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2019.04

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04/29のツイートまとめ 

boukenkyuu

馬廻は西国でも 乗馬戦闘が多いと言う事なのかだが 敵の敗走時或いは味方の逃走時迄は大将の護衛の為に温存されて 追撃時には乗馬戦闘をしていたと言う事なのかだが 逃走時も乗馬して離脱する大将の周囲で 乗馬戦闘していたと言う事なのかだが
04-29 10:07

立花宗茂は乗馬戦闘が多いだろうが 戦闘時は護衛の馬廻も追随しているだろうが 追撃時で無く共宗茂同様に乗馬戦闘をしている例も多いのかだが 乗馬戦闘主体とすると関東・東国の武者の様に装甲が重装の可能性も有るのかだが
04-29 10:11

https://t.co/d0xFjJ8qB7 >主君・大将の乗った馬の周囲にあって警護をする騎馬武者。また、その一団。  こうした馬廻が黒田屏風の家康・秀忠周囲では識別出来ないが 歩兵的な護衛兵は居るが 此れは馬廻では無いと言う事だろうし この外側に馬廻が居たのかだが
04-29 10:17

サイコミュ・サイコフレーム的な物が現実に有るとすると  https://t.co/RnX1vUhMIi 脳細胞内で量子通信をしているかも知れぬPosner分子以外機械化された様な脳細胞を 外部の機械にも組み込めば 宇宙の果てに居ても超光速の量子的通信が可能と成る様な物が作り得る可能性も有るのかだが
04-29 11:22

https://t.co/bmq9iI3Cz7 量子もつれの関係にある2つの粒子のうち一方の状態を観測すると瞬時にもう一方の状態が確定的に判明することからこのような名前がついた。また、この際に粒子間で情報の伝達や物理的作用は起こっていない。
04-29 11:25

>これは、観測により任意の量子状態を実現することは不可能であることからもわかる。したがって、量子テレポーテーションを用いれば超光速通信が実現できるなどということはない。  脳細胞の意識体を用いれば 例外的に超光速通信が可能と言う様な意見も有ったかも知れぬが
04-29 11:27

自身の脳細胞以外にも ニュータイプ的にシンクロし量子的通信が可能と言う様な意見も有るが 脳細胞に機械的な操作をすれば出来る可能性も有るのかだが
04-29 11:30

https://t.co/E4Rct0SwJx とは言えワイヤレスな量子的通信迄は 未だ確認されていないと言う事なのかだが
04-29 11:38

Posner分子からサイコフレームの様に エネルギー迄引き出せるかは不明と言う事なのかだが
04-29 11:52

自身の脳細胞では無く共 自身の意識体がシンクロ出来るPosner分子が作れれば 此れを利用した超光速通信は可能と成るのかだが
04-29 12:03

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04/28のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/Kh1Iqx7sDf 巾着袋の装備位置は 火打袋と同様の位置なのかだが
04-28 10:14

https://t.co/FqPZW7jhcK https://t.co/Hp1crbfR4D 巾着的袋が 右側に装備される例も有るのかだが
04-28 10:22

忍びと言う言葉は 1603-4年の日葡辞書に有るが 忍者がポルトガル等の傭兵として利用された可能性は有るのかだが ゴア周辺等の城攻めには使われたのかだが
04-28 11:40

https://t.co/PU2blkvVCw >忍者軍団が山田長政の命を狙ったり、  こんな映画も有るが タイにも少数の忍者が 山田長政の配下等で居た可能性は有るのかだが
04-28 11:44

https://t.co/0t0RJXRJTS 紐の長い巾着袋なら 右側に装備しても箙や空穂とは干渉しない可能性も有るだろうが 戦国期にそうした物は有ったのかだが
04-28 12:04

オークション史上初の大珍品!特注形状脇差・身幅なんと6.3センチ!!ゴリゴリ大乱れ足びっしりの平造り・朱塗り印籠刻み拵え!新々刀 https://t.co/1TDQeJDcKY 秩父がかう平はこうした形状の可能性は有るのかだが がかう平的な形状の小型のサイズの刀も作られていたのかだが
04-28 12:29

【新選組!】鎖帷子 https://t.co/EEQ7KBJfT9 肩が極度に出ている満智羅も有るが 左の鎖の様に装甲は端部には無い可能性も有るのかだが
04-28 12:54

https://t.co/Ke614eMLHp 信玄袋は明治期迄無く 基本的に手持ちと言う事なのかだが
04-28 15:01

短刀サイズ以上の大型の苦無は 2本程度の装備なのかだが 通常の短刀の位置と 馬手差の位置辺りに装備される可能性も有るのかだが
04-28 15:28

https://t.co/QlWsIltmxO >毛利玄達は、足が不自由で外へ出られないことから、>いつしか、五寸釘で雀を撃ち捕らえるなどしていた。>彼は左右の手に、18本ずつ、両手で計36本の剣を持ち、>これを続けたざまに打つと、剣は空中に一線を描いて敵に到達したと言われている。
04-28 15:51

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04/27のツイートまとめ 

boukenkyuu

25542 さすまた 【文】 刺又 そでがらみ https://t.co/TuONYwn8BD 此れは槍先が有るから 戦闘用の物なのかだが
04-27 10:18

【縁】☆令和元年記念☆時代武具 三角錐時代槍 変わりかぶせ付 合法サイズ b-498 https://t.co/tYzn8pocvz 此れは妙に 尖っている三角槍だろうか
04-27 10:21

https://t.co/FnpeSicKRM 空穂もこの装備位置では 胴乱と干渉すると言う事なのかだが 雨が降らない状況なら箙を利用する可能性も有るかも知れぬし 大量に雨が降れば飛火炬・火矢での着火は困難なのかだが
04-27 15:52

https://t.co/oecDQEusmJ 箙もこの位置では 打飼袋と干渉するのかどうかだが
04-27 15:59

平治物語絵巻だと箙はこの位置だが 胴乱と干渉する可能性は有るのかだが https://t.co/HH835TFlkC
04-27 16:12

https://t.co/rJM4um186H かぶき者の大太刀に角鍔が書かれる例が有るが 左程巨大な物は戦国期に有ったのかだが
04-27 17:35

04/26のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/7KTf6nKV13 左の手裏剣の装備位置だと 後方に有る物は下の打飼袋に干渉するのかどうかだが https://t.co/YUW0EDl1mk
04-26 10:12

https://t.co/o8uy6O87KQ >(竜造寺)隆信陛下の戦列は、あたかも彼が奉仕している悪魔が彼を援けているように見えた。その隊列は見事に配分されていて、まるで彼はヨーロッパの戦術図、ないし戦術計画を入手しているかのようであった。
04-26 11:13

沖田畷の龍造寺軍は テルシオ的陣形等は有るのかだが 備的陣形も西国では使われているのかどうかだが 銃・弓兵が抽出されて前衛に配置される程度なら有る訳だろうか
04-26 11:14

銃・弓兵は前に抽出されるが 備とは異なり分散した騎馬武者の周囲に配下の足軽・徒武者が配置されていると言う可能性も有るのかだが
04-26 11:18

>前衛、すなわち軍勢の正面に、隆信は千艇近い鉄砲隊を伴ったが、それらの鉄砲は火縄銃、あるいはマラバルの小型銃ではなく、大筒に似た大型の銃砲であり、一人の男が肩に担いで運搬するには苦労するほどであった。  1000の大筒等が果たして有るのかだが 30匁程度の筒の可能性も有るのかだが
04-26 11:23

>最初の隊列のように他の鉄砲隊が進んだ。れらは全部で三千ないし四千に達するであろうと言われた。  此れも全て 30匁筒等の可能性も有るのかだが
04-26 11:26

>すぐその後に、千五百の塗金の槍が続き、その後を長刀と、大筒の火縄銃の別の隊列、および弓矢を携えた列が進んだ。さらに小型ではあったが二門の大砲を携えていた。  龍造寺軍も少数のフランキを 野戦使用していたと言う事なのかだが 備的な隊列も この時点で有る様に見えるが
04-26 11:31

https://t.co/v0otpU8OfO 最大4000等と言う大型銃も 左の10匁の肥前筒程度の物が大半の可能性も有るのかだが 最大30匁程度迄は有るのかだが
04-26 11:33

>まず千拠の鉄砲のいっせい射撃が加えられた。我らの味方は、できうる限り身を屈め、ほとんど地面に腹這うようにしてその射撃を受けた。  龍造寺軍の主力の10-30匁筒等は 伏せて回避する以外無いのかだが 伏せても矢が上から降って来る危険は無いのかだが
04-26 11:40

>ところで日本人は、我らヨーロッパ人のように円楯も手楯も楯も使用しないので、ドン・プロタジオとその弟ドン・エステワンは、鉄砲隊の正面にあって、この上もない危険に曝されていた。   ヨーロッパも10匁相当のマスケット銃を防げる盾等は 野戦用では無いと言う事だろうか
04-26 11:41

