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2021.03

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 2021年03月 

03/08のツイートまとめ 

boukenkyuu

【宗】旧家所蔵 玉眼 高蒔絵 鯉図 慶安年記 古式馬具 三懸 和鞍 切付肌付け 蒔絵 流鏑馬 軍陣鞍 鐙 蒔絵 馬具 甲冑 鎧 相馬 泥障  https://t.co/vYbmpSrWZd 慶安5年(1652年)の 玉眼の入る鞍等も有るのかだが 戦国期等の戦闘用の物では有るのかだが
03-08 11:30

『伊達家中での国際結婚のさきがけ,山岡志摩という男』⇒ https://t.co/yDbjTVKMpR #アメブロ @ameba_officialより
03-08 12:55

>また『伊達世臣家譜』によれば、朝鮮出兵でも戦功をあげた。馬に乗って逃げる地元釜山浦の部族の王女を生け捕りにしたことが特筆されている。他の記録によれば,この王女は単騎で山岡志摩に突撃してきたという。さすがの勇将も,女性は切れなかったのだろう。
03-08 12:56

https://t.co/riCa7qCRYd >『伊達世臣家譜』によれば、朝鮮出兵の際、進軍の途上で馬に乗って逃げる十二・三歳の娘を発見した重長は[2]、これを生け捕りにした。娘は愛姫の侍女となり、慶長元年(1596年)に愛姫の勧めで妻を亡くしていた重長の後妻になったという[3]。
03-08 12:57

釜山の王女も12-13歳では 甲冑装備で突撃等は無いと言う事なのかだが
03-08 12:58

> 『東奥美談』では、単騎で伊達軍に打ちかかってきた女武者として描いている。
03-08 13:08

>釜山沖の海戦において、九鬼嘉隆が船上に二重三重に不燃性の絹布を張り火箭を防ぐ話が残っていますが、これが銃兵への「火箭」対策だとすれば合点がいきます。)。   この防火用絹布は水を掛けていたのかだが 麻やムシロ等も利用された可能性は有るのかだが
03-08 13:17

>李舜臣との接触後、日本水軍は脇坂安治の独走等、指揮系統の混乱から立て続けに敗北を喫し、泊地の奥深く逃げ込むことになります。泊地に大型船を並べて「大筒」「大鉄炮」を装備し砲撃で敵を近づけないようにする一方、陸上にも「鉄炮塚」を築いて海上の朝鮮船団を射撃する体制をとるのです。
03-08 13:20

鉄炮塚は 板屋船の甲板上を狙撃出来る様な高所にも築かれていたのかどうかだが
03-08 13:21

>九鬼の御座船日本丸は、釜山の泊地が襲われたときは、火箭対策に不燃性の絹布の幕を二重三重に張り(前述したように、これは甲板上に待機する銃兵を火箭の火から守るためのものでしょう)、舷側には突き刺さった棒火矢・火箭をたたき落とせるように、縄で縛った丸太や切り株を下げていたといいます。
03-08 13:24

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