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2019.09

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05/27のツイートまとめ 

boukenkyuu

明軍も籠城して粘っている内に 各所の騎兵のみを早期に最大限集結させ そうした夜間奇襲攻撃を懸けると言う事は出来るのかだが 明軍も李如松の騎兵は単独的行動をしていただろうか
05-27 09:43

サッカー=エジプト代表FWサラー、けがでW杯欠場の可能性  https://t.co/TeK92PsIcG サラーが負傷せずGKカリウスのミスが無ければ リバプールが勝てた可能性も有るのかだが
05-27 10:16

北方騎馬民族の抑えは籠城する歩兵のみでも出来ると言うなら 大半の騎兵の抽出は出来ると言う事なのかだが 忍者が火を付けた後10万の騎兵で夜襲を掛ければ ティムールを討ち取る事も可能なのかだが
05-27 10:19

ティムールが病死せず明攻撃が行われた場合は日本軍の援軍派遣も有り得るか #mixi_diary https://t.co/10AvIQKcga
05-27 11:00

南北朝期以降刀の湾曲が基本的に少なく成る傾向に有るのは 下馬戦闘の多用で乗馬した騎馬武者が全速で対向して刀を撃ち合う事が無くなった故なのかだが 追撃時逃げる歩兵に乗馬騎兵が刀を切り下ろす程度の相対速度なら 湾曲は余り必要無いと言う事なのかだが
05-27 11:08

https://t.co/H07rM8OogQ >しかし周囲の慎重策を無視して追撃した結果、オルジェイ・テムルの反撃に遭い、元軍の伏兵により丘福は戦死、明軍も壊滅的な打撃を受けた。享年67。 丘福は武勇に長けていたが、知略に乏しい人物であったと伝えられる。
05-27 11:25

ティムールの明侵攻が1405年に行われた場合 明軍の司令官は恐らく上の知略に乏しいと言う丘福だろうし ティムール相手に野戦をし上記の様なモンゴル的な偽装退却で10万等の兵が追撃も受け壊滅する可能性も有るなら 明軍が序盤では苦戦する可能性も高いのかだが
05-27 11:37

丘福敗北後勝利した永楽帝なら偽装退却には掛からないかも知れぬが 騎兵のみを早期に移動させての夜間奇襲攻撃等は行うのかだが 日本軍が進言すれば日本を重視している永楽帝なら 騎兵のみでは無いかも知れぬが大兵力での夜襲を行う可能性は有るのかだが
05-27 11:39

永楽帝も北元のアルクタイに打撃を与えるも討ち取れていないが 唐時代の李靖なら軽騎兵と伏兵を上手く利用して 討ち取れていた可能性も有るのかだが 李靖でも同兵力のティムールには勝てるのかだが 騎兵での夜襲等は考えるのかどうかだが
05-27 12:06

https://t.co/kUTQYcgFE5 >この和平工作が決裂後、朱棣は徐州に軽騎兵を出撃させて官軍の兵糧船数万艘を焼き払った。  こうした奇襲攻撃も永楽帝は靖難の変の際行っているが 重騎兵も含めた騎兵の大兵力での夜襲等は行い得るのかだが
05-27 12:25

https://t.co/H3JcgZjZbM 丘福がティムールにやられた後は 永楽帝では無く朱能が司令官に成る可能性も有るだろうが ベトナムに行かなければ病死する事は無かった可能性も有るのかだが
05-27 12:47

https://t.co/H3JcgZjZbM >朱能は「かつて漢の劉邦は項羽に何度も負け続けたが、ただの一勝しただけで天下を取ったことをお忘れか」と諸将に戦争の継続を説得した。この説得に朱棣軍は鼓舞され、建文帝軍の盛庸、平安率いる大軍を破って1402年(建文4年)に南京を陥落させた。
05-27 12:53

丘福がティムールに敗北した後も 明軍は朱能に依り戦意を維持し 残存兵集結・日本の援軍到着迄籠城等で保ち堪える可能性も有るのかだが
05-27 12:55

https://t.co/Z8UWaXGydM 永楽帝や周囲の者に疎まれていた 朱高煦辺りが帝位簒奪の為に突然蜂起する可能性と言うのは 何処迄有るのかだが ティムールがアンカラの戦いで小アジアの勢力を寝返らせた様に 秘密裏に支援する可能性と言うのも有るのかだが
05-27 13:20