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04/25のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/7dyZynR0Mt 引両的な紋が入る佩楯も有るが 胴に同様の物が有る例も有るが 袖に入る例は有るのかだが
04-25 10:07

https://t.co/yg3Rw0yshp 江戸期の浮世絵に明確に鉢金が有る例を見ないが 左の絵には鉢金が有るのかどうかだが
04-25 10:25

https://t.co/NHOwxIe3AS 江戸期の絵では無いが 頭巾の上に鉢金が装備されている様に見える絵は有る訳だろうか
04-25 10:47

太平記の畑時能の夜間潜入する兵は 足軽同様の帽子兜を装備している例も有ると言うなら 忍者も赤穂浪士の絵にも有る様に 一部帽子兜的な兜を装備している者も居たのかだが
04-25 10:55

https://t.co/2LYRA69QOs 忍者の弓も左の浪士程度の長さの物なのかだが 咄嗟の白兵戦に備え弭槍同様の槍先が装備される可能性は有るのかだが
04-25 11:19

矢は着火用の飛火炬が装備されると言う事なのかだが 30本等の装備は無いと言う事なのかだが
04-25 11:21

手裏剣を入れる袋も有る様だが 火車剣を30枚携行等は果たして有るのかだが 此れは射程は10mも有るのかだが
04-25 11:28

近距離の着火は火車剣 遠距離の着火は飛火炬を利用と 同じ者が使い分けていた可能性も有るのかだが
04-25 12:40

忍者も使った鎖頭巾の“強化型” 新潟県内で発見  https://t.co/ClwAnllH9F 額に鉄が仕込んで有る鎖頭巾なら良く見るが こうした棒状の板が付く例は見ないが
04-25 14:34

額当も こうした複雑な物は戦国末期には有るのかだが 単純な板状の物も利用されていた可能性も有るのかだが https://t.co/PIM6dC6AzU
04-25 16:02

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04/24のツイートまとめ 

boukenkyuu

盾に対する当身で 敵のバランスを崩す例も有るだろうが スパイクが有る盾の場合は 装甲が無いとやり難い例も有ると言う事だろうか 騎士やローマ兵の盾に基本的にスパイクは 無いと言う事だろうか
04-24 10:04

https://t.co/TZ3USHPKsx 左の盾での腕の拘束では 剣を完全に封じられてはいない様に見えるが 盾を同時に封じる事も可能と言う事なのかだが
04-24 10:38

下の様な状態でも剣を持つ腕を下に回せば 盾での拘束は回避出来る可能性も有るだろうが その前に剣でやられ得ると言う事なのかだが https://t.co/RD3xT6Hvxx
04-24 10:47

下の様に拘束されても 剣・盾共に下方には抜けらる可能性は有ると言う事なのかだが 剣は少し下に抜ければ 脇の隙間を突く事も可能なのかだが https://t.co/JDyrj9Xr1K
04-24 11:02

此れは手は脱出し難いし 下方の視界迄無いだろうが 視界確保の為に移動しつつ 敵の剣や腕の位置が想定出来るなら此れを蹴る或いは センターグリップ式の盾なら即座に投棄して剣や盾を掴むと言う事も出来る訳だろうか https://t.co/vusanSqYrv
04-24 11:20

https://t.co/s8upNnF1KW 瞬間的にこうした事をやられると 対応はし難いと言う事なのかだが
04-24 11:47

https://t.co/HfwYniUYlT 古い大太刀で手貫緒が有る形跡が有るのは 左の物程度なのかだが 可也長い紐が有ったと言う事なのかだが
04-24 13:49

https://t.co/us77xedP0W >野太刀の場合は鍔元に近い部分を握り、手貫緒を肘の部分に通して締めます。拳と肘の二箇所で柄を保持し、刀の重さを支えるためです。  こうした状態が書かれる古い絵は 有るのかどうかだが
04-24 13:54

https://t.co/5MGtRvS0fE 大太刀の手抜緒の付け方は左の様な物なのかだが 柄が長い大太刀の場合は 手貫緒は長いのかだが
04-24 13:55

柄が長い大太刀の場合は 下の様な形で手貫緒を付けていたのかどうかだが 打刀の様に鍔から手貫緒が出る例も 打刀登場後は有ったのかだが https://t.co/cFssvTwR29
04-24 14:00

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04/23のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/fIzFCTb01e >ここで紹介するのは武将が采配を振るう時に使う、指揮棒のような笛である。武田信玄は川中島の戦いで軍配を持ち込んでいた。笛を使っていた武将もあったらしい。  こうした笛を采配・軍配の様に指揮用に利用した例は有るのかだが
04-23 12:25

>織田信長は一節切りを使っていた。  https://t.co/4IP0uyQ3R0 >織田信長に仕えた大森宗勲も名手である[2][3][4]。  とは有るが 信長自身が指揮用には利用していたのかだが
04-23 12:27

https://t.co/0LpkwMyhSs >乃可勢(のかせ、のかぜ)は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、松平忠輝が蔵した一節切。  等と有るが 指揮用には利用されたのかだが
04-23 12:30

https://t.co/GJCGNrnCzD 乃可勢の現物は有る様だが 指揮用に使う長さでは無いと言う事なのかだが
04-23 12:32

https://t.co/pULODC5Ng9 一節切も軍扇よりは長く 小型の軍配程度の長さは有るが 指揮用に果たして利用されたのかだが
04-23 12:39

https://t.co/LLFpTCFspy 鉄笛と言うのも有るが 指揮用に利用される例は有ったのかだが 紐で絡める攻撃等は有ったのかだが 鉄尺八が有るなら 鉄製の一節切も有るのかだが
04-23 13:12

https://t.co/6rZe2g3qK0 https://t.co/z5BDW2E01x 手抜緒も組討が想定される 止まっての打ち合いでは外しているかも知れぬし 此れを利用して相手を絡める例も有ったのかどうかだが
04-23 13:22

戦国期だと関東の騎兵以外は 手抜緒は余り無い可能性も有るのかだが
04-23 13:23

https://t.co/eYWZSsArwd 十手の房紐は 手抜緒であると同時に 捕縛用の紐でも有る様だが 刀の手抜緒で絡める事はしたのかだが
04-23 13:33

https://t.co/JFh9DkjPWd >紐はすぐほどける結び方で柄に巻いておき、房を持って十手を投げるという使い方もします。   刀の手抜緒はそう長くは無いなら 此れを持って投げる事迄は無いと言う事なのかだが
04-23 13:38

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04/22のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/2iIboBlT6M >一条も大力の早業成ければ、抛られたれ共倒れず。漂ふ足を践直して、猶義貞に走懸らんとしけるを、篠塚馬より飛でおり両膝合て倒に蹴倒す。倒るゝと均く、一条を起しも立ず、推へて頚かき切てぞ指揚ける。  此れは両膝の裏を蹴って倒していると言う事なのかだどうかだが
04-22 10:16

https://t.co/6g2sp6QdIQ そうした膝の後ろを蹴る技も 左の様に手も使って倒す例が多いのかだが
04-22 10:54

https://t.co/3TXgsn8OnS  護良親王の大鎧の吹返には https://t.co/AnBQLKC1nG 左の義経の兜に有る 獅子牡丹の金具が有る可能性も有るのかだが 裾金物は円形の獅子牡丹紋が入る可能性も有るのかだが
04-22 12:19

https://t.co/3fVUG175rK 吹返に日光・月光の二天子の透彫迄入る金物が有る例も太平記に有るなら 複雑な獅子牡丹の金物が入る例も同時期に有るのかだが
04-22 12:22

https://t.co/Ln7SGAkwWj >源平盛衰記には兜は甲と書かれ、白星、三枚甲、五枚甲、甲の鉢弓、鍬形打たる甲、と各種の兜が描かれていますが、この中に那須の与一の兜として、鷹角反甲という描写があります。これが本当なら鷹角、つまり鹿の角を兜に飾っていたことになります。
04-22 12:28

源平盛衰記は鎌倉末ー南北朝期成立の可能性も有るなら この時点では鹿の角が有る前立が有ったと言う事なのかだが 鹿の角を模した鍬形が有る可能性も有るのかだが
04-22 12:32

>白星というのは鍍金です。金メッキ、銀メッキ双方あったようですが、銀メッキのほうがメジャーです。兜全体の鍍金ではなく部分鍍金で、剥板を互い違いに鍍金する事で筋と呼ばれる縞模様を作るパターンが多いです。 https://t.co/ojBewAb4NT 左の平治物語絵巻の白い兜鉢は 銀メッキが有るのかだが
04-22 12:37

裾金物や吹返の大型の金物も 室町期に下馬戦闘多用で甲冑が軽く成った時点で廃れたのかだが 指揮官用の物は一部残っていた可能性も有るのかだが https://t.co/WqNr4PAQhD 16世紀の大友家の具足の草摺には裾金物が有るし https://t.co/fBQMcbUpgH 立花家の袖にも有るだろうか
04-22 13:01

