10/31のツイートまとめ
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boukenkyuu
https://t.co/LUnP0508Yk >鎖には漆を掛け錆びないようにしたものもある。これもそうだ。 日本の鎖も西欧の鎖と比べメンテは余り必要無いのかだが 貸具足や古い帽子兜の鎖は漆は有るのかだが
10-31 08:45https://t.co/s5Y0yfxtkt 左は中下士用の具足と有るが こうした物にも鼻紙袋は装備されていたと言う事なのかだが 前立も恐らく大型の物が有ると言う記述も有るが
10-31 14:01https://t.co/Q1PFuUoWmQ >「忍び」が確認できる最も古い史料は、南北朝時代の内乱について記した軍記物『太平記』巻第二十「八幡宮炎上の事」である。 太平記には畑時能の手勢以外にも 忍者的な兵が多数出て来る訳だろうか
10-31 15:22>普通には入り込めないところに夜の雨風の音に紛れて、特に秀でた忍びの者が密かに忍び込み、石清水八幡宮の社殿に火をかけて敵を大混乱に陥れたことを記している。 太平記の忍者も畑時能以外も夜間攻撃が多く 雨迄利用していると言う事だろうか
10-31 15:31https://t.co/Q1PFuUoWmQ >しかし、和田方には「夜打・強盗をして引き帰す時、立ちすぐり・居すぐり」という方法があり、これは決めておいた合言葉を言って、人々が同時にさっと座り、さっと立って、紛れ込んだ敵を選び出すための方法だという。
10-31 15:33太平記時点でさえ こうした合言葉を確認する時点で紛れ込まない限りは 侵入は困難な例も多かったのかだが
10-31 15:36https://t.co/fFXjP94zKd >室町時代から戦国時代までは、みんなが半分農業、半分忍者をしていました。そこからだんだんと忍びに長けた人、適した人が専門家となり、織豊期(しょくほうき)※4 には専業の忍者が生まれ、傭兵として雇われるようになりました。
10-31 15:44太平記の畑時能だけでは無く 逸物の忍びと言うのは精鋭部隊であり 専業の忍者と言う可能性も有るのかだが
10-31 15:46桃山期でも雑魚的忍者は確か多いだろうし 彼等は鎖等は果たして何処迄装備していたのかだが 忍者服さえ無い様な者も多いのかだが
10-31 15:48応仁乱消息の足軽の様に 額当や脇引だけしか無い様な忍者或いは非装甲の者も 可也多かったのかだが 貸しの鎖帷子等が支給される例は有ったのかだが
10-31 15:50
桃山後期でも額当と脇部周辺を覆う様な満智羅程度しか装甲が無い様な忍者も 多かったのかだが 応仁乱消息では頬当装備の足軽も居るが 忍者は此れは有ったのかだが
10-31 15:54盗賊が忍者として雇われた例も有るだろうが https://t.co/37B6RFsbQE 浮世絵の忍者は鎖を装備している例が多いが 戦国期には果たしてどうなのかだが
10-31 16:38https://t.co/4nOu51U06c 四半弓より更に小さい様な弓も浮世絵の赤穂浪士は使用しているが 忍者はこうした物は使用したのかだが
10-31 16:51https://t.co/3axsghKICY 忍者的に刀を利用して 上に登ろうとしている浪士の絵も書かれるが
10-31 17:00https://t.co/nALkMAMNLJ 忍者もこうした机を 盾にする例も有ったのかどうかだが
10-31 17:09https://t.co/ZY13ulj771 火鉢迄果たして 吉良邸で投げられていたのかどうかだが
10-31 17:11https://t.co/BMh33avGmv こうした槌は戦闘では使われていないだろうが 刀は投げ込まれた物なのかだが 余った予備の刀が 投擲されていた可能性も有るのかだが
10-31 17:13https://t.co/V7UY2SNK5O 鎖帷子と同時に装備される脛当に 立挙が装備される例も有るが 左では佩楯は無いと言う事なのかだが
10-31 17:26https://t.co/wH1YroC0rY https://t.co/1pfJ43lJXb この種の鎖頭巾も 浪士は装備は余り無いと言う事なのかだが