https://t.co/usoVJoqrO5 アンカラの戦いではティムールの軍に戦象が居たらしいが 忍者が夜間ティムールの陣に潜入し象を混乱させ暴走させれば 可成り打撃を与える事は可能なのかだが 明軍は象がティムールの兵に始末された後その付近には突入すれば 味方が巻き込まれる可能性は無いのかだが
05-27 13:41

https://t.co/gmuqhAijWO 風魔の様に馬に乗っての敵陣撹乱が出来る忍者は 1405年頃には何処迄居たのかだが 関東以外には居ないのかだが
05-27 13:56

https://t.co/YOdvPiRi8O >マムルーク朝のスルターン・ファラジュは降伏を拒絶し、ティムールの元に刺客を放つが、暗殺は未遂に終わった[167]。  ティムールもこうしたアサシン的な者に 何度も狙われているなら 忍者での暗殺も困難なのかだが
05-27 14:21

明徳記の金鎖の馬鎧と言うのは高級品だろうが 家地の様な物が有れば 此処に金襴や緞子等が有る可能性も有るのかだが 馬のほぼ全体を覆う様な物は有るのかだが
05-27 15:24

https://t.co/4H433GdC0F こう言う家地的な布の上に金等の鎖が有る例も有るのかだが 産籠手の様に布で包まれた鎖の馬鎧等も有るのかどうかだが 中にカルタ金の入る例等は有るのかだが
05-27 15:29

https://t.co/1g9fVBtHFL こう言う産脛当の外部の布に類似する物が 馬鎧にも付けられた可能性は有るのかだが https://t.co/GiQD88lWux 左の畳具足の様な大面積の布が張られる例も有るのかだが
05-27 15:36

家地の上に赤い鎖が有る例等は 果たして有るのかだが 銀の鎖等は有るのかだが
05-27 15:44

https://t.co/BCmbCgXYkx https://t.co/hklZ2MzZej こう言うカルタ金の部分が 布で包まれる例も有るのかだが カルタ金の部分は別の馬鎧の物と言う可能性は有るのかだが
05-27 16:09

https://t.co/IJ7kenTbeg 大内義興のこの籠手は 篠籠手なのかだが 手甲に溝が有る様に見えるから 板金に溝が入る物の可能性も有るのかだが
05-27 16:30

https://t.co/Y72tCubssK >帰還がもっとも早かった者は騎馬武者と考えるのが自然であり、そうだったとすれば1日70キロの速度もそんなに無茶なものではない。 騎馬武者だけなら一日70km移動も可能なのかだが
05-27 17:00

明軍騎兵の移動速度はどうなのかだが 一日70-300km等と言うモンゴル程には無いのかだが
05-27 17:01

https://t.co/YFoC8ZRLJr >インド遠征時のティームール軍の行軍速度は、1日約50~60kmであるとされ、  此れは歩兵が含まれていたのかどうかだが
05-27 17:04

https://t.co/bJSg3k3zYo なお、顕家の軍勢はこのとき、1日に平均40km弱も移動して600kmに及ぶ長距離を僅か半月で駆けており、渡渉などが続く中1日30kmのペースを維持している。これは後の羽柴秀吉の中国大返しを遥かに越える日本屈指の強行軍である。
05-27 17:21

京に移動した北畠顕家の兵は 奥州の兵5万と言うが 歩兵も乗馬していた可能性は有るのかだが
05-27 17:23

薙刀の小手技と言うのは余り見ないが こうした場所を斬られれば大概の籠手は 防護困難と言う事なのかだが https://t.co/yYW6sl3BDW
05-27 18:51

https://t.co/tPrAZqJllG 大薙刀ならこうした受けをすれば 柄が切断されかねない訳だろうか
05-27 18:54

刃長60-70cmの大薙刀なら速度は此れよりは落ちるだろうが ロングソードで対抗出来る物なのかだが
05-27 18:59

https://t.co/ORtGouJGcr >永禄5年(1562年)に徳川家康と松平清善らの攻撃を受けるが、堅城である上ノ郷城はなかなか落城しなかった。そのため家康は甲賀衆を用いて城内に火を放ち、その混乱の中から攻め入られ、同城は落城した。
05-27 20:34

野戦では夜間忍者が火を放ち混乱させた所で 正規軍が奇襲攻撃と言うのは何処迄有るのかだが 黄瀬川の戦いでも軍は連携せず 風魔忍者の単独攻撃が成されている様に見えるが
05-27 20:35

敵の中途半端なフェイントをフェイントと見切るのは達人なら容易に出来るのかだが この途中にも攻撃する 或いはそうした攻撃中にもフェイントを入れた後攻撃すれば 敵は不十分な体勢で此れを受ける確率は増すのかだが
05-27 22:27

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