足を踏んだり足払いをする素振りを見せるだけで 敵の先制攻撃の速度が鈍ると言う事は 慣れている者でさえ幾らかは有ると言う事なのかだが
04-22 13:22

https://t.co/T6Dp2KBrvi 関口流柔術の膝裏を蹴る技は 後方からの奇襲時以外は無いのかだが
04-22 13:54

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04/21のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/5LAjFh5rtu トーナメント兜が固定式なのは 左の様な直撃には通常の兜は耐え得ない故と言う事なのかだが 戦場ではこうした直撃でやられていたのかだが サレットの頬当部は固定式だから 耐久性は高いのかだが
04-21 08:49

鑢目半頬 *兜鎧甲冑武士戦陣弓刀鞍鐙鍔目貫縁頭大名侍 https://t.co/cXn8Wz04ED 顎下部に装甲が余り無い面頬も有るが こうした物は戦国期に有るのかだが
04-21 12:34

男衾三郎絵巻の下の場面は 歩兵に騎馬武者が組討を仕掛けているのかだが 弓は左手に掛かっていると言う事なのかだが https://t.co/r9LLHu3Mtl
04-21 13:29

馬上組討では 刀は失われる危険が高いだろうが https://t.co/amde6WBFFT 14世紀の騎士は剣を鎖で鎧に繋いでいるから 組討時でも剣は失われないと言う事なのかだが 15世紀には何故か廃れているだろうか 日本でも予備の刀を装備する例は有るだろうか
04-21 13:40

https://t.co/dv2aTij0k5 >大塔宮が赤地錦の鎧直垂に、緋縅の鎧を着け、その鎧の裾金物には、牡丹の陰で獅子の戯れる様子を、前後左右に配置し、草摺りを長く垂らし、着て居られました。  獅子牡丹の裾金物は https://t.co/XSyARVaD92 左の家紋の様な円形の物が多数入ると言う事なのかだが
04-21 14:29

https://t.co/ioSg96QBiy >其死骸を見るに、皆面の皮を剥で何れをそれとも見分ざれば、相摸次郎時行も、定て此内にぞ在らんと、聞人哀れを催しけり。  顔の皮を剥いで首の識別を困難とする例も有るのかだが 太平記の別の場面では 同様の理由で鼻・耳を削ぐ等と言う記述も確か有っただろうか
04-21 16:23

https://t.co/XKsSkPMNND >天下に名を得たる大力を真先に進ませ、八尺余の金棒に、畳楯の広厚きを突双べ、  https://t.co/uLqkh7BV2b 畳盾と言うのは 金具で連結可能な垣盾と言う事なのかだが
04-21 16:37

https://t.co/7TvKvvj3fE 左には畳盾は丁番を利用した折り畳める盾と有るが 果たしてどうなのかだが
04-21 16:39

>八尺余の金棒に、畳楯の広厚きを突双べ、「縦ひ敵懸るとも謾に不可懸、敵引とも、四度路に不可追。懸寄せては切て落せ。  金具で連結も可能かも知れぬ畳盾のシールドウオールを利用して 敵との戦闘を極力回避と言う様な戦術を考えているのかどうかだが 金棒等で盾が粉砕された例も有るのかだが
04-21 16:45

https://t.co/2iIboBlT6M >新田左兵衛督を見てよき敵と思ひけるにや、馳双で組んとしけるを、篠塚中に隔て、打ける太刀を弓手の袖に受留、大の武者をかい掴で弓杖二丈計ぞ投たりける。  袖での刀の防御も 太平記には書かれるが 板金では無いから大太刀は防ぎ難いのかだが
04-21 17:41

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04/20のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/XlsYisA4H6 https://t.co/Ic3OSCo8se  清の綿襖甲の下腹部分の装甲構造が良く分からないが 佩楯と合わせ綿が二重に成っているだけと言う訳では無いのかだが
04-20 09:48

https://t.co/h07cfyAd8A 左の鎧でも腹部に鋲は無く 鉄札も無いと言う事なのかだが
04-20 10:00

https://t.co/MGVC7r7x6K 明の鎧の場合は左同様に下腹にも鉄札は有ると言う事だろうが 清と同タイプの鎧も利用された可能性は有る様だが
04-20 10:16

https://t.co/WF5dvZKHg2 左の鎧は https://t.co/SBKOx7Bbv7 左の乾隆帝の物に似ているかも知れぬが 袖部分の下にも鉄籠手は入るのかだが
04-20 11:55

https://t.co/aelScGurSW 袖の下に明的な鉄籠手が有る様に見える絵も有るが 果たしてどうなのかだが
04-20 12:08

https://t.co/pl70ljlXSn 左の袖の下に鉄籠手が有る様に見える騎兵は 女真兵なのかだが 元と成る絵等は有るのかだが
04-20 12:33

https://t.co/SBKOx7Bbv7 乾隆帝の鎧の場合は 草摺部分にも鋲が有るから この位置にも鉄札は入るのかだが 脇引的な物の下方には隙間が有ると言う事なのかだが 佩楯も鉄札は完備では無いと言う事なのかだが
04-20 12:53

https://t.co/4XfSAqtO1b 脇引が無い様に見える鎧の場合は 側面部の隙間は上部にも有るのかだが 現実には上部は塞がっていたと言う事なのかだが
04-20 12:55

https://t.co/qxehgGFokI からくり南蛮鎖と言うのは リベット留めの鎖と言う事だろうが 黒漆が有る物は少なく共日本製と言う事なのかだが 戦国期には無いと言う事なのかだが
04-20 13:22

https://t.co/lzbRJv4vNN スペイン等の海戦用甲冑の腕部分は鎖が入る例が有るから この部分が戦国期にコピーされた可能性は有るのかだが
04-20 13:32

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04/19のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/w9hStQAVm4 >坂の四郎永覚と言ふ悪僧あり。 >萌黄威の鎧に、黒糸威の腹巻二両重ねてぞ着たりける。帽子兜に五枚兜の緒をを締め、   大鎧の下に腹巻を装備している例は 平家物語に既に有るが
04-19 08:41

大鎧装備でも帽子兜を装備する様だが 僧兵だけなのかだが 帽子兜の上に袈裟は有るのかだが 五枚兜と言う事は シコロは鎖では無く小札製だが 下散シコロなのかだが 或いは鉢だけが帽子兜的で 通常のシコロが有る可能性も有るのかだが
04-19 08:42

平家物語時代の大太刀も 弓との併用を考えると 腰から抜刀可能な刃長4尺程度迄の可能性も有るのかだが 大薙刀はこの時点では乗馬時は利用されないだろうから 刃長120cm超有る可能性も有るのかだが
04-19 09:37

https://t.co/rlaSp4Roau 1222年迄に成立かも知れぬ 保元物語の為朝の大太刀は https://t.co/FqeDNw1gN9 三尺五寸(106cm)と有るから 平安末期にはこうした物も有った可能性は有るのかだが
04-19 09:50

https://t.co/scOJR7DC1K 法然上人絵伝の左の帽子兜も 下散シコロでは有るが シコロは5段有るから こうした物が僧兵の頭巾の下に装備された可能性は有るのかだが
04-19 10:04

下の春日権現験記絵に有る様な大鎧装備の僧兵なら 防御力を考慮して https://t.co/15aaiXZL4s 左の謙信の浮世絵の様に通常の兜が 袈裟の中に入る可能性も有るのかだが 袈裟の中に入るから兜鉢は装飾の無い帽子兜的な物が使われる例も有るのかだが https://t.co/VmmSk3wRdB
04-19 10:27

https://t.co/4wChT11aEQ 左の篭手は裏篭手に板金が有るのかだが 表側は何故か鎖が多いが 長物での上からの打撃を防ぐ事を優先しているのかだが
04-19 10:44

秋夜長物語絵巻の 下の騎馬武者の篭手は裏篭手に板金や篠等が有るのかだが こうした物は鎧が軽く成った後は何処迄残ったのかだが https://t.co/Ty5nKIBjP7
04-19 10:50

https://t.co/nDZxBRL02l 篭手を直垂や弓懸の下に入れる例は 左の戦国期の赤沢朝経の像にも有ると言う事なのかだが
04-19 11:01

下の平治物語絵巻の歩兵は 右の篭手は小袖的な物の下に有ると言う事なのかだが https://t.co/LaYIqEFOCp
04-19 11:28

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04/18のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/jCKq8xCZM8 火炎の頭立等も有るが 戦国期に同様の物が有るとしても 単純な形状なのかだが
04-18 09:07

https://t.co/fz4u8vwhuN こう言う後部が太い15世紀のランスは 下馬戦闘時滑らせては突けないだろうが 逆側での打撃力は有ると言う事なのかだが https://t.co/2xW3beyhD0 15世紀初期辺り迄の直線的なランスは滑らせていたのかだが
04-18 09:29

ランスもポールアーム同様の 樫よりは強度が低いヨーロピアンアッシュ製なのかだが 先端の補強は無いから ロングソード等で切断される例も有ったのかだが
04-18 09:31

https://t.co/1bWKeGdKtp 15世紀後期のフロワサール年代記のランスも直線的だが 16世紀ではこうした物は軽騎兵用以外無いのかだが
04-18 11:44

https://t.co/E8zacstzVG >若き大将となった資時は、船匿(ふなかくし)城に籠城して波のように押し寄せる元軍相手に小勢で必死の防衛戦を繰り広げましたが、最後は家来数名を引き連れて元軍に果敢に切り込み、何本もの毒矢を受けて壮絶な最後を遂げた、と伝えられています。
04-18 14:04

