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2007.03

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ヘブライ人はアジア系民族だった! 

http://dateiwao.fc2web.com/hebmong.htm
>だが、血統的な「スファラデェイ系ユダヤ
>人」といえども、「イスラエルの十士族」
>ではない。彼らは「バル・コクバの戦い」
>で、ローマ帝国に逆らい、紀元後136年に
>国を失い散らされた「ユダ王国(南朝)」
>の末裔である。「イスラエルの十士族」と
>は、「イスラエル王国(北朝)」にいたイ
>スラエル人のことで、モンゴロイド系が殆
>どであった。白人のユダヤ人というのは、
>混血でもないかぎり血統的に存在しないこ
>とになる。実際の「モーセ」、「アブラハ
>ム」「イエス・キリスト」等はアジア系有
>色人種なのである。これは日本人を含むモ
>ンゴロイド系民族が「イスラエルの十士
>族」の末裔の可能性を強く示唆している事
>実だ。

北朝の種族がセム系白人では無く
モンゴロイドで有ると言う証明は
有るのかだが
http://curry.2ch.net/occult/kako/1010/10100/1010010630.html
ミノア文明等もモンゴロイドの文明と言う
意見も有るだろうし
彼等と同種の種族なのかも
知れぬが


http://www.hokodo.com/sozai2/ayumi.htm
ギリシャ人が所謂
ナンバ歩きをして居たり
モーラ言語を使用して居たのは
モンゴロイドの文明の名残なのか
どうかだが


http://mentai.2ch.net/min/kako/989/989770047.html日本の母音はアイウエオ、シュメールの母音はアイウエ、他はほとんど十数音。
文法的にも膠着語で似ている。
言語学的に見ると全く関係の持たない地域ではほとんど考えられない事らしい。
(学習院大学名誉教授の意見)
(当然、学者によって考え方は違うだろうが)
その他、単語でも同じ音を持ち同じ意味を持つものが数十個分かっている。

日本の皇族とシュメールの王族の紋章は同じ十六菊

モンゴロイド特有の蒙古班がシュメールの血を引く南部イラク系民族にもある。
これは白人種・黒人種には見られない人種的特徴。

塩で清める風習とか家に入るとき靴をぬぐ風習は日本とイスラエルだけらしい。
同じ東アジアでも中国人と韓国人は西洋人と同じように土足のまま家に入る。

天狗はユダヤ人を模倣したもの。
高い赤鼻は外人と言う証拠、頭に付いてるやつはヒラクティリー


かつて西日本の縄文文明は世界最先進文明だったんだけど九州南部の
海底火山鬼界カルデラの大爆発で滅亡した。西日本縄文人もほぼ絶滅
したけど僅かな生き残りが海を渡って太平洋の小島や南米に達した。

上記が今日の歴史学の成果。だけど自然に考えれば朝鮮半島もしくは
中国大陸に向かい大部分は生き延びたはず。そのすぐ後メソポタミア
に最古の文明とされるシュメール文明が誕生。その担い手シュメール
人は系統不明の民族だがヒマラヤ方面から来たとの説が有力。彼らが
西日本縄文人だったのでは。イラク南部の人々に蒙古斑が見られるの
がその傍証といえる。一方、イスラエル人=シュメール人という説が
ある。10部族が日本に来たのならなぜ彼らが日本に向かったのか?
西日本縄文人=シュメール人=イスラエル人なら彼らは故地に帰った
ことになる。聖書では神がイスラエル人に与える約束の地は「お前た
ちの先祖が住んだ土地」であると書かれている。


インカの遺跡から採取されたインカ人の骨と縄文人のそれは遺伝的に
一致しておりインカ文明を築いたのは縄文人の子孫の可能性は高い。
これはトンデモ説ではなく、まともな学術研究。
したがって、シュメール文明を築いたのが縄文人の1派だったとして
も不思議はない。中国大陸西部で縄文式土器に酷似した土器が大量に
発見されたというニュースが以前あったが、縄文人は中国沿岸部から
揚子江を遡ってチベット方面に向かったのではないか。チベット・ヒ
マラヤ付近はむかし氷河に覆われていたが、温暖化で溶け出し地域に
危機をもたらした。シュメール神話や聖書の洪水伝説はその史実を基
にしたと考えられている。となると彼らはそこからも脱出しなければ
ならない。そしてメソポタミア方面に向かったんじゃないか。
シュメール人がヒマラヤ方面から来たのなら辻褄は合う。


縄文文化は初期はともかく西日本で大きく花開いたが、鬼界カルデラの
大爆発の後滅亡し、以後縄文文化の主役は東日本に移ったというのが定
説。ちゃんと調べなさい。
鬼界カルデラ爆発時、メソポタミアにも中国大陸にも文明といえるもの
は存在しなかった。


鬼界カルデラの爆発は紀元前5~6
000年ぐらいの出来事。当時、世
界四大文明はまだ生じてなかったよ
うですが、中国では稲作をしていた
と思われる遺跡が発掘されています。


今日の言語学では日本語の基盤は縄文
時代既に完成していたと考えられいる。そこで見逃せないのがシュメール語。
シュメール語は日本語と似た構造を持ち、発音も近い。最も注目すべきはシュメー
ル語にはドラヴィダ語からの借用語が異常に多い点である。こうなると縄文人の1
部がシュメール人になったという仮説が現実味を帯びてくる。


今地球上でユダヤ人と呼ばれ、キリスト教徒と対立してきた人々の9割
以上はアシュケナジーユダヤで本物かどうか疑わしい。本物とされるス
ファラディユダヤにも疑問符が付く。案外フェニキア人の子孫じゃない
か。だから、聖書の預言どうり失われた本物のご登場で奴らもおとなし
くなるのさ。


じゃあ根拠をあげようか。
聖書ではメシアが何処からやって来ると書かれているか知ってる?
今のイスラエルの地から見て「東」「日の出る所」「地の果て」「島々」
どう読んでも日本じゃないか。


バカヤロー!アブラハムがウル出身であることからして、イスラエルと
シュメール文化には関係があるはずだ。スメラ・ミコトの称号や国名の
共通性(シュメール人は自らの国を葦の主の地、日本人は豊葦原、葦原
の中つ国などと呼んだ。)は、イスラエル人がヤーヴェの神を捨てて、
シュメールに回帰したと考えられる。

ちなみにシャムル(戦う)・アイ(人)>侍って言うのが、日猶同祖論にあったけど、


仏典によれば、釈迦はシュメール人の子孫の可能性があるわけだが、一体シャカ族の人種はどうなのか?
一般には釈迦はアーリア人種と言われるが、たとえばシャカ族王家の人々の名称に漢字でいうと「飯」が
付けられているように、麦食のアーリアではなく、米食のモンゴロイド説も有力な説としてある。
一方、シュメール語の特質「膠着語」は基本的にウラルアルタイ語族、つまりモンゴロイド系言語の特色。
実際、メソポタミアに本来不自然なシュメール語は外部から持ち込まれたと考えられているし、当然その
担い手も遠方からやって来たと見なされている。というわけで、今だ不明なシュメール人の主力がモンゴ
ロイドだった可能性は十分あるし、時期的にみても鬼界カルデラ爆発後、実は絶滅していなかった西日本
の縄文人が日本を去り、あちらに向かった可能性も否定できないはずだ。


メシアは厳密に言うとイスラエル王国第2代王ダビデの血を引いていることが条件。だからエフライムだけが日本に来たなら、天皇家に
資格はない。ユダ2部族では後にイエスが現れ、キリスト教指導者達は、ユダヤ人に対してはエルサレム教団、非ユダヤ人に対してはキ
リスト教団が布教に当たった。イエスはエルサレム教団の指導者に失われたエフライムのもとへ行けと言っており、ユダ王家以下丸ごと
日本に向かった可能性がある。オレが怪しいと睨んでいるのは百済王家。百済王は「臣は高句麗と共に源が夫余に出づ」と言ったが、天
皇家同様ルーツ隠しだろう。そして、秦氏(=秦人?)らが2部族の民だ。蘇我氏は日本に本拠を移したユダ王家=百済王家だろう。蘇我
馬子の名自体キリスト復活を暗示している。仏教受容はイエスの指示によるルーツ隠しの一環だろう。隋書倭国伝によれば607年日本
の王タリシヒコが「日出づる処の天子、日没する処の天子に致す」の国書を送ったが、当時は女帝の推古で、この男性名は聖徳太子即位
の証明という説がある。それならなぜ隠すのか。逆に即位しなかった場合、太子が実在ならなぜ初の女帝を立てる必要があったのか。オ
レの推測では聖徳太子=蘇我馬子、2人の行動は一心同体だった。即位していたのは馬子で、その子蝦夷が墓を「陵」、孫の入鹿は自分
の家を「宮門」子を「王子」と称したことがそれを示唆している。ではなぜ皇族ではない蘇我氏が3代も即位できたのか。オレの考えで
はアブラハムはシュメール王家の人だが、モーゼの頃から預言者の民族指導の時代になった。その指名で王位に就いたのが初代・第2代
王サウルとダビデだ。だが第4代レハベアムに反旗を翻し、10部族はイエロベアムを擁立、多数派になったのは彼こそシュメール王家
の者だからだろう。天皇家はこの直系に違いない。しかし旧約聖書ではダビデの王座は永遠を約束されており、全部族統一の王もその子
孫。だからエフライムはそれを無視できず、暗殺をも駆使する蘇我氏を止められなかった。しかし反感は高まり大化の改新となった。だ
が蘇我馬子の業績は否定できず、聖徳太子という架空の人物のものとし、蘇我氏即位の事実は隠蔽され、当時は推古が天皇だったことに
した。では天皇家にダビデの血は流れていないのか?実は桓武天皇の母、高野新笠が百済王家の子孫。桓武が「百済王等は朕が外戚なり」
と言ったのはそのため。聖書の言うダビデの若枝とはこの事だろう。ダビデ直系が王位に就くのではなく血が注がれるという事。百済の
遺民の渡来で2部族も日本に来たのである。ホセア書第1章第11節に「ユダの人々とイスラエルの人々は共に集まり、ひとりの長を立
てて、その地からのぼってくる。」と記されている事からも12部族は一ヶ所にいるのである。エゼキエル書の預言「ひとりの王が彼ら
全体の王となり、彼らは重ねて2つの国民とならず、再び2つの国に分れない。」(第37章22節)は既に日本で成就しているのだ。
秦氏が建設し桓武が遷都した平安京は、イスラエルのラビ、グリンバーグによればエルサレムの漢訳。ソロモン神殿が再建されるシオン
の地とは京都のことだろう。


