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2018.11

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 2018年11月 

10/31のツイートまとめ 

boukenkyuu

https://t.co/LUnP0508Yk >鎖には漆を掛け錆びないようにしたものもある。これもそうだ。  日本の鎖も西欧の鎖と比べメンテは余り必要無いのかだが 貸具足や古い帽子兜の鎖は漆は有るのかだが
10-31 08:45

https://t.co/s5Y0yfxtkt 左は中下士用の具足と有るが こうした物にも鼻紙袋は装備されていたと言う事なのかだが 前立も恐らく大型の物が有ると言う記述も有るが
10-31 14:01

https://t.co/Q1PFuUoWmQ >「忍び」が確認できる最も古い史料は、南北朝時代の内乱について記した軍記物『太平記』巻第二十「八幡宮炎上の事」である。  太平記には畑時能の手勢以外にも 忍者的な兵が多数出て来る訳だろうか
10-31 15:22

>普通には入り込めないところに夜の雨風の音に紛れて、特に秀でた忍びの者が密かに忍び込み、石清水八幡宮の社殿に火をかけて敵を大混乱に陥れたことを記している。  太平記の忍者も畑時能以外も夜間攻撃が多く 雨迄利用していると言う事だろうか
10-31 15:31

https://t.co/Q1PFuUoWmQ >しかし、和田方には「夜打・強盗をして引き帰す時、立ちすぐり・居すぐり」という方法があり、これは決めておいた合言葉を言って、人々が同時にさっと座り、さっと立って、紛れ込んだ敵を選び出すための方法だという。
10-31 15:33

太平記時点でさえ こうした合言葉を確認する時点で紛れ込まない限りは 侵入は困難な例も多かったのかだが
10-31 15:36

https://t.co/fFXjP94zKd >室町時代から戦国時代までは、みんなが半分農業、半分忍者をしていました。そこからだんだんと忍びに長けた人、適した人が専門家となり、織豊期(しょくほうき)※4 には専業の忍者が生まれ、傭兵として雇われるようになりました。
10-31 15:44

太平記の畑時能だけでは無く 逸物の忍びと言うのは精鋭部隊であり 専業の忍者と言う可能性も有るのかだが
10-31 15:46

桃山期でも雑魚的忍者は確か多いだろうし 彼等は鎖等は果たして何処迄装備していたのかだが 忍者服さえ無い様な者も多いのかだが
10-31 15:48

応仁乱消息の足軽の様に 額当や脇引だけしか無い様な忍者或いは非装甲の者も 可也多かったのかだが 貸しの鎖帷子等が支給される例は有ったのかだが
10-31 15:50

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