少弐資時は海上で戦死したと言う意見も有ったが 少弐資能も昼間船を攻撃をして焙烙でやられた可能性も有るのかだが
04-18 14:06

https://t.co/a1q3OWGY3Y >少弐資時が、何処で討ち死にしたかについては諸説あり、「壱岐島前に於いて討死」、「元軍の船から発された火砲の弾が当って死んだ」、「居城の船匿(かくし)城で全滅」、「ショウニバツケ(少弐畑)」   少弐資時が焙烙でやられた可能性は 有ると言う事なのかだが
04-18 14:12

https://t.co/LbR1XdUnGP >この石築地は、最も頑強な部分で高さ3m、幅2m以上ともされており、日本側が守備する内陸方面からは騎乗しながら駆け上がれるように土を盛っており、元軍側の浜辺方面には乱杭(らんぐい)や逆茂木(さかもぎ)などの上陸妨害物を設置していた
04-18 14:31

乱杭・逆茂木は蒙古襲来絵詞の防塁付近には無い様に見えるが 実際は存在していたと言う事なのかだが
04-18 14:31

>海路から東路軍を攻撃した伊予の御家人・河野通有は元兵の石弓によって負傷しながらも太刀を持って元軍船に斬り込み、元軍将校を生け捕るという手柄を立てた[283]。
04-18 14:37

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04/17のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/1UillwSJBS 汗を流す管から 髭が出る面頬も有るが 実戦は考慮していない物なのかだが
04-17 09:30

https://t.co/kFnW0uzvGn >よく見ると、槍の形でもそうなのですが、薙刀の形って相手に突き入れた瞬間に捻るんですよね。ボクシングとかで当たった瞬間に手首を返すって言うでしょう。ちょうどそんな感じで突き入れた瞬間にえぐるんですよ。
04-17 11:12

>本当にそんな突かれ方をしたら、相当なダメージがあるだろうなぁって  刀でこうした捻る突きと言うのは見ないが 実際は行われていたのかだが 板金鎧でも鎖の無い足にこうした事をやられば 致命傷に成ると言う事なのかだが 細い切っ先で脇部等の鎖を貫通した後に 捻られる例は有ったのかだが
04-17 11:19

https://t.co/MuySPHSQNh 左に薙刀の捻る突きが有るが 幅広で湾曲した薙刀等で捻られれば 腿部等でも致命傷に成ると言う事なのかだが
04-17 11:20

突きが浅く共捻る事でダメージが大きく成ると言う事かも知れぬが そうした例は何処迄有るのかだが
04-17 11:25

https://t.co/u0XyVKUQHC >肥後古流長刀 >刃四尺(約一・二メートル)、柄四尺の長刀棒(現代なぎなたより二十センチほど長い)を使う。  刃長1.2m等と言うのは 南北朝期以外は余り無いのかだが
04-17 14:39

https://t.co/79oY9VRxDR >長崎父子一所に打寄て魚鱗に連ては懸破り、虎韜に別ては追靡け、七八度が程ぞ揉だりける。  https://t.co/yynCn7wpOy 太平記の虎韜の陣と言うのは 左の包囲の為の物なのかだが 戦国期には有るのかだが
04-17 17:06

>鎧の袖引ちぎり、草摺あまた切落し、太刀をも鞘に納つゝ、左右の大手を播ては、此に馳合彼に馳替、大童に成て駈散しける。   素肌武者迄では無いが 袖や草摺を排除して戦っている例は 戦国期にも有るのかだが
04-17 17:50

https://t.co/vIV6t9Am61 同時期に作られたかも知れぬ船出具足には佩楯や脛当が有るが 村上水軍以外は重装だった可能性も有るのかだが https://t.co/vJADyk3syk
04-17 19:23

https://t.co/qnQUZ32kRL 一方で蒙古襲来絵詞の日本の騎馬武者は 脛当は無い様にも見えるが 果たしてどうなのかだが
04-17 19:27

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04/16のツイートまとめ 

boukenkyuu

ノートルダム大聖堂で大規模な火災 パリ https://t.co/iFMkzImYus https://t.co/wXDb5HmLWD ノートルダムも仏革命で 可也破壊されたと言うが 構造材等は完全に古い物と言う事なのかだが
04-16 09:30

>ファサードを装飾する彫刻、屋根の塔、その他多くの部分は、19世紀のゴシック・リヴァイヴァル期にウジェーヌ・エマニュエル・ヴィオレ・ル・デュクによって大幅に改装されたものである。  と有るが 14世紀以前の部分は 何処迄有るのかだが
04-16 09:33

https://t.co/Y882Hce1im >袖搦(そでがらみ):室町時代に中国から日本に伝わった  と有るが https://t.co/L0tJFQW1Yc 左では見当たらないだろうか
04-16 10:11

https://t.co/6ifpH2Fl7H 袖絡も左程度の長さで 長く持てば船上でもつかえ難いのかだが
04-16 10:47

https://t.co/QAKwyO3iRx 戦闘用の袖絡は 左の様に槍的な部分が長い可能性も有るだろうし 銘が入る物は全て戦闘用と言う事なのかだが
04-16 11:04

中国にも袖絡は有ったが 捕物専用であり戦場での利用は無い可能性も有るのかだが
04-16 11:07

https://t.co/QecWLHKw7D 分銅鎖装備の袖絡は戦国期に有るのかだが 15世紀辺りの鎖鎌登場後に出て来たと言う事なのかだが
04-16 11:17

船上で使われる長物の石突は 味方に当たる危険を考慮して鈍い物が多いのかだが 薙刀はどうなのかだが
04-16 11:19

村上海賊の娘だと 袖搦は帯に掛けているが 滑り込ませられなくは無いのかも知れぬが 袴に巻いて絡めて 腕力が有れば持ち上げる事も出来るのかだが https://t.co/grdHq6VHkB
04-16 11:24

熊手の代用として袖搦は使えるかも知れぬが 熊手が此れに全て置き換わった訳では無いのかだが
04-16 11:27

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04/15のツイートまとめ 

boukenkyuu

長篠以前は 飛び道具を持つ兵のみが前方等に抽出される例は有ったのかだが https://t.co/oUQI8GFhmp >赤松是を聞て、三千余騎を三手に分つ。一手には足軽の射手を勝て五百余人小塩山へ廻す。   太平記の左の場面では 足軽の射手が500 射撃に優位な山に抽出されていると言う事なのかだが
04-15 12:15

https://t.co/5GWCg1Oyco 腹の出た16世紀末の伊予札丸胴は 小札のサイズは左のブリガンダインよりは小さいが 札は左よりは固定的かも知れぬが この程度の打撃なら耐えるのかだが
04-15 12:48

時代在銘鎖鎌/武具武器/宍戸 梅軒 https://t.co/65OFXBaFi2 銘が入る鎖鎌だが 古い物なのかだが
04-15 13:33

貸し刀には加工に手間の掛かる樋は無いと言う事なのかだが 樋でやや強度は増すと言う意見も有るが 果たしてどうなのかだが
04-15 13:40

https://t.co/MHJlFdR9cs >ちなみに刀を振ると「ピュッ」と風を切る音が聞こえるかと思いますが、これは樋の存在によるところが大きいです。その為夜間の戦いなどではこの音を嫌い、樋がある刀は使われなかったとも言われています。  忍者用の刀には 樋は無いと言う事なのかだが
04-15 13:41

https://t.co/nkOFSXzRNN 貸し刀も薩摩拵同様に 目貫は無いのかだが 騎馬武者用刀も目貫付近を握る構えを利用する場合は 目貫が無い方が良いのかだが
04-15 14:05

https://t.co/5IbScZ3jWs とは言え手を付けて持つ場合でも 目貫の干渉は何処迄有るのかだが
04-15 14:11

https://t.co/tYzke4Wtla 天井の低い安宅船内等でもこうした斬撃は 装甲の無い部分には多用されていたのかだが
04-15 14:21

https://t.co/e9IsbMuLmr 雑兵物語の貸し刀の鞘は革製の様だが 返角は有るのかどうだが
04-15 14:31

この貸具足は三成家中の物と言うなら 関ヶ原でも使われたのかだが 関ヶ原時点でもこうした平坦な二枚胴の貸具足なら 多数派では無いとしても 精鋭部隊等の一部には有ったのかだが https://t.co/ZdTTDG7gTN
04-15 15:29