馬子は馬小屋で生れた子。蘇我は「我、蘇り。」つまり十字架にかけられたイエスの
復活を暗示。イエス同様、聖徳太子も馬小屋で生れ、厩戸皇子(うまやどのおうじ)と
呼ばれた伝説は有名。


さかのぼると350年頃、応神天皇に呼ばれ弓月王(秦15世)が天山山脈のホータンあたりから一族2万人
を引き連れ、百済まできたが新羅に邪魔されたので、任那まで葛城という武将に助けに
来てもらい亡命。ユーヅー(弓月王)たちはヤマトゥ(ヘブライ語?)に親秦政権が
樹立されたので再びきたとしたらしい。頭満王とか先陣が帰朝していたので。
ちなみに岡山の秦にはハシリュウの本家もあるし、ある神社の爺は始皇帝からの家系ズ
を公開して自慢している。始皇帝、オイラ信じてはないけどね、墓には百済系(新羅系もあり)
弓月王という表記が多いので、最近までそれを信じていたが、どうやら違うらしい
オイラの苗字はシルクロード入り口の地名で、半島出身じゃ伝承と違うからね(w


半島のことはよく知りませんが、
「後漢書東夷伝」では万里の長城の苦役にたえかねて中央アジアの
保護国から半島、日本に西域の民が集団で亡命
「魏誌東夷伝」では秦氏は背が高く、異国風の風俗で、身の回りを
清潔にしていたらしい。当時の中国、半島に風呂の習慣はない


オイラ思うに、秦氏が渡来系氏族だけでなく古代日本(国家成立期
以前)のなかで最大人口の氏族だったことは事実(雄略時代に推定
19万人)なのだから、たとえ、来朝伝説に後世の創作による部分が
あったとしてもそれは、同時期の漢氏一族も古来からの物部一族も
同様。むしろ王権力、国家形成との関係性が重要。
加藤兼吉という研究者は以下のようにいっている。
秦氏は、各種の移民系種族の集合体で、王権が族長任命権をもって
いた可能性大、族長シンボルのウズマサに天皇の命で、16階級飛び
で就任した者までいる。
他の氏族と異なる最大のポイントは、国造制、ミヤケ制の成立過程に王権直属の部族としてミツキの納府者として統括され、クラの役
職につき、その後の律令時代の大蔵省をになう経済官僚になる。
物部、蘇我のように軍事的、政治的権力抗争をしない。最大の組織
集団制をもつが、あくまで下級官吏が通常であり、全国的な殖産、
市場重視の国家機能を寡黙に果たす。
その内容は製塩、銅、水銀、鉱産資源開発、治水灌漑土木、都市開
発、農業経営、養蚕、美術、宗教、財政、等実務的領域全般。
注目すべきことは、太子一族との関連でも有名なように上宮家財務
の責任者であるだけでなく、古来、秦氏の子供たちからなる
小子部(少年近衛兵、呪術、鎮魂を職務)をもち、隼人たち
(大王近習、陵墓警護、朝義参加の習わしあり)を率いていた点。
なんとなく、天皇制国家の成立根幹の秘密が覗けたような...
いずれにせよ、天皇家と秦氏の関係は史実をみるだけでも、大変
興味深いと思われ


本州のDNAサンプルサーベイだと、アイヌ分類、琉球分類、
韓国分類、中国南部、北東部分類、ポリネシアン分類、そのいずれにも
はいらないグループシェアが26%
他にも東大のウイルスチェックで、本州東北部には白人コーカソイド
特有のウイルスをもつものが10%程度いるらしいよ
ユダヤについては初期移動神殿だった伊勢神宮の構造、警備方式、
儀式形態、使用されたランドマーク、紋章などが酷似
ユダヤ系中国人、アジア人もいるように、ユダヤ系 日本人がいな
かった証明など不可能。
そんな日ユ同祖派勝利宣言!のようなこといっていいの?
「ユダヤ系 日本人 =幽霊」の次元で大衆認知が成立するなら、
歴史学術的にはとんでも系だろうが、文化的、社会学的には勝利
だな(藁
日本国の見方が大衆レベルでかわるぜ、アイデンティテイクライシス!
日本の国際的地位は政治、経済的に飛躍的に向上するとおもわれ(W


大事な点が抜けてた。アブラハムの妻はシュメール人だが、母もシュメール人。
つまり、父の系譜がどうであれ、アブラハム自身にシュメールの血が流れている。
よって、彼を祖とするアラブ人、そして、マホメットにはシュメールの血が流れている。


ユダヤ神話の「エデンの園」「ノアの箱舟」「約束の地」などがシュメール神話の借用である事は有名。
「約束の地」という概念を共有している事はユダヤ人=シュメール人の根拠となる。シュメールは分裂し
ていたから、ユダヤ人になったのはその1派で、釈迦族などインド方面に向かった勢力もいただろう。
ドラヴィダ系とされるインダス文明もシュメール系だったのでは。実際にそういう説がある。「約束の地」
の思想を持っていた事は、ユダヤ人だけでなく、全シュメール人が最終的に日本に来たことを意味する。
最近のTBS系の「世界・ふしぎ発見!」で日本文化とインド南部のタミール文化の関係を取り上げていた。
弥生人を葬る時に使用した「甕棺」という土器は日本とタミールだけにあり中国や朝鮮半島にはない。
また、弥生式土器の様々な模様はタミールの土器の模様と完全に一致する。さらに、使途不明だった、特殊
な形の弥生式土器とまったく同じ形の土器の楽器がタミールにあり、その使途が判明した等。大野晋氏も
出演し、日本語とタミール語(ドラヴィダ系)の関係について説明していた。最近発見された長江文明は
解明が進んでいるが、タミール文化との関係が指摘されている。結局インド方面に向かったシュメール人も
最後は日本に来たのではないか。
>>111で漢字と聖書の関係が指摘されたが、それは「エデンの園」の話で、中国文明を築いたのもシュメール系
である事を意味するのではないか。歴史家アーノルド・トインビーは著書「ヘレニズム」で「シュメール、エジプト、
中国文字を考え出した者は、一握りの特権的な専門家であり、彼らは文字を独占した。」主張している。漢字の
基となった甲骨文字を作った殷族は外部からやってきた集団と見られている。中国のある歴史書には「漢字は東夷
が作った」と記されてあり、韓国人の中にはそれを根拠に漢字は韓国人が発明したと主張する人がいる。伝説上の
古朝鮮を開いたのは殷王朝の子孫と言う記述があることも根拠にしている。しかし、オレに言わせれば、東夷とは
日本の事だ。殷と同じ青銅器文化を持っていたと考えられる出雲王国が、半島を経由して日本に来た殷王朝の末裔
ではないか。殷王朝とまったく同じ、亀甲を用いる占卜の儀式が皇室にも受け継がれている。
つまり、あらゆる文明はシュメール人によってもたらされ、彼らは、かつて日本を去り、そして舞い戻ってきた縄文人
の子孫であり、それが弥生人なのではないか。身体的特徴についてだが、数千年間他地域で異なる生活をし、混血もし
たのだから変化もあるし、大体、一般的に考えられている縄文人は、発見された骨の数自体少ないし、弥生時代が始ま
る前まで日本に残った人々のことなんだから、遺伝的なデータもあてにならない。
推薦図書 「日本超古代王朝とシュメールの謎」岩田明(日本文芸社)


