人中、槍3,609、鉄炮316、弓5、とあるので、上杉家の兵力の中での槍の比率は、更に北条家よりも高く六割を超える高率となっている。
11-11 23:40

上杉軍も槍が多いが 関東武者の乗馬襲撃を警戒しての物では無い可能性も有るのかだが
11-11 23:41

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