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04/14のツイートまとめ 

boukenkyuu

南部馬の大型の物なら アラブ馬同様の400kg程度の体重は有るのかだが 指揮官用の馬はこうした物が多いのかも知れぬが 一般騎馬武者は利用していたのかだが 乗馬戦闘を多用する関東の馬廻辺りなら多いのかだが 西国の馬廻はどうなのかだが
04-14 10:06

https://t.co/zMiuvzsbvg 腰刀もシミター程湾曲は無いし 打刀より湾曲していない物さえ有るが モンゴル的に馬を走らせて斬ると言う事は 中国の騎兵では少なかった故なのかだが
04-14 11:41

https://t.co/vgqPGfoxu8 モンゴルの剣も 一部湾曲が浅い物も有るが 歩兵用と言う訳でも無いのかだが
04-14 11:45

https://t.co/4pskpdLd0k 左の南北朝期の大太刀なら 一部のモンゴルの剣程度の湾曲は有るかも知れぬが 馬を走らせての斬撃を考慮していると言う事なのかだが 乗馬戦闘の多い関東では室町期でもこうした物は残ったのかだが
04-14 11:56

https://t.co/X1HABQ3y6D モンゴルの剣よりトルコ的なシミターの方が湾曲が強い物が多い様に見えるが 此れはモンゴル馬よりアラブ馬の方が高速故に 湾曲を強くする必要が有る故なのかだが 直剣型シミターも有るが 歩兵用なのかどうかだが
04-14 12:04

https://t.co/lF5NkAJuKw >また瀬戸内海賊の村上氏の戦闘砲や砲術をまとめた「合武三島流船戦要法」に船中での戦では槍では後先がつっかえて不便であり、太刀打ちで船首から船尾まで斬ってまわるべきであるとあり、
04-14 12:14

>河川回路の運航に関わりのある武装集団を中心として発達したのが徒歩「太刀打ち」であり、そのための「大太刀」とも考えられる。  レパントの海戦の絵でもスペイン・トルコ両軍は槍は無く剣+盾が多いが ボーディングパイクの様な短槍なら利用されていると言う事だろうか
04-14 12:15

日本の海戦でもボーディングパイク的な短槍が利用された可能性は有るのかだが 蒙古襲来絵詞で振るわれる船上の薙刀は 通常サイズより短いのかだが 元軍の槍はどうなのかだが
04-14 12:16

三尺五寸(1.06m)の刃長の大太刀を船内で使う場面も 村上海賊の娘に有るが https://t.co/cGlPxFQrJ4 レパントの海戦の絵には https://t.co/UAv5JUrxHa 更に長いモンタンテが船上で振るわれる例も有ると言う事だろうか https://t.co/n2exzQuKiA
04-14 12:30

モンタンテを狭い甲板上で使う技も有るから 海戦で此れが使われた事は確実と言う事なのかだが 船内でも同様の技が使われたのかだが 安宅船船内でこうした技が使われる例は日本で有ったのかだが https://t.co/KJWlM8lpH0
04-14 12:43

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04/13のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/1n30SnP1mg 左の太平記の鎧の下の鎖帷子も 格子鎖では矢の阻止力は無いだろうから 総鎖の物が有ると言う事なのかだが 歩兵用では胴部が格子鎖の物も多いのかだが
04-13 10:41

室町期では下馬戦闘多様で鎧は軽量化されているなら 指揮官以外では胴の下に総鎖等は有るのかだが 関東の騎馬武者なら指揮官以外でも有るのかも知れぬが 彼等も銃の時代では鎖は脇部以外は装備せず 胴の鉄板を二重とする等して厚くしていたのかだが
04-13 10:45

甲冑の下に着る鎖なら 小札の摩耗を考慮して 満智羅の様に布で包まれている可能性が高いのかだが 脇引の鎖は露出しているが 此れは胴の中には入らない物なのかだが
04-13 10:51

室町期でも重い胴丸や兜が有ると言うが 此れは指揮官用の物或いは関東の物の可能性も有るのかだが
04-13 10:55

左の通常の鎖の 緑色の部分は矢を阻止出来ないと言う事なら 騎馬武者が矢を阻止するのに大鎧の下に着た物は 右の南蛮鎖なのかだが 鎌倉或いは室町前期の此れを利用した籠手は有るが 南北朝期にも有ったと言う事なのかだが https://t.co/ygnOudlWcm
04-13 11:41

南蛮鎖もリベット留めでは無いが 日本の鋭く無い鏃なら可也阻止出来たのかだが
04-13 11:42

大鎧の下の矢を阻止する為の腹巻と言うのも 重量を考慮すると革伊予札製の可能性も有るのかだが
04-13 11:45

https://t.co/sXjtRN5OPr >天井に大刀を打付じと、払切にぞ切たりける。  太平記に有る払切と言うのは https://t.co/69IP6RmkqI 横方向への斬りの様だし 天井の低い場所ではこうした斬撃や突きが多用されたのかだが
04-13 12:08

https://t.co/GocUGeYWIb 小札鎧相手なら打撃技は有効等と前に書いたが 左を見る限りどうなのかだが 室町期の細かい札なら或いはどうなのかだが
04-13 12:28

革札や鎖なら打撃も有効かも知れぬが 戦国期の伊予札丸胴では鉄札利用の胴部に打撃を与えるのは 立胴化して柔軟性が低下している事も有り 困難なのかどうかだが
04-13 12:32

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04/12のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/S9xvhZQs7r こう言う当身からの攻撃から 足の装甲の隙間を狙うと言うのは多用されたのかだが
04-12 09:11

最上胴や当世具足の板金的な袖を利用した当身等は 何処迄行われたのかだが 袖は高位の騎馬武者には 可也後迄大量に装備されていたのかだが 1590年の秀吉の鎧には袖は無いだろうから この辺りでは高位の物でも袖が無い例が可也多かったのかだが
04-12 09:58

蒙古襲来絵詞を見る限り下位の騎馬武者には袖が無いだろうし 此れは戦国期も同様だったと言う事なのかだが 一方で袖装備の大鎧を着た歩兵も居るだろうが 室町期には胴丸と成ったと言う事だろうが 彼等の袖は銃が出た後は廃れたのかだが
04-12 10:01

https://t.co/PctDU1iL7O 左は1584年の末森城の戦いで利用された 前田利家の家臣・野村伝兵衛の具足なのかだが
04-12 10:20

https://t.co/Q4sUbZq7GI >越中の佐々成政が家康にくみすることとなり秀吉派の利家を脅かさんと天正十二年9月11日八千の軍勢で末杜城を攻めたのがこの合戦である。この戦いで馬廻衆野村伝兵衛は、一番槍を果たし、利家郷より感状を授けられて、千石の加増を申しつけなされたと記されている。
04-12 10:23

https://t.co/NERkp0ftEn 左の前田利政の具足は16世紀の物と有るが 関ヶ原時点では(利政は参加しなかったが)存在していたと言う事なのかだが
04-12 10:37

https://t.co/qr1CNKwf4o 左の様に鼻上部が伸びた面頬は 視界が悪いかも知れぬから戦国期には無いかと思ったが 前田利家の物が有ると言う事なのかだが
04-12 10:39

https://t.co/ZpnvjdZDgs 此れは揺糸は長くは無いが 16世紀の具足なのかだが
04-12 11:05

https://t.co/qM2gooIQLc 袖のこの位置にだけ紋が入ると言うのも 何か不自然かも知れぬが 他所にも有った可能性は有るのかだが
04-12 11:12

https://t.co/6YgzQPSAyz 左の様な形で背負われた大太刀の鞘も 白兵戦時は馬に干渉すると言う事かも知れぬが 抜刀した状態の鞘ならそう影響は無い可能性も有るのかだが 射撃時もパルティアンショットをしない限り 干渉は無いのかだが
04-12 11:22

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04/11のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/bkCmrGPQ1J 魔女裁判で精神病者が魔女(此れは男も含むが)と見做され 大量に処刑されたのも事実と言うだろうが 現代でも軽度の各種精神疾患を持つ者に対し 意図せずに制裁・中傷が行われていると言う例も多いのかだが
04-11 10:58

戦国後期の兵の刀の差し方が 依然分からないが 騎馬武者は https://t.co/nnkkA70mBG 左の井伊直孝の肖像画に有る様に 腰当利用なのか 本多忠勝等の肖像画に有る様に通常の太刀が利用される例も多いのかだが
04-11 12:25

https://t.co/XqLNVO98PA 左の黒田長政の肖像画や 津軽屏風に有る差し方は刀が下方に伸び馬に干渉し得るなら 実際は歩兵の差し方の可能性も有るのかだが 乗馬戦闘を完全にしない騎兵なら こうした差し方も有ったのかだが
04-11 12:27

https://t.co/SNgU6DYzZb 黒田屏風には腰当らしき物が書かれる様にも見えるが 他の差し方も腰当を装備している様な差し方が基本だろうか
04-11 12:29

黒田屏風の腰当らしき物の一部には 紐を通す穴の様な物が有るが 此れは https://t.co/eJaoCx1dMe 左の筒腰当と類似するから 此れが表現されていると言う事なのかだが 井伊直孝の肖像画に有る板腰当は 大阪陣では有ったのかだが https://t.co/zuyG0jbVoQ
04-11 12:57

黒田屏風の場合足軽に迄腰当らしき物が書かれるが 実際は利用は無い可能性も有るのかだが 徒武者はどうなのかだが https://t.co/Or6u3ziCyf
04-11 13:00

大阪冬の陣図では 足軽の刀も太刀的な位置に有るが 実際は津軽屏風の様な差し方の可能性も有るのかだが https://t.co/GRTgAqfflT
04-11 13:32