10-31 17:36https://t.co/OgrNXzyZy5 亀甲金の頭巾に鉄板が部分的に装備される例も有るが 同様の位置に鉄板の有る頭巾は現実に有るのかだが
10-31 17:44https://t.co/Kkg13O8VkA 畑時能も忍者的な存在と見られているからか 鎖頭巾らしき物を装備して書かれる例も有るが
10-31 17:44https://t.co/iY6VhqZ7lx この種の妙に小型の弓は https://t.co/hb7STmOiTw 左の李満弓なのかどうかだが 日本型の弓では1m以下の物は有るのかどうかだが
10-31 17:56https://t.co/jjqcnPfW4Z >赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした時,表門には大石良雄(槍)、原元辰(槍)、間瀬正明(半弓)という参謀格が陣取り、 >裏門隊 庭内の見張り11士の中には千馬光忠(半弓) 実際は最低でも1m程度は有る半弓が 装備されていたのだが
10-31 18:09https://t.co/jjqcnPfW4Z 85cmの楊弓が 日本型の弓では最小と言う事なのかだが
10-31 18:37揚弓は戦闘用では無いだろうし 戦闘用としては90cmの鯨半弓が最小なのかだが 此れは日本型の形状をしているのかどうかだが
10-31 18:42https://t.co/hb7STmOiTw >3、 小型弓 長弓の半分の長さで本来ならこれが「半弓」だろうが、一般的ではない。また弦は常時掛けられた方式であり、この点も異なる。材質には鯨の髭の複合材が使われたおり、漆仕上げ、長さ57㎝の矢4本が付いていた。 此れが恐らく 鯨半弓だろうか
10-31 18:54上の弓も李満弓と比べると日本的なフォルムだが >頑丈な作りで今でも使えそうな感じである。このような弓を猟師が使用したものではないかと推察する。 等と有るが 猟師がこうした鯨の髭が使われる弓を多用したのかどうかだが
10-31 18:57https://t.co/wPtTw3cScU トルコや朝鮮で使われる管矢は 日本にも有るのかだが 戦国期には果たして有るのかどうかだが
10-31 19:15https://t.co/0i9vpxSX9V >※ 日置流伝書に書かれておらず「別伝」扱いになっていることからすると、伝書が書かれた室町末期にはなかったといえます。豊臣秀吉の朝鮮侵攻時に日本に伝わったと考えるのはどうでしょうか。
10-31 19:19等と上には有るが 短い打根を弓で放つ際に ガイドとして可也前から使われていた可能性も有るのかだが
10-31 19:20大戦争をしていたトルコでさえ こうした物は多用されたのかだが 弓の射程の無い西欧軍相手には 使われなかった可能性も有るのかだが
10-31 19:47李満弓も 大陸人の林李満が作成したなら 動物の腱や角を用いた物には成らなかったのはどう言う事なのかだが 腱部分が日本では劣化し易いから 鯨を利用したと言う可能性も有るのかだが
10-31 21:51https://t.co/7V2oNSlBVJ https://t.co/oF4bngZJgk 左の四半的で利用される弓は 136cmだから 鯨の髭製では無く竹製のこうした程度の弓を猟師が利用した可能性も有るのかだが
10-31 22:09https://t.co/ct6jdZ7W0m 左は110cm程度の弓なのかだが 細い物は竹製と言う事なのかだが
10-31 22:13夜間そう遠く無い距離に火矢を放つ事だけを考えた 肩に掛けて携行出来る様なサイズの弓を 忍者は使用していたと言う可能性も有るのかだが
10-31 22:16トルコ系弓を肩に掛けている騎兵も居ただろうし 同様の90-130cm程度の弓なら肩に掛けて携行は出来ると言う事かも知れぬが 180cmのロングボウも肩に掛けて携行出来るかも知れぬが 機動性はどうなのかだが
10-31 22:28
- [2018/11/01 04:07]
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