少しブレてきたので、弥生文化とタミール文化の関係について基本形を述べておく。
タミール人は黒人系なので弥生人のルーツがタミール人であるはずがない。つまり、
インドでタミール人と接触を持ち、彼らに文化的影響を及ぼした、又は及ぼされた
民族が弥生人の一部として日本に渡来した。それがシュメール人の一派だという事。
シュメール人が最初に分裂したのはメソポタミアにおいてと考えるのが基本。先の一派は
基本的にはメソポタミアからインドに向かい、その後日本へ。もちろん考古学の発展
次第では、スメルの地からいきなりメソポタミアとインダスに直接分裂した、或いは
インダスで分裂し、一派がメソポタミアに向かい、残った勢力はその後日本へ、もあり。
メソポタミアからエジプトに向かったシュメール人がエジプト文明に何らかの形で関
与し、その後ユダヤ人となった。中国文明を築いた殷族はインド方面のシュメール人
が、日本に来る前に中国に滞在し文明を残したか、別のシュメール人の一派。最終的
にすべてのシュメール人は日本に来たが、それは彼らが縄文人の子孫であるからで、
帰巣性のようなものだろう。


●万世一系の祭祀王たる天皇家とイスラエル王家の類似
神嘗祭、新嘗祭、大嘗祭など重要な皇室行事とユダヤ仮庵の祭りの酷似
●正月、餅、七草粥、御盆、盆踊り、出産、お七夜、婚儀...の類似
●天皇家の始祖といわれる「カム・ヤマト・イワレ・ビコ・スメラ・ミコト」
(古事記、日本書紀の公式名、諡、神武天皇、ニニギ)の撥音は意味不明、アイデルバーグの
ヘブル語的解釈では「サマリヤの王、ヤハウェのヘブル民族の高尚なる創設者」
●「ニニギとヤコブ」神話、「山幸彦とヨセフ」神話、「天皇家とエフライム族の家系図」の類似
●十氏族のひとつゼブルン族の紋章の「船」と秦氏の古代家紋「船」は類似
●日本の神官の祭事服にある「房」と古代イスラエル人の風習の「房」は同一
日本習字教育財団会長だった原田氏(故人)は秦氏の末裔で先祖はイスラエルと公言、
家には古来からの「房」があった
●森有礼(明治の文部大臣)は伊勢神宮の三種の神器のひとつ「八タ鏡」の裏面に
ヘブル語「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」
(I AM THAT I AMを意味する出エジプト記3-14の有名な言葉)をみたと主張。
そのレプリカは皇居の賢所にあるが、天皇さえみてはならない。他にこれをみたのは
戦後GHQ将校、青学の左近博士。(森有礼説を追認したという噂)
●昭和27年、ある夜ミハエルコーガン、三笠宮グループがこの真相を調査しようと盛り上がった
ところ、翌日同席していた東京イブニングニュースの支局長により同紙にスッパ抜き記事がでた。
調査されたかどうかは不明だが、海外でもこのニュースは話題となる。
その後、元海軍将校の矢野祐太郎が伊勢神宮宮司から密かに写生させてもらったいう模様のコピー
をトケイヤーが入手、神代文字、アラム文字、ヘブライ文字に似てはいるがなんとも判読しがたい
ものらしい。


●日ユの神社の基本構造、警備、交代方式は同一、偶像禁止、神官の祭事服、お祓い、
菊の紋章の同一性
●山伏のと金(額の黒い箱)とユダヤのテフィリン、法螺貝と角笛、意味不明の民謡のヘブライ読み、
お清めの塩、事前に体を洗う風呂の入り方、お辞儀の習慣、石の柱、穢れ、言霊思想
●お神輿と「契約の箱」(失われたアーク)、神主の白いリネン、お供えの餅と種無しパン(マツァ)
●皇室にある古代の織物にはイスラエルの神殿がかかれている、古い神社にあるお月見に使う
ラバに乗った天皇、駱駝、羊、羊飼いの絵(ユダヤ同様、旧暦8.15には仮庵をつくる)
●琉球の墓とユダヤの墓の同一性、ユダヤ過越の祭りと看過牛(魔よけ)の風習(島に多い)
●諏訪神社の「御頭祭」はイサク伝承と酷似、同じ撥音の「モリヤの神」(ヤハウェ)、ミサクチ
を祭る
●『古事記』には、日本の国造りが「伊邪那岐命」と「伊邪那美命」によって始められたことが描か
れている。「那」には「西方の異民族の国」という意味がある。また動詞として、「移動する」の
意味もある


京都の大酒神社はもとは大辟(おおさけ)神社と称され、祭神を秦始皇帝、
弓月王(ゆんずのきみ・ゴンユゥェワン)、秦酒公(はたのさけき
み)。秦始皇帝14世の孫、功満王(こうまんおう・ゴンマンワン)が中
国の兵乱を避けて来朝し、ここに勧請したのが始まり。この功満王の子とされる弓月王が
百済から(広隆寺伝)127県18、670余人を統率して渡海、その孫が酒公だと
される。(日本書紀)畿内で40万の人口と推測されている当時、これは5%にあたる。
この神社の門柱には「ウズマサ明神」をまつっていると書かれている。
ウズマサとは、「ウズ・マサ」イエス・メシヤを意味するアラム語イシュ・マシャからか?
もう一つの門柱には「機織管絃楽舞之祖神」ともある。
「大辟」つまりダビデ(ダビデの子であるイエス?)の漢訳
(中国ではダビデ大王を大闢(ダーピー)大主と表記)
ダビデは、竪琴の名人。雅楽・楽器は、ペルシャ楽舞に源流を見ることができ、
シルクロードを通って渡来。
●弓月王は中国の巨丹(新彊・ウイグル自治区のホータン)に生ま
れ、弓月国とは、敦煌よりさらにはるか西にある原始クリスチャン国。
陽関地方を含めた120県から一族を集めて、AD238年に大挙し
て日本に移住して来た。この地方に「弓月の君、百二十県の民を率い、
大挙して日本に渡来、移住す。」(史記)という記録が残されている。
●当時のシルクロードはユダヤ人、ペルシャ人が支配。
旅程6日ごとにシナゴーグが置かれていたともいわれる。
●兵庫県赤穂郡坂越町、大避神社(おおさけ)。天照大神、春日大神、大避大神をまつる
秦氏の祖霊を祀った古社。大避大神とは、「大辟」つまりダビデの漢訳
(秦河勝を祭神とする分祀は三十余社あった)
●秦河勝(はたのかわかつ)の所持した神楽面をご神体として小祠をたてた大避神社。
神楽面は正倉院の湖王面と近似、頭上に天使ケルビムの像が彫られている。河勝は雅楽の祖とも
いわれる。観世弥、世阿弥親子は秦河勝の直系子孫


●木嶋坐天照御魂神社
通称「蚕の社」とよばれている秦氏創建の神社。 以前には「景教徒・キリスト教・ネストリウス派の秦氏が・・・」と由緒書にあった。代々、秦氏系の神服氏が宮司を務める。(ユダのヘブル語発音は、エフダで訛って秦(ハダ)になったといわれる)
境内に清水がわき出す泉があり、「元糺の池」の中央に鳥居が立つ。
日本で数少ない三方が正面となっている「三柱鳥居」があることで有名、他に山口、東京の三井家
の神社も「三柱鳥居」(キリスト教三位一体を表わしているといわれる)。どの方向からも正面として池の中央にある御神体の「泉」を参拝できるように工夫されている。
古来「元糺の池」では禊ぎをしていたが、その後、秦氏関連の下鴨神社の「糺の池」にその習慣は
受け継がれ、平安時代には天皇家が土用の丑の日に禊ぎをしていた、現在の「御手洗祭り」。
天皇家の「葵祭り」で有名な上賀茂神社と下鴨神社は秦氏の縁戚神社のひとつ。
●ユダヤ、キリスト教の「洗礼(バプテマス)」と神道の禊ぎは類似しているが、イスラエルの
バプテマスの池と「元糺の池」、下鴨神社「糺の池」の階段建築構造も類似している。
●広隆寺
山城最古の寺院、別名「蜂岡寺」、秦公寺、葛野寺、太秦寺とも。
秦河勝が聖徳太子の命により(推古天皇11年603年)建てたもの。「南蛮寺」ともいわれていた。
江戸後期の儒学者:大田錦城は、この寺について「寺という名はついているが
仏教の寺ではない。景教の寺である。」といっている。国宝第一号で有名な
『ミロク菩薩』 があり、菩薩の指の形が、キリスト教三位一体を表わしている
ともいわれる。(西域の十字架を持つ景教僧侶の指の形と同じ)
●この寺の横には、万葉集にもでてくる『いさら井』 という井戸が今でもあり、
「イスラエルの井戸」「ヤコブの井戸」と指摘する学者もいる。昔は十数ケ所にあった。