朝鮮軍陣図屏風だと 足軽・袖の無い恐らく徒武者の刀は 腰当は無く 騎馬武者の刀は通常の太刀の位置に有るが この時点で腰当利用は有ったのかだが https://t.co/fFfqAlocoz
04-11 14:19

下の津軽屏風等にも有る 歩兵の刀の差し方は膝を付いても鞘が地面に付かない様にする為と言う事なのかだが 騎乗戦闘しないなら此れでも良いと言う事だろうが 馬足軽や馬に乗る徒武者は 後者は騎乗戦迄想定するなら腰当や通常の太刀が有る可能性も有るのかだが https://t.co/UtWRCSblJz
04-11 14:29

馬上で停止して銃や弓を前方に放つだけなら 腰当や通常の太刀は不要と言う事かも知れぬが https://t.co/toksP6KKh4 馬上で銃を装填すると鞘が干渉する可能性も有るのかだが
04-11 14:38

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04/10のツイートまとめ 

boukenkyuu

馬足軽と騎馬武者の中間的な 騎乗する徒武者的な者も居るのかだが 士鉄砲組・士弓組・槍侍が騎乗している例も有ると言う事なのかだが
04-10 11:15

そうした者も乗馬戦闘は 基本的に無いと言う事なのかだが
04-10 11:16

敗走した敵を追撃する際或いは敗走時に 弓・鉄砲足軽や士鉄砲・士弓組が一時停止させた馬上から射撃する例なら有るかも知れぬが 槍侍は追撃・敗走時に馬上戦闘はしたのかどうかだが 槍や弭槍の無い雑魚歩兵・奉公人相手なら或いは行った可能性も有るのかだが
04-10 13:13

https://t.co/toksP6t9pw 左の様な形で馬足軽や士鉄砲組が 追撃時や敗走時に停止させた馬から長筒を放つ例も戦国期に有ったのかだが
04-10 13:22

https://t.co/R7smywZq2u 停止した馬上からの射撃も 前九年合戦絵巻に書かれるが 騎乗した弓足軽・士弓組がこうした事をしていたと言う事なのかだが
04-10 13:32

垣盾を持つ馬足軽等は居るのかどうかだが 下のセンゴクの姉川合戦の様に そうした兵が馬に乗りながら部隊を防護したと言う様な例は有るのかだが 馬にも装甲が完備される様な関東の騎馬武者が 緊急的にこうした事をした例は有るのかだが https://t.co/wlYR9I2TQJ
04-10 13:47

同時期の関東では銃はかなり少ないだろうが 銃が増えた後は馬鎧も保たないだろうが 人のみなら小型で6cm厚等の垣盾を利用すれば 佩楯に迄鉄札が有る関東の騎馬武者の重装甲も考慮すると 可也防護出来たのかだが
04-10 13:59

https://t.co/gAKgD2l6SY 左の鎌倉期の騎馬武者が持つのは手盾だろうが こうした騎馬武者は戦国期には関東でも居たのかだが 防弾可能な物は馬上で利用されていたのかだが
04-10 14:07

https://t.co/4pskpdtC8M https://t.co/XhOi4iUL0g 依然足利尊氏の物かも知れぬ肖像画の下絵には 弓が左肩に掛けられていたと言う事なら 同時期にはこの状態で大太刀が振るわれていた例も有ると言う事なのかだが
04-10 14:52

この大太刀は腰に抜かれていない太刀が有る事を見ると 居合抜きはされない様だし 弓の使用時には弓と同時に手で持たれていたのかだが 清水寺縁起絵巻の様に従者が持っていた可能性も有るのかだが
04-10 14:54

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04/09のツイートまとめ 

boukenkyuu

平治物語絵巻・春日権現験記絵では大鎧を着ている歩兵も多いが 垣盾が有る状況では袖は対打物用に使われる例が多いのかだが
04-09 12:20

https://t.co/MpOdKDiXZ2 >『源平盛衰記』における合戦:矢合せで始まる。両軍原野に楯を突きならべて対峙する。双方の距離は「五・六段=55~66m」。鬨の声を三度あげ、騎馬兵が鏑矢を射、相手も同様に鏑矢を射返す。
04-09 12:35

>ついで楯越しに遠矢を射懸掛け合う段階があり、この遠矢の戦いが合戦の帰趨を決定するほどに重要。遠矢では吹返が邪魔になるので兜を脱いだ。戦闘の終盤以外は被らずに「兜持ち」に預ける。楯突戦で敵が崩れると楯の間から騎馬武者が出る。
04-09 12:36

源平盛衰記は南北朝期成立の可能性も有ると言う事だっただろうが 当時の歩兵は50-60m程度の射撃が基本だったのかだが 絵巻では下馬して射撃する騎馬武者は兜は被っている様に見えるが
04-09 12:37

>実戦の太刀は切先から6~9cmを除いては鋭く研ぎあげない。中世の絵画諸史料では騎馬武者は太刀がはじめから鞘を払って肩に担がれている。   切っ先付近のみが鋭いのは 突く攻撃を重視した故なのかだが 刃が割れるのを極力避ける為も有るのかだが
04-09 12:40

@SagamiNoriaki https://t.co/tzBACzWYi4 太刀も南北朝期には打撃力が重視されて 先端部の幅が増したと言う事だろうか 戦が収まった室町前期には又先端が細く成ったが 戦国時代には再度幅広と成る訳だろうか
04-09 12:59

https://t.co/2LCoheJC93 https://t.co/i5lYwYdVVY 14世紀後期の平治物語絵巻でさえ 馬上で刀を両手打ちしている例が複数書かれるが モンゴル等もやる様な馬の速度を生かした片手打ちでの一撃離脱が多いのかだが
04-09 13:08

そうした馬の速度を利用した 片手打ちでの一撃離脱なら脇に弓を挟んだり 片手で弓を持った儘でも出来る訳だろうし 絵巻ではそうした持ち方が多い訳だろうが 乱戦等で止まっての打ち合いをする場合は 両手打ちも多かったのかだが
04-09 13:10

矢を至近距離で放ってから 弓を脇に挟むか左手で持って刀を居合抜きし 馬の速度を利用して刀で一撃し離脱と言う例が多かったのかだが 乱戦と成り馬の足が止まった後は 両手打ちで刀が振るわれる例が多かったのかだが
04-09 13:21

https://t.co/MpOdKDiXZ2 >手首を通して脱落を防ぐ「手貫の緒」の存在から元は片手使用だった。  馬の速度を利用しての片手打ちでの一撃離脱を考えるなら 手貫緒は有用かも知れぬが
04-09 13:30

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04/08のツイートまとめ 

boukenkyuu

ゴアに万単位等の日本人が居たなら 彌助の出身地モザンビークも 日本人が相当数居た可能性も有るのかだが 米大陸や欧には居たとしても極少数なのかだが
04-08 08:51

https://t.co/pJE4tCW56d 1621年の秀忠の武器・傭兵輸出禁止令以降も 東南アジアや印の一部では現地の日本人が日本製武器を製造していたと言う事なのかだが
04-08 09:17

日本武具が印や東南アジアで手に入ったとしても 日本本土でさえ刀は雑魚兵士には完全には行き渡らない訳だろうし そうした者が東南アジアや印の刀剣を改造して装備したり 西欧製の余った剣を改造して利用した例も有るのかどうかだが 日本的な手木が利用された例も多いのかだが
04-08 09:27

貸具足も同様に日本本土でさえ雑魚兵士には行き渡らないなら 印や東南アジア製或いは西欧製の甲冑が 貸具足の代用品として彼等に利用された可能性は有るのかどうかだが
04-08 09:31

雑魚兵士の長柄槍は 西欧製のパイクや印・東南アジアの物の改造品が多い可能性も有るのかだが 持槍も西欧製のボーディングパイクや 印・東南アジアの槍が利用された可能性も有るのかだが 騎馬武者クラスの武具は日本製パーツのみか 此れの比率が多いと言う事なのかだが
04-08 09:37

https://t.co/RDBrWGJNuK モザンビークや南米にも竹が有るのかだが 日本製弓矢に使える様な物なのかだが
04-08 09:55

雑魚的な長巻兵なら ハルバードやモンタンテ或いはこの改造品を利用していた可能性も有るのかどうかだが
04-08 10:24

南北朝期の胴丸の草摺は 隙間は塞がるなら 草摺装備の金胴を大鎧の下に装備した場合は 草摺部分は鉄板札で完全に保護される可能性も有るのかだが
04-08 11:09

https://t.co/3HfnqRInBC >南北朝時代頃からは、胴丸の武士も兜・大袖を着用することが一般的になった。  大鎧の無い様な下位の騎兵の胴丸に 袖が追加された例が多いのかだが 金胴的な鉄板札の袖が装備された例も有るのかだが
04-08 11:16

大鎧装備の歩兵も平治物語絵巻等に書かれるが 南北朝期にはそうした者も大半は袖付き胴丸を装備していた可能性も有るのかだが コストが低い金胴の装備は騎兵より多かったのかだが
04-08 11:18

