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2019.09

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07/28のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/ZKTuIcdNIT 火縄を使わないタイプの胴火も有るが 光は何処迄発するのかだが 羽織の内側に入れておけばほぼ光は漏れない可能性も有るのかだが
07-28 07:48

https://t.co/vKRuELbNMo >『正忍記』が著されたのは延宝9年(1681年)、一方、カイロの発明は元禄年間(1688〜1704年)といわれているので、おそらくカイロは忍者の胴の火が民間に転用されたのでしょう。   火縄利用で無い胴火は 戦国期には無い可能性も有るのかだが
07-28 07:52

https://t.co/5ogy7c9QHD 戦国期では上の恐らく火縄が入る打竹が使われた可能性も有るだろうが 此れも厚い羽織の内側に入れれば 光は何とか漏れないのかだが 火縄式では匂いで位置が割れる可能性も有ると言う事だろうか
07-28 07:59

https://t.co/14MSChvQvX 火打ち石での火縄着火は余りに時間が掛かり連続して音がするだろうし 西欧のホイルロック着火装置で 火縄に即座に火を付けると言うのは何処迄出来るのかだが 火力不足と言う事なのかだが
07-28 08:22

風魔忍者の様に馬で突撃するなら 火縄の匂い等は問題では無いかも知れぬが 潜入する忍者が火を付けた火縄を 果たして携行するのかだが 火種は敵の照明等を利用する可能性も有るのかだが
07-28 08:27

https://t.co/5wHo9rjgbP 夜間の火縄の火も 左の写真を見ると判別はし難いだろうし 穴の小さい打竹に入れれば 此れが外部に露出していても把握は困難な可能性も有るのかだが
07-28 08:37

https://t.co/1HBbvvOedD 左を見る限り露出した火縄では夜間目立つだろうが 打竹に入れて羽織の内側に入れればだろうが 匂いは何処迄漏れるのかだが
07-28 08:42

https://t.co/5tr2QOR3np ホイルロック発火装置のこの程度の火花では 火縄への着火は困難と言う事なのかだが 音もそれなりにはするだろうか
07-28 09:03

https://t.co/OSTqekHBFc 火薬を火蓋に入れたとしても 火縄に着火出来るのかだろうし 音・光を可成り発するだろうか
07-28 09:08

火縄の匂いがしても正確な位置迄は 何処迄把握出来るのかだろうし ダミーの火縄等を置かれれば尚更と言う事なのかだが 大量に火を掛けられた後はこの匂いでも紛れるだろうか
07-28 09:23

https://t.co/jM4Uy2RuAi こう言う首迄装甲された様な馬鎧に 火矢を打ち込んで混乱させると言う様な事は行われたのかどうかだが 銃が出る前にこうした鎧は 西欧ではローマ時代しか無いのかだが
07-28 09:27

鎖で足以外を覆う馬鎧も銃の時代の前の14世紀には有る様だが 下にギャンベゾンが有ればニードルボドキンでも中々倒せないだろうが 火矢を撃ち込むと言う事は行われたのかどうかだが
07-28 09:31

そうした火矢も鏃はニードルボドキンを使用しないと ギャンベゾンで弾かれて着火は困難と言う事かも知れぬし 大量にそうした物を用意したのかどうかだが
07-28 09:34

縅糸で個人の識別は何処迄していたのかだが 母衣も全員装備は無いだろうし 袖印や傘印が装備された後は此れを利用したのかだが 此れが出る前は弦走革の柄や裾金物での識別も有るのかだが 後三年合戦絵詞では裾金物の装備は多いだろうか
07-28 09:48

胴丸が騎馬武者用鎧の主流と成った後は 裾金物は何処迄装備されたのかだが 特殊な前立や袖印・傘印での識別が主と成ったのかだが
07-28 09:50

https://t.co/8sTXuoyRcU 十二類合戦絵巻の傘印には紋も入るだろうし 袖印にも紋が有る物が現存するだろうから こうした紋でも個人を識別していたのかだが
07-28 10:12

https://t.co/jXqR6dN9bC >鍬形に似た物に高角がある。「平治物語」には、源義平が高角打った兜を着用したとあり、鍬形の先端が開いた形に対して、尖った形の物であるとされている。  https://t.co/3NQDSEgPSI 左の様な獅噛に 高角が獅噛前立の様な形で装備された例も有るのかだが
07-28 10:45

https://t.co/mtYm0bRXfQ >応仁の乱時、東軍の足軽(疾足)300余人が宇治神社を参詣する姿を人々が目撃したものとして、「手には長矛・強弓を持ち、頭には金色の兜や竹の皮の笠、赤毛など派手な被り物をかぶり、冬だというのに平気で肌をあらわにしていた」という[10]。
07-28 14:39

赤熊が応仁の乱時に既に有ったのかだが 兜に装備されるタイプの物も同時期に有るのかどうかだが
07-28 14:40

https://t.co/wbJ8jowh6r 洛中洛外図・歴博甲本のこの指物は https://t.co/5rd8lOx1YU https://t.co/ajF1KVeG4f 左の様な形で腰に差されているのかだが
07-28 20:36

洛中洛外図のこの前立は 高角なのかどうかだが https://t.co/nGKNuRyUDZ
07-28 21:15

傘印と言うのも 洛中洛外図・歴博甲本や東博模本に無いが 1530年辺りでは廃れていたのかだが 袖印はどうなのかだが
07-28 21:42

https://t.co/0Q249pW8Xi 左の斉藤正義像には杏葉は無いし 此れの書かれた1539年には廃れたのかだが https://t.co/qF3deDX0Hx 大内義興が1511年頃書かせた肖像画には杏葉が有るし この時点では未だ有ったと言う事なのかだが
07-28 21:58

傘印も1511年辺り迄は有ると言う事なのかだが https://t.co/H6BpvkJmLs 左の湊喜兵衛尉像は1555年成立の様だから この時点迄は袖印は有ると言う事なのかだが
07-28 22:48

https://t.co/1VDvFKkAli 傘印は1189年の登場だが 袖印は其れ以前に有ると言う事なのかだが
07-28 22:57

袖印が1555年には残っていたなら 此れに似ている傘印も或いは同時期に残っていた可能性も 有るのかどうかだが
07-28 23:37

傘印・袖印も結城合戦絵詞には確か無いだろうし 此れが存在した時代でも絵の形式で書かれない例も有ると言う事なのかだが
07-28 23:42

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