●「牛祭」
京都右京区太秦、大酒神社(おおさけ)の牛祭は京都三奇
祭の一つ。かつては神社祭であったが、現在は、広隆寺が行っている。そのため、広
隆寺の「牛祭」と広く言われるようになってきている。十月十日(夜8:00頃)に
奇妙なお面をつけて牛に乗った摩多羅神がお出ましになる。赤鬼、青鬼、二人づつ先
導にして、広隆寺西門から出て行列をする。やがて、山門の前を通り、東門より境内
に戻る。薬師堂の前の祭壇を牛に乗ったまま三周したあと、祭壇に登り、赤鬼・青鬼
とともに祭文を読みはじめる。独特の節回しで長々と厄災退散を祈願する。その間
も、祭の世話役や見物人などから、やじが飛ぶ。最後に、祭壇から薬師堂の中に駆け
込んで終わりとなる。摩多羅神の祭りは、かつて「おどるもあり。はねるもあり。ひ
とえに百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)に異ならず。(太秦広隆寺祭文)」と言われ、
昔は、かなり乱痴気な祭と言われているが、今は整然とした儀式である。摩多羅神の
いでたちは白衣装束に紙をたらした冠をかぶり、その頭巾には北斗七星を載いてい
る。この奇相でおかしな摩多羅神、サンスクリットないし、インドの俗語であるとい
われるも、その語彙は特定できない。
●摩多羅神の語源諸説/ヘブル語でオシラー女神か?
摩多羅はシュメール・インド・中国秦山をへてやってきた牛母女神?
広隆寺では摩咤羅神の字が当てられ、「まだら」と読み下されている。
サンスクリットでは摩多(マーター)は母を意味し、羅
(ラ)は火、ないし太陽を意味する。「母なる太陽」アマテラスの意味にもなる。
*摩多羅神が読み上げる祭文は叡山の高僧・恵心僧都(えしんそうず)の作とされる。
そもそも牛祭の 由来は、恵心僧都が900年前に念仏守護の神として勧請して、国家安全、五穀豊穣、魔障退散のご祈祷法会を行ったのが起りとされる。
http://home10.highway.ne.jp/ikko/Japanese/Frame_N_J.html



>ユダヤの神殿~どこが似てるの?
神殿の幕屋構造
日本の神社~鳥居、手洗所、拝殿と階段でつながった本殿(祭司のみ特別にはいれる)
古代イスラエル~門、手洗所、聖所と階段でつながった至聖所(同様)
双方とも拝殿は一段高いところに設置、神殿自体も山に建造されることが多い
> なんで突然山伏が(笑。
山伏のと金(額の黒い箱)とテフィリンの異様な恰好は日ユにしかみられない。
ちなみに山伏、山岳信仰の始祖おしらねさんは秦氏、手、胸に「トーラー」と類似した「とらの巻」
をもち双方、山の神から授かる形式も同じ
 >ユダヤ人の風呂の習慣は知らないですがその程度で同祖といわれても。
だから同祖とは断言してないでしょう、影響されている、風呂に入る前に体を洗うのは珍しい

 >お辞儀の習慣は古代中国にあるし、ユダヤに近いところではエティオピアにあります。
どちらも影響されてる、ていうかエティオピアのはもろユダヤ人でしょう、90年代以降
エルサレム帰郷運動してますし
 >石の柱、
日本神話では神を数える時に1人2人でなく「柱」で数える、まあストーンサークルだが、
石の柱は日ユでは「依代」としてお神酒をかけ御神体として祭っている


>穢れってのはよくわからない。
日本神道では榊を左右にふってお祓いをする、ユダヤもヒソプという植物でほぼ同じ動作をする
「死者の穢れ」の観念とか、女性の月経期間、「月経小屋」に別居させ終わると自然の水で身を浄める。(エチオピアのユダヤ人は今もそうしてる)出産も同じで明治以前、田舎では古事記にもでて
くる「産屋」にこもって、静養期間を十分とり、忌みの期間が終わると初宮参りにいった。日ユ似ている。お祓いや御浄めの塩~
>>50の北インドのシムラーやネパールで見ました、ていうやつ
それもユダヤの影響でしょ。チベット、カシミール、カナン、ミャンマーにはユダヤ系種族がいて
アフガンのパタン人なんか当然イスラムだけどモーゼの律法や系統図を今ももってて、今は皮肉な
状況だけどね。カシミールとかは、中世にはユダヤ人しか外部からは出入り禁止だった。
青森と同じくイエスの墓だってちゃんとあるらしいしさ(W

 >そもそもユダヤにおける言霊思想であるカバラは紀元後の誕生です(カバラは言霊だけじゃないが)。
ペルシャ、ユダヤ系(大半はその文化的影響をもった他の民族)は波状的に渡来してきてるだろうが、
重要なのは、三輪王朝崩壊以降の3~4世紀の最新武器をもったニューウエイブ渡来人
 >>皇室にある古代の織物にはイスラエルの神殿が
 >なんていう織物?
それは宮内庁にきいてくれ、情報公開がなされていないから、トンデモ論になってるわけだが、、
祇園祭りの山鉾巡行(当日7.17は聖書のノアの運ぶねのアララト山漂着日)に聖書をモチーフにした
ペルシャじゅうたんがなぜ使用されるのかも、ついでに神社庁にきいてくれ(W
ちなみに祇園祭りで重要な7.1と7.10も「ラッパの祭り」として聖書に由来してるし、伝染病予防目的
というソロモン王の時代の祭りと似ている
>いきなり琉球に飛ぶか(笑。どういう風に似てるんですか?
おいおい、琉球は紀元前1~2世紀にはユダヤ人街があったという開封に近いよ(W
南西諸島では牛、豚(牛使用の禁止令があった)の血をユ同様家の門口に塗り災いを過ぎ越す「看過」
という風習がある。ユの羊の代用?「過越の祭り」は出エジプトに由来する
日本でいうなら「過越の祭り」の旧暦の正月、伊勢神宮、祇園神社周辺でやる「蘇民将来子孫門」
の門符のようなもの(昔蘇民将来がスサノオノミコトをとめた故事から)伊勢近くにはアブラヒ神社
ていうとこもある
 > >諏訪神社の「御頭祭」はイサク伝承と酷似
 > 伝承が似てるのはよくあること。なお、ミサクチ(ミシャグジ)って蛇の神様なんですが。
出雲でしょ、混じるんだよ、特に諏訪神社は負けたほうだから


>もっとも古い記述のある「古事記」には秦の末裔や弓月君の記述がない。
その「古事記」編纂の時代には秦氏主流派の河勝系統が山城を放逐されていた時だからでしょ
多分、そういうのは他の部族も同様だから、改ざん焚書..でも政治中枢にいない時代も天皇家と
直結した最大勢力(ていうか国体機構構築の当事者)であったことにはかわり無い
8世紀の福岡あたりでは人口の85%が秦氏...
>神楽面、ケルビムどんなものか見せて欲しいですね。
有翼の天使...坂越の大避神社にどうぞ、立ち読みした秦関連本には写真のっていた

>さっきゼブルンって言ってなかった?
そう、諸説あるというか、秦氏自体が混合渡来人であれば、エフライム、ゼブルン族、いろいろ
いたでしょうし、その自覚がどこまで強かったか..おそらくせいぜい出自はペルシャ系中国人、
多くは秦韓、弁韓人、新羅という認識だったでしょう。しかも渡来は3~8世紀にもまたがっている

>ユダヤなのかキリストなのか、天皇家なのか秦氏なのか。証拠どうしで矛盾しています。
初期渡来系は宗教的には、核はユダヤ系原始クリスチャン、ただし、仏教、道教とかいろいろ
まじってる。人種はけっこうばらばらで秦末裔という華僑的結束だけで、後世、仏教、景教ペルシャ
らの影響もうけて、ますます混合(W、先住者や支流で抗争もあっただろうし、現地化するし。
天皇家と秦氏の関係は微妙...

>>広隆寺の『ミロク菩薩』。菩薩の指の形が、キリスト教三位一体を表わしている
>仏像の手の形って多種多様ですからね。どれかが十字架を持っている手に似てても偶然でしかあり
ません。
あの指の形は景教のシンボルとききましたが、スタイン卿が1908年に敦煌で発見し、
大英博物館のロバートマクレバーが修復した景教大主教の壁画と同じです

>そういわれても。井戸以外になにかある?
万葉集に「昔はいわれがあったらしいが、いまとなってはさっぱりわからん」と歌われてるぐらい
だから、『いさら井』 には意味があったのでしょう、遊牧の民には井戸は命の源、重要でしょう



●2~3世紀頃
弓月国(シルクロードほぼ中央、他に数十ヶ国乱立)東洋で最初の原始キリスト教国(エルサレム教団系)に
日本では卑弥呼の邪馬台国から三輪王朝の時代、やがて大乱、ニニギ(神武天皇)の東征?初期大和朝廷へ

●300年頃、秦氏の半島登場?
*>>399(百済王家は辰王家。辰韓の所伝では、中国から秦人が逃げてきたので、馬韓が東方の地を割いて与えた
辰韓は秦韓と表記されていた。辰王は秦王)
秦氏が亡命する前後の中国大陸は、北側をチベット系の前秦のフケンが統治し、ペルシャ系、ツングース系
とか辺境多民族が混在する五湖十六国時代。同時にこの頃の中国は、すでに書聖王義之らが活躍する中世的オタク文化時代
---「後漢書東夷伝」では万里の長城の苦役にたえかねて中央アジアの 保護国から半島、日本に西域の民が集団で亡命
「魏誌東夷伝」では秦氏は背が高く、異国風の風俗で、身の回りを清潔にしていたらしい。