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04/07のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/yNeEz07eaI 左の釘抜繋ぎ紋は 具足の家地に入る例は有るのかだが
04-07 08:52

https://t.co/6PJ9WLL38l 御手杵の消失前の写真が有るが https://t.co/xzyIhic09j 左の復元品に有る鍔は装備されていないと言う事なのかだが
04-07 09:27

御手杵も身幅2.6cmなら 刃部を打撃に利用するのは困難と言う事なのかだが 刃長60cm程度の物ならどうなのかだが
04-07 12:11

カズより21歳年上! 73歳GKがプロ公式戦出場でギネス新記録認定  https://t.co/QjEeGv47w7  運動量が低いGK以外では 困難と言う事なのかだが 三浦和がGKに転向する可能性も或いは有るのかだが
04-07 13:36

https://t.co/mXRHnHgYKv 龍造寺の日足紋は 佐藤氏の源氏車紋の内部を抜き出した物なのかだが 此れ以前に日足紋は無かったと言う事なのかだが
04-07 18:18

https://t.co/GvGvHyYQoW >北九州にこの紋を使用する家が多い。これはむかし菊池一族が鷹の羽紋を用いる前にこの紋を用いていた。  と有るから 龍造寺より前に利用された例が有ると言う事なのかだが
04-07 18:22

16-17世紀のスペイン軍の日本人傭兵も 日本製武器は何処迄フィリピン等で手に入るのかだが 西欧剣は果たして利用したのかだが 両手持ち可能に改造されていた可能性は有るのかだが 大型の両手剣モンタンテはその儘利用されていた可能性も有るのかだが
04-07 22:31

甲冑は武器に比べ消耗し難いだろうが スペイン製鎧が装備された例も多いのかだが 円盾は何処迄利用されたのかだが
04-07 22:32

銃は日本製が利用されるとしても スペイン製の10匁程度の弾丸がその儘使える様な物も多かったのかだが
04-07 22:36

10匁士筒でもスペイン軍の緩発式火縄銃よりは高精度かも知れぬが 10匁狭間筒迄は利用されていたのかどうかだが 遠距離狙撃には日本製弾丸を使う3-6匁筒が利用されていた可能性も有るのかだが
04-07 22:43

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04/06のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/UjSjDiFtoT 柳葉刀を装備しているらしき 明騎兵も書かれるが 此れはサブ武器と言う事なのかだが 腕力が必要な大刀を持つ騎兵が 同様に腕力が要る柳葉刀を持つ例が多い可能性も有るのかだが
04-06 10:48

https://t.co/X1PlnGVFka とは言えこの種の絵には腰に装備する刀が書かれていないので 大刀装備の騎兵に実際どの種類の刀が装備されているかは不明だろうか
04-06 10:59

https://t.co/haSkxHjOWx 投棄するとカルトロップに成る盾も有るが 文禄・慶長の役でこうした物は使われたのかだが
04-06 11:14

https://t.co/wsR9JZvrL2 左の明の騎兵用盾も https://t.co/oPsYIu4yos 左の様な下馬戦闘で利用されている例しか見ないが 文禄・慶長の役の攻城戦等でも利用されたのかだが
04-06 11:36

騎兵用盾も歩兵用と同様の籐製なのかだが 他の素材が使われている可能性は有るのかだが
04-06 11:40

https://t.co/C4V5dSbTjB  手銃らしい物も下馬騎兵は利用しているが 乗馬時に此れは使用しているのかだが
04-06 11:53

https://t.co/3ieXgeRbn4 騎士は乗馬時にも手銃を利用していると言う事かも知れぬが 弓を持つ騎士に彼等は混ぜられていたと言う事なのかだが
04-06 12:05

https://t.co/KMXBpmSUYh ミトン籠手の親指部分は脆いだろうが この部分を狙う技は見ないが 掌の装甲の無い部分を狙う技は有るだろうか
04-06 12:55

■初出しの三角槍!!!■無銘■凄い皆焼乱刃紋■四寸八分八厘■元幅1.77㎝■元重10.05㎜■仕上げて下さい■ https://t.co/4EJS2rWnb0  皆焼等が入る槍で 実戦用の物は有るのかどうかだが
04-06 13:05

強い力が掛かる大太刀・大身槍や大薙刀では 耐久性を下げる複雑な刃紋が入る例は少ないと言う事なのかだが
04-06 13:09

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04/05のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/auabSPWeqg >赤松政則 >また大名にしては珍しく刀工としても一流で、名工・長船宗光に師事したと言われ、後世に幾つかの名刀を残している。そのほとんどが家臣に与えられたものである[33]。  具足を自身で作成していた大名と言うのは 居るのかどうかだが
04-05 10:33

https://t.co/X9tDXWAOwr 後鳥羽上皇・徳川斉昭も自身で作刀しているが >慰打ちを行なっていた“お偉いさん”は他にも数多くいるようです。  折返し加工迄の定型的な作業は他者にやらせて 最終的な形状決定・焼入れは自身でと言う例も有るのかだが
04-05 10:41

https://t.co/UlLIvpMHlj 伊達綱宗が作刀した刀も有るが 本物では無い物も多いと言う事だろうか
04-05 10:47

https://t.co/jth4IvOYfP 大関増業の作成した具足も有るが 大半は革なのかだが 鎖や家地も自身で作成していたのかだが
04-05 11:04

https://t.co/DmZk3CORQP >私財を投じて乳児院を建てた[2]。これは当時の日本で広く行われていた赤子殺しや間引きの現実にショックを受けたからであるとされている。   一方で西欧では余った大量の人間が ランツクネヒト等に成って略奪暴行を働いた可能性も有ると言う事なのかだが
04-05 12:12

南北朝時代には騎射戦は余り行われていないと言うが https://t.co/Cy1DCEbrYB 後三年合戦絵巻では多いが 平安期の後三年合戦での戦闘を書いている故なのかだが
04-05 14:11

太平記では騎射戦をしている描写は 少なかった様に見えたが https://t.co/Gp9lkHtZ0O 一方で真如堂縁起絵巻では騎射をしている様に見える者が書かれ 戦国後期でも黒田屏風の騎馬武者や家康・立花宗茂等が騎射戦をしているが 騎馬武者の1割も居ないと言う事なのかだが
04-05 14:15

https://t.co/2iIboBlT6M >義貞の兵の中に、 >党を結だる精兵の射手十六人あり。  彼等は恐らく 騎射も出来る者達なのかだが
04-05 14:34

南北朝期の他の弓の名手・https://t.co/ZC97QgeqvD 本間重氏  https://t.co/fdmYdwY86T 五人張りの弓を使う名和長年辺りも 騎射は出来た可能性は有るのかだが
04-05 14:36

https://t.co/VgGkxh5oF7 >足助是を聞て、「此者の云様は、如何様鎧の下に、腹巻か鎖歟を重て着たれば社、前の矢を見ながら此を射よとは敲くらん。若鎧の上を射ば、篦摧け鏃折て通らぬ事もこそあれ。甲の真向を射たらんに、などか砕て通らざらん。」と思案して、
04-05 14:52

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04/04のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/x4w14emcap この様なスピアを騎士は 下馬戦闘で果たして使うのかどうかだが 2.5-3.5m程度のランスを利用していたと言う事なのかどうかだが
04-04 12:32

アルベドではスイス歩兵のハルバードが ミラノ下馬騎士のランスでアウトレンジされたと言う事かも知れぬが 騎士にもテルシオにハルバード兵が混ぜられる様に ポールアーム装備の兵が 歩兵のハルバードやツヴァイハンダー・ロデレロ等の斬り込みに備えて少数配置されている可能性も有るのかだが
04-04 12:45

独の下馬騎士は マクシミリアン1世がパイクを構えていたと言う様な記述も有るなら テルシオが出た時点では 対騎兵では少なく共パイクを利用していたのかだが 下馬騎兵に対しても此れは利用されたのかだが ポールアーム装備で斬り込み及び斬り込み部隊の迎撃を考えていた騎士も一部居るのかだが
04-04 12:50

https://t.co/HzHbL5Dq07 https://t.co/hNl22bWgAg 左の十二類合戦絵巻に有る ベルセルクのアザンの物にも似た両側に鋲の有る金砕棒は どう構えるのかだが https://t.co/YL8nHjl638 左の棒術では両端を持たない構えも多いが こうした構えが使われたのかだが
04-04 16:17

両側に鋲の有る金砕棒も https://t.co/FoWoVRVL50 こうした短く持つ形で打撃をしていたのかどうかだが 2.1-2.4mは有った可能性も有るのかだが
04-04 16:30

