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2019.10

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 2019年10月 

10/02のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/hUrf2S5Ju2 >※小弓御所様御討死軍物語(1538)「兜の錏、鎧の板袖、相々、膝を折りてぞ備へたる」   1538年に 固定的な板袖では無いが最上的な鉄板札の袖は有ったと言う事なのかだが 最上胴は10年程度前には有ったのかだが
10-02 11:09

RT @bot99795157: この研究では、1371-1640年の間に中国の33の省で発生した各年の海賊の件数と、絹の生産地や都市化度、人口密度、飢饉の発生、沿岸部の要塞や島の数といった諸々のデータを収集・統合し、統計分析を行ったのだ。グラフや図からもう傾向が明白なのだ。…
10-02 12:13

1523年の寧波の乱後明が対日貿易を禁止した直後には 密貿易に切り替えたからか意外にも倭寇は急増していないと言う事なのかだが 1550年代の倭寇急増は https://t.co/6BeHKAi7s2 1548年に密貿易拠点・双嶼港が破壊された故と言う事なのかだが
10-02 12:23

https://t.co/fahdHF65JY >双嶼港掃討時、明の官軍に捕らえられた「黒鬼番」(黒人?)三名が取り調べに対して供述した体験談です。このうち代表して話したと思われる人物はマカラ国(マラッカの誤字かもしれない)の出身で名を沙哩馬喇(サリマラ?) といい、当時35歳、
10-02 12:28

>星を見て水先案内をする能力があったことでポルトガル人に年俸銀8両で雇用されていたと話しています。 >単なる交易ばかりでなく「機に乗じて打劫(掠奪)することもあった」と白状もしてます。   ポルトガル人に雇われ 明人と共に海賊行為もしていたマラッカ人等も双嶼港壊滅前に居たのかだが
10-02 12:34

そうしたマラッカ人・ポルトガル人も 双嶼港破壊後は倭寇に加わっていたと言う可能性も有るのかだが
10-02 12:37

>この林剪は嘉靖26年(1547)に「彭享(現マレーシア・パハン州)の賊衆」を70余艘の船に乗せて浙江海上にやって来たとされ、双嶼を中心とする浙江海上の密貿易ネットワークがいかに大きな広がりを持っていたかをうかがわせます。 マレーシア人の倭寇戦闘員も 可也多かった可能性は有るのかだが
10-02 12:47

>ただし「おおむねこのようなことがあった」というリアリティは確かにあり、同時代のガスパール=デ=クルスの中国旅行記にもポルトガル人と中国人海賊らが沿岸で掠奪・殺人を行ったことが「リャンポー(双嶼)」への官軍攻撃につながったとする記述があります。
10-02 12:54

明軍の双嶼港攻撃も海禁策を守る為では無く 近辺への略奪防止の為と言う事だったのかだが
10-02 12:57

https://t.co/gI6oPokvMX >大福船。大洋航海も可能な福建の大型船で、兪大猷も「大船は小船に勝る」として福船の使用を意見している。  此れは露梁海戦には 投入されていたのかだが 櫓は無いから帆をやられて機動性を削がれていた可能性は有るのかだが
10-02 13:31

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