●350年頃(一説には220年頃)
応神天皇に呼ばれ弓月王(秦15世)が天山山脈のホータンあたりから一族120県を引き連れ、百済まできたが
新羅に邪魔されたので、任那まで葛城将軍(隼人系)他に助けに来てもらい渡来開始。頭満王とか先陣が帰朝(日本書紀)
*但し、実際は新羅系の瓦などが大量入植した秦氏根拠地からでるので、書紀記述は当時の政治的配慮で虚偽がある
(同盟の百済系というしかなかった。先祖が始皇帝というのも、同じ渡来人系の霊帝末裔を名乗る漢氏への対抗から)

●秦氏以降、応神、仁徳稜など前方後円墳が急に巨大化(最近半島でもやっと前方後円墳が見つかり始めた)
雄略天皇の時代に秦氏19万人、渡来系氏族だけでなく古代日本のなかで最大人口の氏族だった
秦氏は、各種の移民系種族の集合体で、王権が族長ウズマサ任命権をもって いた可能性大
他の氏族と異なる最大のポイントは、国造制、ミヤケ制の成立過程に王権直属の部族としてミツキの納府者として統括
され、クラの役職につき、その後の律令時代の大蔵省をになう経済官僚になる。
地方に入植した一族が土豪と融合したり、地元民を秦部に編成し、天皇制国家の成立根幹に関与?
古代には、物部、蘇我のように軍事的、政治的権力抗争をしない。
最大の組織 集団制をもつ、全国的な殖産、 市場重視の国家機能を寡黙に果たす。
製塩、銅、水銀、鉱産資源開発、治水灌漑土木、都市開 発、農業経営、養蚕、美術、宗教、財政、等実務的領域全般。
注目すべきことは、太子一族との関連でも有名なように上宮家財務 の責任者であるだけでなく、古来、秦氏の子供たち
からなる小子部(少年近衛兵、呪術、鎮魂を職務)をもち、隼人たち(大王近習、陵墓警護、朝義参加の習わしあり)を
率いていた点。


6世紀
●ウズマサ秦河勝、聖徳太子を補佐、上宮家財務の責任者、最初の遣随使の返礼で
隋書倭国伝「瀬戸内海沿岸に秦王国という中国語を話す人々からなる 地域(吉備)、さらに都はまさしく
秦そのもの(山城)のようだ」という記述あり
*ちなみに >>549
 >>秦氏=非漢族系他民族渡来集団
 >まず、このように断定(推測)できる理由がわかりません。どうして?
中華思想の漢族が、自らを秦氏だというはずがない。秦には西域、流浪とかの意味がある
8世紀まで大量移民してくる秦氏のなかに福音をもつ氏族がいてもおかしくないし、
当時の国際語だったアラム語、ヘブル語(イエスもアラム語を使用)が、漢字と同時期に大和朝廷に外交国際語として
流入していておかしくはないが...
蘇我の朝廷図書焚書事件で、表面的には消滅?

●784年
桓武(母方は百済系)+藤原種継(母方は秦氏)の計画で秦氏根拠地の山背(京都)に長岡京遷都、
その後種継は天武系シンパから暗殺されるが、藤原一族はこれを天武系
シンパ抹消に利用、保守派の万葉集の大伴家一族らも殺りく、天武系からもとの天智系に完全に戻す
(天武は天智と兄弟でなかった説がある、これで万世一系を再び確保?)
794 年、さらに秦氏に近い和気清麿(吉備の美作)らによる平安京遷都を強行、秦氏全国から人夫、資金提供

桓武+秦氏+和気清麿+藤原が1000年続く京都をつくる
秦氏については、伊勢神宮、八幡神社、お稲荷さん、山岳信仰、とか古い出雲系神社以外の多くの社建立に
関与、京都の開墾者として天皇家とも縁の深い松尾、上下賀茂神社、景教伝説のある広隆寺などを建立

そういう背景から、もっと中央の学者はまじめに秦氏を研究すべき
功績の割に評価も低いし、実態が見えてこないので、トンデモ説(上記もそうかもしれないがW)がはびこる

幕末に再び、秦氏系の幕府要人(勝海舟ら)、勤王土佐(長曽我部系の庄屋同盟、後の勤王党、海援隊、陸援隊)
隼人(秦人説もあり)末裔薩摩、渡来系長州らが盛り上がっているのも面白いしね
庄屋同盟では決起文に、「秦臣下」と書いていたはず...



訂正。「ユダヤ人と日本人の秘密」は「大和民族はユダヤ人だった」から引用し、
ヤマトタケルがクマソを討つ話とエホデがケモシを討つ話が類似していると指摘。
さらに、ヤマトタケルが活躍した伊吹の山はヤボクの山、死んだ能煩の荒野は
ネボの荒野と関連、いずれもケモシ人の国にあった、と書いている。つまり、
エホデがそれらの地で活躍し、死んだとは書いていない。
ただ、ヤボクの山というのがあるのかどうか判らない。もしかしたら、引用間違い
かも知れない。

少し調べただけで聖書と日本神話の類似点は他に見つかる。
「聖書と日本:日本神話と聖書記事2」
http://www.geocities.com/Heartland/Lane/7662/nihon/shinwa_2.htm
TOPページに戻って、「・・・・・・・・・聖書記事1」も読んでね。



>>774
日本神話の内容がそこまで聖書と一致していれば偶然であるはずがない。
他にも聖書と一致する内容はある。
明らかに、「記・紀」は聖書を参照しながら書かれてある。
問題なのは、論語が百済から伝わった事は史実として残り、文献としても残っている
のに、なぜ聖書の場合は残らなかったのか。日本に聖書が存在した事実が隠蔽された
からだろう。ユダヤの痕跡をほのめかしながら、消し去るためだ。
「・・・・・聖書記事1」で重要なのは、神武天皇がエフライムの流れに対応して
いる点だ。これは天皇家が失われた10部族の王室の流れを汲むことの証明だ。
天皇(スメラ・ミコト)の皇位継承の証、3種の神器は恐らくシュメール(スメル)
王の王位継承の証だろう。かつてユダヤがイスラエル10部族とユダ2部族に
分裂し、それぞれが王を擁立していた時代、この3種の神器はイスラエル10部族の
王室が所有していたはずだ。それは、シュメール王家の王位が、たぶんシュメール王
だったアブラハムの子孫の内、エフライムの血統に継承されていた事を物語っている。


>>777
エフライムは10部族中最有力部族でイスラエル王国の主導権を握っていた。
初代王はエフライム出身。その後、血生臭い抗争でイスラエル王国の王朝は何度も
交代したが、最終的にはエフライムのもとに帰し、天皇家に繋がっているはずだ。
なお、エフライムは1部族名であるが、イスラエル王国、失われた10部族全体の
代名詞でもある。
>>778
>レビ族も2つに分かれ、
昔そう読んだ記憶があるが、他の本を読んだらレビ族はユダ王国の側に付いたと
書いてあった。そこら辺のところは、オレも知識がいい加減。
いずれにせよ、レビ族は12部族の1つにはカウントされない。


う~ん、そうかな?
おれは昔の景教/原始キリスト教(ユダヤ教)論の佐伯博士、騎馬説の江上
博士、ユダヤ論者のトケイヤー、ケンジョゼフなどのトンデモ系と称される
ひとたちと、地味な秦氏研究者の平野早大教授、加藤成蹊大講師らの実証研究を加え、実家の
吉備秦廃寺や一族伝承の実話をつないでみせただけで、ここのスレのなかでは
すこぶる良心的容認派なんだがな...(W

庭からでてくる秦廃寺(岡山県下最古の大規模寺、五条の都市構造もあり、
多分発掘されればすごいと思うが、礎石からみて法隆寺並み)の吉備式瓦を
通販で売ってもいいぐらいだよ(W
1万年前のプラント・オパール(縄文水田)も国内最古のたたら跡もすぐそばだし...
キムタルスも「ヤマトより古く奥が深すぎてみえない」て言ってるらしいしね(W

いっとくが、前にもだしたが秦氏は新羅系だとか百済系だとかいうレベルの
渡来集団ではなく、何百年にも渡り何波にもわかれ渡来してきた複合異民族
集団で古代最大の氏族人口と天皇制度を根幹から支えてきており、それゆえ
彼等のシルクロード(ユダヤ含む)文化は重要だという意見ですからね


「彼の楽土」って「約束の地」を彷彿させるな。
秦氏の祖とされる秦の始皇帝は、名は忘れたが欧州の歴史家の中にもユダヤ人説を
唱える人がいるようだ。ユダ王家→始皇帝→百済辰王→蘇我氏という系図が成立する
かもしれない。百済の辰朝が、本当に三韓を支配した馬韓の辰王家の子孫かどうかは、
歴史学会で議論があるようだが、馬韓の辰王家は中国式の高度な行政組織を持ち、
騎馬民族であった可能性には疑問符が付けられている。
始皇帝は日本に徐福を送ったが、不老不死の妙薬を求めたというのは表向きの口実に
すぎず、他に目的があったのでは。秦氏もまず半島から日本に使いを送り、その民の
日本への受け入れと、そのために必要な施策を大和朝廷に要請した。


>「彼の楽土」って「約束の地」を彷彿させるな。

たしかに、東への憧れ、「約束の地へいく」という表現は古事記、日本書紀の神武東征伐にも
でてくる
今月奈良で5世紀の渡来人居住地から騎馬系のオンドル式住居が発掘されたらしいが、秦氏は
どうみても騎馬系。彼等が来てから巨大化する応神 、仁徳天皇綾をみてもその土木技術は半端
じゃない。天皇家との関係も深いと言うか同族のようなつながりを感じる。
徐福伝説ではないが、秦氏は卑弥呼以前から先陣は帰朝していたのではないかという説も有る。
もし3000人規模の徐福部隊が一度に九州あたりに上陸していたなら、言語、文化、風習への
影響は絶大だったはずなのに、やはり定住はしていなかった?
それとも東征し、ヤマトで同化し、三輪王朝につながる王朝を開いていた?