アザンの五月雨突きの様な高速の突きも グリップ部分を滑らせれば出来ると言う事なのかだが https://t.co/z59ABMYdXQ 左の様な形で角ばっていても 柄が四角いハルバードを見る限り滑らせる事は可能と言う事なのかだが
04-04 16:38

https://t.co/2A9iO1m5fG こう言う棒で抑える技は 両端に長いスパイクが有る物でも 柄中央部を使えば可能と言う事なのかだが
04-04 16:50

https://t.co/0nIqbXoYwW  端部を持っての打撃と言うのは 左では見ないし 棒術では余り使われない物なのかだが
04-04 17:06

https://t.co/3lHs8MxYCO 左の棒術の試合では 端部を持つ例も有るが 左の選手は利用していない様だが
04-04 17:18

https://t.co/FJk3N4QKQu >樫木の棒の一丈余りに見へたるを、八角に削て両方に石突入れ、   太平記には両端に石突の有る3mの撮棒も有るし 此れは鉄板やスパイクは無いなら 端部は持てると言う事なのかだが 石突の形状は薙刀或いは槍的な物なのかだが
04-04 17:27

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04/03のツイートまとめ 

boukenkyuu

戦艦はなぜ消えた? 「航空機優位」だけじゃない、空母が海上戦力の中心になった理由 https://t.co/WG1vN7VDgX 空母も対艦弾道ミサイルやレールガンの前にもう直ぐ消え ステルスミサイルやレールガン等装備の潜水艦が残ると言う事は無いのかだが
04-03 10:07

https://t.co/r1Zh6DEQfi >2001年のカルテックの報告では原理的にはスーパーキャビテーション推進による最高速度は5,800km/hという。  この程度の余り高速では無いレールガンなら 水中発射も可能なのかだが 質量弾では威力が低く ステルス性が無ければ迎撃される危険も有るのかだが
04-03 10:12

家康を真似して 家康の部下が側室等を武装して帯同させたと言う様な例は有るのかだが
04-03 10:22

https://t.co/WyQeHSs8Ne こう言う縫延的な札が使われる袖は 戦国期に有るのかどうかだが 此れは板札では無いと言う事なのかだが
04-03 10:26

https://t.co/ataPmAkyYy 秩父がかう平も https://t.co/FTOoOdygDP 源平盛衰記の成立年が 南北朝期かも知れぬ事を考えると 同時代に有った幅広の大太刀を模していた可能性も有るのかだが
04-03 11:34

元寇時の宋の柳刃刀を参考として 鎌倉末にもこうした幅広の刀が作られていたと言う事なのかだが 柳刃刀程度の小型の物は有ったのかだが
04-03 11:52

室町期に大太刀や大薙刀が廃れると同時に こうした幅広の刀も廃れたと言う事なのかだが 極一部が戦国期に迄残っていた可能性は 低いと言う事なのかだが
04-03 12:01

https://t.co/g6ZcDQCkDg >柳葉刀には、代わりに刀彩と呼ばれる布切れが付けられており、フェイント等を行った。  この刀彩は腰刀では見ないが 実戦用の刀にも有るのかどうかだが
04-03 12:14

https://t.co/gJA3EgvERv 明の腰刀には刀彩は無いが https://t.co/LtIE42BEHK 剣には紐が有るが 実戦用の物では無いと言う事なのかだが
04-03 12:19

https://t.co/44t2ay0zh5 https://t.co/cyloQ0HbUl 倭寇図巻の実戦用の剣や柳葉刀にも 刀彩らしき物は無いだろうか
04-03 12:27

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04/02のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/HKKKGTTD6o 左の津軽屏風の紋の位置と 同じと言う事なのかだが 前部が折り返されていない場合は 左の様に入ると言う事なのかだが
04-02 11:27

Check out HAIDATE w/Gold family Mark of YOROI (armor) : EDO : 20.1 × 21.3 " 1.22kg https://t.co/Xk0ccpJlZa こう言う位置に紋の入る佩楯は 戦国期には無いと言う事なのかだが
04-02 13:00

Check out SA567 Japanese Samurai Sword: Mumei Yari Project Blade https://t.co/M5gA5H7uTZ 前後に分割されている百足樋が 有ると言う事なのかだが
04-02 17:13

下のフィオーレ教本の技も 装甲が無ければ脇がやられる危険は無いのかだが 此れに対するには剣を素早く引くか 空いている手で挟み込みを阻止と言う方向なのかだが https://t.co/MRudlo7LTQ
04-02 18:20

下のフィオーレ教本の技も 2の時点で相手の手を掴んで 後方に回れなくして対抗と言う方向も有るのかだが https://t.co/hgELlS6MVC
04-02 19:04

https://t.co/1GXe1xWAWC >この中で戦の陣中に男装で帯同したと言われているのは、『阿茶の局』と『お梶の方』です。   https://t.co/leRmkdwPqQ >梶は関ヶ原の戦いおよび大坂の役にも男装して騎馬にて同行した。 と有るが 大阪陣で家康を守る為に戦闘迄はしていたのかだが
04-02 21:49

04/01のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/J6b2eA91I0 >馬には豹・虎・熊の皮の馬鎧を着せ、尻尾にも飾り物。   伊達軍騎馬武者の馬の尾の飾りと言うのは https://t.co/eTalK8B4Nn https://t.co/TM3sapq6Gn 左の飾馬に有る様な物なのかだが
04-01 10:50

https://t.co/zFczAnY8WD >四番隊は百本の朱塗りの槍を持った足軽。  此れは太刀打のみ赤いと言う事は無いのかだが
04-01 10:55

>いずれも朱塗の太刀は、こじり(刀剣の鞘の末端)が幅広く、櫂棒の形をし脇差の小刀は銀の熨斗附(のしづき/銀箔張り)の鞘で大小刀を腰に差し、   こう言う末端が広い鞘は https://t.co/5IOZpjktwN 左の毛利輝元の物とはやや異なるのかだが
04-01 10:59

https://t.co/5NrG6FM7cv 左の櫂棒の様な形で 鞘に段が有る可能性も有るのかだが こうした鞘の古い物は現存するのかだが
04-01 11:03

>馬は、馬の尻に付ける組紐の大総(おおふさ/何重にも色糸を集めてくくった飾り)に馬鎧は虎・豹・熊の皮や孔雀の尾で作っていたそうです。  毛や羽根の付いた馬鎧と同時に 厚総が装備されていた可能性も有るのかだが
04-01 11:09

キリスト歴もイスラム勢力等の反発も有り 人類共通的な歴では無いだろうが 西欧文明の衰退等に伴い 国際連盟や国際連合発足年を元年等とした 新しい人類共通の歴が作られる可能性は有るのかどうかだが
04-01 12:03

伊達政宗は熊毛の陣羽織を装備していたと有るが https://t.co/D7u86fJ27s 左の様な長い毛が有る物なのかだが 内部に輸入品の緞子等が貼られていた可能性は有るのかだが
04-01 13:08

https://t.co/4y4rfm7Uzz 左の様に袖の下端部に紋の有る陣羽織と言うのは 戦国期には有るのかどうかだが
04-01 13:15

https://t.co/rIZVehaGf8 この位置に家紋の有る陣羽織は 戦国期にも有ると言う事なのかだが
04-01 13:16

「②色々威し具足の脛当て」鎧兜甲冑当世具足武具骨董鉄地」 https://t.co/Qx3BrkLs24 見ない構造の脛当だが 戦国期には有るのかだが
04-01 14:12

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03/31のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/D9lAFYXepz 左のフィオーレ教本の裏刃での下段からの切り上げも https://t.co/xoYDtNZToF 左の動画では剣を跳ね上げる事は無い様だが パワー的にはこちらが現実的なのかだが 剣は一応干渉させて カウンターを行い難くしているのかだが
03-31 15:01

https://t.co/hbFEXisRn6 相手の剣を受けて此れが止まった瞬間に剣身を掴むと言うのは 日本でも有っただろうか
03-31 15:15

https://t.co/TQd7nVhkZr 襟に市松文等の定番的紋が入り 他の場所には別の紋が入る陣羽織も他に有るのかだが 戦国期の場合は襟外側に紋が入る例は 今の所見ないが
03-31 15:38

https://t.co/5GZoBq9A7P フルプレートを装備して重心が高く成っている相手が こんな蹴りは出すのかだが ゴシック鎧等の尖った爪先での攻撃を考える可能性も有るのかだが
03-31 15:59

板金の尖った脚先は下馬戦闘用では無いと言う意見も有るが https://t.co/BGWNe9jRjH 左の様なゴシック鎧の長い足先は兎も角 https://t.co/ayXz18RtuO 左程度の物なら下馬戦闘でも利用された可能性は有るのかだが
03-31 16:14

https://t.co/O6Xu0MYkIV 板金のバイザーを装備した相手では此れは有効なのかだが こうした事をした直後に 手で視界を塞ぐと言う様な方向も有るのかだが
03-31 16:28

https://t.co/nbHThCqnKB こう言う事を仕掛けられた場合は 自由と出来る右手を使って対処すると言う事なのかだが 相手の剣を掴んで阻止する事も可能な訳だろうか
03-31 16:43

https://t.co/1OXfZmj9r5 此れは後ろから剣を取られているから 下の方法では破れない技だろうが 右腕を取らせてでも 左だけで剣を持ち此れを素早く引くと言う様な方法も有るのかだが https://t.co/VzMROKm1Un
03-31 17:39

https://t.co/QoTizBLFgS 此れは右腕を早く引けば カウンターを掛け得ると言う事だろうか
03-31 19:14