蘇我=太子説は、その後の藤原家の台頭を考えるとあり得る。
「蘇我=悪者」「太子=聖人君主」というイメージ操作で、蘇我+太子が編纂したといわれる
「国書」?「天皇記」?も焚書させてるし、古事記、日本書紀では古代はみえてこない
蘇我=太子の分離イメージ工作は、12階制度で異常な昇進をした秦河勝(当時の一族の長、ウズマサ)を同時期に朝廷から追い出した、秦氏一族内部の内紛でもあったのかも。
秦氏自体は藤原家にも代々血族をいれ、その後長岡京、平安京を造営している。(山背のウズマサ本家敷地が後の平安京の宮殿となる)

よく聖徳太子の母親の間人媛?がペルシャ系だという話があるけど
気になる。前にNHKがやった 聖徳太子シリーズで 亡き太子を
偲んで蘇我馬子の娘でもある妻が国宝の「天寿国繍帳」?を
秦クマ?(なんか入試にでてたような、懐かしい)に作らせた
らしいけど、その再現CGをみたら天寿国=天国だね

悲劇のプリンス山背皇子も名前からして明らかに秦一族がバックアップ
してるぞていうかんじ。確か桓武天皇も幼少期は母の実家の山背で育成されていたはず


NHK「日本人はるかなる旅5」では、弥生人は台湾沿岸付近、
揚子江下流域付近、北京付近の3大ルーツを持ち、朝鮮半島も含めて
4つのルーツを持つ。(朝鮮からは大して多くないイメージを抱いた)
シュメール人がメソポタミア方面、インド方面、中国方面に大別される
なら、とりあえず数は合う。
中国方面(殷族)は北京付近、メソポタミア方面(エフライム)は揚子江下流域付近、
インド方面(インダスの担い手)は台湾沿岸付近から日本に渡来し、ユダ2部族は
朝鮮半島から。半島ルートは弥生時代じゃなくて、古墳時代のことだろう。
むかし、何かの本で「3種の神器」の組み合わせの出土品が揚子江下流域
からも多数発見されているという内容を読んだ。あの付近に「倭」という国がある
という記述が中国の歴史書にあり、「倭人」の歴史はそこから始まったのではないか。
釈迦族も後から日本に来たのなら、台湾沿岸ルートに重なるんじゃないか。

>>811
訂正しとくよ。朝鮮ルートは古墳時代(というより大和時代以降)としたが、
同時代の骨を比較したんだから違うな。殷族が来たルートも再考の必要あり。
半島経由のはずだからな。
数がずれてくるが、シュメール人の候補は他にもいるわけだし、とにかく
いわんとするところは、わかってもらえると思う。


「日本人はるかな旅2」でやってたけど、南方系縄文人は既に縄文時代、それも、
7500年前に弥生式土器と全く同じ外見の壷型土器とかを作っていたんだってね。
彼らが鬼界カルデラ爆発後日本を去り、数千年の時を経て弥生人として帰郷したと
考えれば、弥生式土器の製造技術を持っているのは当然といえる。
日経新聞(12月25日)の社会面に「日本人の『短頭化』止まる?」という記事
があり(産業技術総合研究所デジタルヒューマン研究ラボによる)、鎌倉・室町時代
から続いてきた原因不明の頭形の短頭化が止まり、今後は欧米人のように長頭化して
いく可能性もあるという研究結果を発表した。
同じ場所に住んでいてもわずか数百年で頭の形も変化するということだ。
ましてや数千年異なる風土で異なる暮らしをすれば、変化はもっと早いだろう。
縄文人と弥生人の比較は、もっぱら骨の形を比べているだけのようだ。縄文人の
DNAは残存していないんじゃないか。しかも、南方系縄文人は、沖縄で発見され
た港川人の骨だけで語られているようだ。「第1号人骨」と表示してあったから
数体あるのかもしれないが。
これでは縄文人と弥生人の遺伝的な差異は完全には確認できてないだろう。


最近、天皇の「ゆかり発言」が話題になっているが、そんなのは>>349で既に指摘
しておいた事実だ。あれはもう9月4日のレスだからな。
いかにオレ様に先見の明があるかの証明といえる。
男系による万世一系の皇統の危機といい、最近、天皇の血筋がクローズアップされて
きているな。こうしている間にも継体天皇陵の発掘は着々と進行している。
しかも継体は、皇統がいかなるものであるかを知る上でキーマンの一人だ。
陵墓指定から外れているから発掘可能となったが、それ自体古代の為政者が、
来るべき時期に発掘されるように仕掛けをしておいたんだろう。ここから何か出れば、
イスラエル政府が共同調査を申し入れて来たり、一気に全天皇陵発掘へと向かうだろう。


日本の能や雅楽も元をたどれば、
インド南部→ネパール→チベット→中国→半島→日本
というふうに伝播したとNこのまえNHKでやった。
極端に言えば日本はシュメール文化の終着点なのか。


石渡は、天武天皇とは天智の異母兄・古人皇子だと考えているようだが、
これはなかなか説得力がある。
http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/032.htm
古人の母は蘇我馬子の娘・法提郎媛だから、天武=古人なら壬申の乱は
うまく説明が付く。
ユダ王家=百済王家=蘇我氏で、蘇我氏がユダ王家の本宗家、百済王家は
分家なら、ダビデの血統が12部族統合の王になるように蘇我氏が天皇に
即位したが、大化の改新で劇的な失敗に終わったため、次善の策として
蘇我氏の血を引く天武を擁立して巻き返した、それが壬申の乱と考えられる。
しかし、蘇我氏即位と共に天武=古人の事実が隠蔽されているということは、
大和朝廷の前身・邪馬台国で男王を立てたが国中が収まらなかったので
卑弥呼や台与を立てたのと同じように、天武系ではうまくいかなかったのでは
ないか。天武系の血が絶えたというのが本当かどうかはともかく、天智系に
戻って光仁天皇が即位した。その皇后が井上内親王、皇太子が他戸親王。
更に側室に高野新笠がいた。井上皇后は天武のひ孫だから蘇我氏の血が流れて
いる。つまりユダとエフライム統合と同時に天武と天智の統合ができるのに
光仁を呪いをかけた嫌疑で追放・処刑され、百済王家の血統の高野の子・桓武
が即位した。それすらも反対が強かった。これは、ユダ王家の血を入れる必要
があるが、とりわけ本宗家・蘇我氏の血では収まらないので分家の高野の血が
入った桓武を即位させたということではないか。平安遷都は統合完了の象徴。



主に西日本の縄文人の居住地や遺跡から発見されるペトログラフ(ペトログリフ)は、
楔形文字(シュメール文字の完成型)の源流であるシュメール古拙文字らしい。
この分野はIFRAO(国際岩刻画学会連合)を中心に世界の一流学者、研究者が
取り組んでいる。ハーバード大などの欧米の学者も「日本にあるのは明らかに
シュメール古拙文字やシュメール文字で彫られたペトログラフに間違いない」と
みなしている。
彦島で発見されたペトログラフは、6500年以上前の製作と確認されており、
米国碑文学会では、シュメール古拙文字と同定している。
平成2年、カナダ国際考古学会で他分野の専門学者が成果を突き合わせ、
6500年前には、ユーラシア大陸を中心に、世界的規模で人類の移動があったと
結論付けた。


●BC2000頃
ヘブライ族の古バビロニア王国成立
その後、モーゼによる出エジプト(エクソダス)、約束の土地カナン、今のパレスチナへ
ダビデ、ソロモン王のイスラエル王国時代(12支族、エルサレム神殿)
●BC931 南北に分裂
●BC722
北イスラエル王国、アッシリアに捕囚(その後戻らず、消えた10支族、サマリア人として広く
ユーフラテス大陸全般に拡散?一部東進?)
●BC586
南ユダ王国、新バビロニア王国によるバビロン捕囚
アケメネス朝ペルシャによって解放、帰郷(一部戻らず、東進?)
ユダヤ教徒=ユダヤ人誕生、旧約聖書成立 ヘブライ、アラム語
●BC2世紀頃
古代のシルクロードのユダヤ系支配、中東、ペルシャ出身者の東進、華僑との交流
~インド、開封あたりにまでユダヤ街を建設
●1世紀頃
イエス誕生、ユダヤ教の復古主義(反パリサイ派、反律法派、神秘主義カバラ)として弾圧、処刑
イスラエル、ローマに対して蜂起、敗北
イエス直系のエルサレム教団(12使徒トマスら、原始ユダヤキリスト教、セム系スファラディ)
シリア(大秦)ペルシャ方面に拡散、後の東方教会に影響。ヘブライ、アラム語
特にトマスはアッシリア、アルメニアを教国化した後、インド(一説にはチベット、中国まで)で
原始ユダヤキリスト教として布教。(後漢の光武帝に侵入したチベット族はイエス伝説を残してる)
同時に12使徒パウロのアンパティオ教団の中から非ユダヤ人への布教活動が開始、弾圧されつつも
西方ローマ支配地に拡散、後のローマ教会につながる *新約聖書成立コイネーギリシャ語
やがてエルサレム教団はヨルダン川東のギリシア人系都市ペラを最後に消えていく(シルクロード東進?)


●2~3世紀頃
弓月国(シルクロードほぼ中央、他に数十ヶ国乱立)東洋で最初の原始キリスト教国(エルサレム教団系)に
日本では卑弥呼の邪馬台国から三輪王朝の時代、やがて大乱、ニニギ(神武天皇)の東征?初期大和朝廷へ

●300年頃、秦氏の半島登場?
*>>399(百済王家は辰王家。辰韓の所伝では、中国から秦人が逃げてきたので、馬韓が東方の地を割いて与えた
辰韓は秦韓と表記されていた。辰王は秦王)
秦氏が亡命する前後の中国大陸は、北側をチベット系の前秦のフケンが統治し、ペルシャ系、ツングース系
とか辺境多民族が混在する五湖十六国時代。同時にこの頃の中国は、すでに書聖王義之らが活躍する中世的オタク文化時代
---「後漢書東夷伝」では万里の長城の苦役にたえかねて中央アジアの 保護国から半島、日本に西域の民が集団で亡命
「魏誌東夷伝」では秦氏は背が高く、異国風の風俗で、身の回りを清潔にしていたらしい。

●350年頃(一説には220年頃)
応神天皇に呼ばれ弓月王(秦15世)が天山山脈のホータンあたりから一族120県を引き連れ、百済まできたが
新羅に邪魔されたので、任那まで葛城将軍(隼人系)他に助けに来てもらい渡来開始。頭満王とか先陣が帰朝(日本書紀)
*但し、実際は新羅系の瓦などが大量入植した秦氏根拠地からでるので、書紀記述は当時の政治的配慮で虚偽がある
(同盟の百済系というしかなかった。先祖が始皇帝というのも、同じ渡来人系の霊帝末裔を名乗る漢氏への対抗から)

●秦氏以降、応神、仁徳稜など前方後円墳が急に巨大化(最近半島でもやっと前方後円墳が見つかり始めた)
雄略天皇の時代に秦氏19万人、渡来系氏族だけでなく古代日本のなかで最大人口の氏族だった
秦氏は、各種の移民系種族の集合体で、王権が族長ウズマサ任命権をもって いた可能性大
他の氏族と異なる最大のポイントは、国造制、ミヤケ制の成立過程に王権直属の部族としてミツキの納府者として統括
され、クラの役職につき、その後の律令時代の大蔵省をになう経済官僚になる。
地方に入植した一族が土豪と融合したり、地元民を秦部に編成し、天皇制国家の成立根幹に関与?
古代には、物部、蘇我のように軍事的、政治的権力抗争をしない。
最大の組織 集団制をもつ、全国的な殖産、 市場重視の国家機能を寡黙に果たす。
製塩、銅、水銀、鉱産資源開発、治水灌漑土木、都市開 発、農業経営、養蚕、美術、宗教、財政、等実務的領域全般。
注目すべきことは、太子一族との関連でも有名なように上宮家財務 の責任者であるだけでなく、古来、秦氏の子供たち
からなる小子部(少年近衛兵、呪術、鎮魂を職務)をもち、隼人たち(大王近習、陵墓警護、朝義参加の習わしあり)を
率いていた点。


:ハダ :01/09/27 07:04
6世紀
●ウズマサ秦河勝、聖徳太子を補佐、上宮家財務の責任者、最初の遣随使の返礼で
隋書倭国伝「瀬戸内海沿岸に秦王国という中国語を話す人々からなる 地域(吉備)、さらに都はまさしく
秦そのもの(山城)のようだ」という記述あり
*ちなみに >>549
 >>秦氏=非漢族系他民族渡来集団
 >まず、このように断定(推測)できる理由がわかりません。どうして?
中華思想の漢族が、自らを秦氏だというはずがない。秦には西域、流浪とかの意味がある
8世紀まで大量移民してくる秦氏のなかに福音をもつ氏族がいてもおかしくないし、
当時の国際語だったアラム語、ヘブル語(イエスもアラム語を使用)が、漢字と同時期に大和朝廷に外交国際語として
流入していておかしくはないが...
蘇我の朝廷図書焚書事件で、表面的には消滅?


●784年
桓武(母方は百済系)+藤原種継(母方は秦氏)の計画で秦氏根拠地の山背(京都)に長岡京遷都、
その後種継は天武系シンパから暗殺されるが、藤原一族はこれを天武系
シンパ抹消に利用、保守派の万葉集の大伴家一族らも殺りく、天武系からもとの天智系に完全に戻す
(天武は天智と兄弟でなかった説がある、これで万世一系を再び確保?)
794 年、さらに秦氏に近い和気清麿(吉備の美作)らによる平安京遷都を強行、秦氏全国から人夫、資金提供

桓武+秦氏+和気清麿+藤原が1000年続く京都をつくる
秦氏については、伊勢神宮、八幡神社、お稲荷さん、山岳信仰、とか古い出雲系神社以外の多くの社建立に
関与、京都の開墾者として天皇家とも縁の深い松尾、上下賀茂神社、景教伝説のある広隆寺などを建立

幕末に再び、秦氏系の幕府要人(勝海舟ら)、勤王土佐(長曽我部系の庄屋同盟、後の勤王党、海援隊、陸援隊)
隼人(秦人説もあり)末裔薩摩、渡来系長州らが盛り上がっているのも面白いしね
庄屋同盟では決起文に、「秦臣下」と書いていたはず...
____
詳しくはスレ500番台あたり参照



要するに、BC722年にイスラエル王国がアッシリア帝国に滅ぼされて、
半世紀近く経過したBC660年に「神武天皇」カムヤマトイワレビコが
ユダヤ10支族の一つガド族の王に推戴されて、
その隷属状況から逃れるため未開の東方の地への脱出を決意して、
1000年の旅を続けて東の端の日本にようやく辿り着いて、
AD507年、「継体天皇」オオトが日本古来の正統王朝を滅ぼして
天皇の地位を乗っ取った、ということだろ。

「神武天皇」は確かに実在した。しかし、アジア西端の地でな。



「日本思想史のための一視点」
『新撰姓氏録』に、応神天皇のとき(199年、最近の学者は5世紀ごろと推定)シルクロ―ドの
都市・弓月[クンユエ]の国から秦氏に率いられた人たち約2万人が日本に移住してきた、と
記録されています。ケン・ジョセフは、「このクンユエの国は、アッシリア東方教会の
原始キリスト教(景教)国であり、秦氏に率いられて日本に渡来してきた約2万人の人たちは、
景教徒だった」というのです。
  (中略)
京都=平安京は、秦氏による土地とお金と人材の提供によって建設されました。
この平安京=平和の都はヘブライ語では「エルサレム」となり、ガリラヤ湖のアラム語読み
「キネレテ湖」のキネレテを直訳すると「琵琶」となるのだそうです。京都の「祇園」は、
「シオン」だったという説を立てる人もいます。その他さまざまな(例えば、聖徳太子が建てた
悲田院、光明皇后が建てた施薬院、などの事業~空海の定めた儀式や親鸞の思想、などへの)
景教の影響について書かれています。
http://www2.plala.or.jp/veni/murakami2001.5.5.htm

「八咫鏡と神の御名 」
http://www.google.co.jp/search?q=cache:m4YCPKnTOp8C:homepage3.nifty.com/possible/page/seisyozatsu/kodaiisrael/shinto/sanshu/kiji/yatanokagami.htm+%95%BD%88%C0%8B%9E%81%40%83G%83%8B%83T%83%8C%83%80&hl=ja

「仁徳天皇陵はなぜ発掘調査しないのか? 」
http://kaba.2ch.net/news2/kako/994/994671772.html 
の213あたりから日ユ同祖論が出てくる。


そういや日本書紀の聖徳太子記述は、17条憲法が詳細すぎる、しかもむちゃ同情的
しかも、秦氏の登場の仕方は異常。応神天皇が弓月王(渡来始祖、始皇帝15世)
の人民120県が新羅に邪魔され渡来できないと知り、百済に寵臣を送り、
3年をかけて招き、以来ことあるごとに雄略他、数名の天皇記に登場している。
初代大蔵卿になる秦大津父は継体の子、欽明天皇が幼少のおり夢にでてきて
「秦大津父というものを寵愛すれば、(貴方は)天下を治めるだろう」とまで
いわせ、大津父に「これもかって伊勢で2匹の血だらけで噛み合う狼をなだめ仲裁
したことの報い」だろうと、他の氏族にはない我田引水な記述。
太子パトロンの秦河勝にいたっては、有名な「太秦は神のなかでも神という評判」
という「常世の神」の歌をときの人民がつくったと、編集者による先祖自慢もいいとこ。
1000年の都、平安京をつくるために、当時唐(ペルシャ系)と繋がる藤原4家が西域出自の先祖
を、いかに権威化しようとしていたかが分かるね
(関係ないけど、太秦はウズマサ、大秦はローマ、シリア)


アジアで最初に教化された弓月国の原始キリスト教徒と景教は別もの。
誤解をあたえる。景教は唐の時代に一時期太宗?が帰依して国教になった
ぐらい大流行したローマから分離したアタナシウス派?じゃなかったけ。
同じ教義(ほぼイエスが提唱していた古代ユダヤ教回帰運動と同じ)で
東方教会でも時代が違う。すでに紀元前1世紀にはシルクロードには6日おきに
休息日のためのユダヤ教会がたち、シルク商人は中国から朝鮮半島にかけて移住し
居住地ももっていた。史記にも出てくるが、弓月に率いられた秦氏にシルク商人団
や軍事顧問団、巨大土木技術者団がいて、その思想を大和に持ち込んでいたと
考えるのは不自然ではない。応じん天皇のときに最初の集団移住があり、子供の
仁徳天皇陵の巨大化、養蚕など殖産移転、都市開発など秦氏によることは、入試に
でるぐらい有名。このテーマは、ある意味でユダヤ系チャイニーズや西域人が
シルクロードビジネスで京都ウズマサを終着地にしていた事実から眺めてみると
クリアできるのでは?
>>942
スレ違いどころか、核心部分と思われ


特に以下、日本ユダヤ文化同根の根拠として納得できる

伊勢神宮とユダヤ神殿の構造酷似
三種の神器のやた鏡の裏面の古代ヘブライ文字
神話系図の酷似、神官僧衣の酷似
祭、公的儀式の構造酷似
渡来秦氏の存在、天皇制、庸調税制や巨大土木、神道、文化経済への貢献度
(特に始祖を祭る太秦の大避神社の存在・大避は景教聖書の中国語でダビデ王のこと)


反論になってない
そもそも伊勢がもともとユダヤと同じ移動式神殿だったのを知ってる?
元伊勢は27箇所あるけど、大半は秦氏の拠点。カゴメマークは伊勢だけでなく
他の元伊勢にもみられる

>同時期に同じ国家事業として建てられた出雲大社が神殿と
 似ていない理由がわからない。
出雲は秦氏とは無関係、大和に駆逐された側です
秦氏は在来のアニミズムや神道も取り入れ、その確立拡大に注力してます
ここでいう渡来ユダヤ文化は中国、朝鮮文化とも融合したもの

>やた鏡の裏面の古代ヘブライ文字 そもそも証拠無し
アイデンバーグの本に戦前の研究者の模写が掲載されてる、森有礼、三笠宮の証言も有名

>>565、渡来人は皆ユダヤ人ですか。
誰もそんなことを言ってないと思うが
渡来人のなかの秦人の系譜である秦氏に限定されてる議論かと



>>956
六芒星の起源がインドだとしても、本来あの印がカッバ^ラの秘儀を象徴
してるのだから、カバラを教義にとりいれた宗教団においては、共通化するのは
当然で、古今東西不変ではないでしょうか
中世以降のユダヤがはじめて使用したとか、近代のイスラエルが云々は本件と
無関係でしょう。現在のユダヤよりも東方離散したエルサレム教団と秦人、秦氏との
関係が重要なだけです
まったく反論になっていない。
>>957
三笠宮が英字新聞にスッパ抜かれたので、一度周辺に否定したが、その後
東京タイムスオーナー他に「みたらやはりヘブライ文字のようなものがあった」
と伝えているという話が各種の本には載ってますが
アイデンバーグの本に掲載されてる模写は、一見ヘブライ文字のようですが、
神代文字のようでもあり、よくわからないというのが真相ですね
もちろん、それ自体がネタであっても別に否定論の根拠にはならないでしょうし



目が節穴ですか
古代日本のカゴメ印は、子孫と目される秦氏=原ユダヤキリスト思想の「カバラ」か
ソロモン神殿の「ダビデの紋章」から由来してると推定された
ロスチャイルド以降の白系ユダヤも古代に同様のルーツをもつ「カバラ」の六芒星を
モチーフにした。
時代はちがうが、文化的根源は同一。
気になるのは、ここの否定論者の大半は、民族的にいまの白系ユダヤと日本人ルーツが
同じであるか否か、という論議をしてないか? 肯定論者は誰もそんな前提にたってないぞ。
あと「シルクロードに拡散していったユダヤ文化が大和を執着地点にした」という
日ユ一般論を、なぜそうまでむきになって否定するのかナゾ。
皇室も容認してるいち文化歴史論でしかないと思うがね、普通。

NY外為:ドルが下落、消費者信頼感指数の低下で利下げ観測台頭 

http://www.bloomberg.com/apps/news?pid=90003009&sid=az6N8uPMDmpg&refer=jp_top_world_news
米の不動産バブル崩壊の後遺症が
此れだけ長引く様だと
中国や欧州の住宅バブルも懸念され
彼等の株も何れ売られると言う事に
成らぬのかどうかだが


4月ヤコブロスチャイルドが
東京ミッドタウン・リッツカールトンホテルに入り
4月米利下げと共に円キャリートレードは終了
米のイラン攻撃でホルムズ海峡封鎖
中国のバブル崩壊
この余波で北朝鮮・ロシア・他の反米産油国も崩壊して
日本とロスチャイルドが世界を握ると言う事に
成るのかどうかだが

ロスチャイルド系企業の玩具 

http://www24.big.or.jp/~uyotama/di/6506teikoku.html#0501
>さて、そうした時、一つの疑問が残る。ど
>う考えても、「子供の心」をより一番擽る
>ことのできる陣営は、ロスチャイルドの商
>品だ。
> ロスチャイルドが金をだして作った東京
>ディズニーランドは幼児が楽しめる、夢と
>幻想に満ちあふれた魔法の王国であるが、


>【児童虐待を受けた者こそ進化した存在と
>なる】

> 幼少期に精神的肉体的問わず、何らか
>損害を受けると、発育が止まるという身体
>現象がある。この原理を「ネオテニー化」
>と専門用語でいい、人類の進化にも深く関
>わっている。
> ヒマヤラ山脈以北を移動することによ
>り、マイナス40度近い極寒の劣悪な環境
>で育った新モンゴロイドは、凍傷を避ける
>ために手足を短くし、身長を縮めることで>生き延びることに成功した。その過程で肝
>機能が失われ、アルコールを摂取できなく
>なる進化を遂げてきた。
> こうして「子供化」することで、乳幼児
>がたった三年足らずで母国語の文法と単語
>を体得するがごとき知能の高さを手に入
>れ、変化する現実に伴う様々な困難を克服
>してきた。


>もしも、ロスチャイルド陣営の人間が統べ
>なく児童虐待をうけ、またはそれに準ずる
>精神的圧迫を受けた状態で生育を遂げてい
>た場合、相当数のネオテニー化が発現して
>いる可能性が高い。
> このためなのか、一度争いが生じたと
>き、勝利する回数が多い陣営はロスチャイ
>ルド側であり、資本の規模も、多くの場合
>にいおてロックフェラー側をロスチャイル
>ドは上回る。
> これは、関連する全ての法人にも言える
>ことである。

> その理由は全て、「ネオテニー化」して
>いる人間の含有率が高いからではないだろ
>うか。ネオテニー化しているからこそ、変
>化する為替の流れを予想でき、曖昧な幼児
>の心をつかみ取る音楽やアニメーションを
>創り上げることも可能なのではないだろう
>か。何故ならば、彼らもまた「子供自身」
>であるからだ。


>ロックフェラー系の創造物は「頭の固くな
>った大人がつくった範囲」を脱出しきれて
>いない。つまり、子供の時に満たされてい
>るので成人後に自我を容易に確立し、脳が
>成熟してしまっているのだろう。


http://www24.big.or.jp/~uyotama/di/6605teikoku.html
>話はずれるが、一般的に、ロスチャイルド
>財閥の関連企業は、世界的にも優勢を保つ
>上、非常に「子供っぽい」。ディズニー、
>トミー、その他全てにおいてネオテニー化
>した傾向を感じることが出来る。


ネオテニー化したロスチャイルドが
ガド族の末裔の同様に
ネオテニー化した日本と組んで
世界支配を目論むと言う事も
有る訳だろうか

百貨店再編加速 阪急・阪神が10月1日に経営統合 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070327-00000003-fsi-bus_all
まあ物流以外を余り共通化すると
独自のサービスや商品が
出難く成り
コストは下がっても同じ様な商品や
サービスばかりに成ると言う懸念も
有る訳だろうし
そう成らぬ努力が必要と言う
事だろうか

無農薬が可能なジャガイモ新品種=「さやあかね」、味は男爵以上-北見試験場 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070327-00000025-jij-soci
無農薬だと
虫に対抗する為のアレルギー物質が
大量に生成されて
此れが人体に入ると厄介と言う
意見も有るが
どうなのだろうか

映画「K-19」さながら、北極海での米英による軍事演習 

http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200703271634
2001年にタイアレスが
メルトダウン寸前迄行って居たとは
知らなかったが
潜水艦の原子炉の安全性と言うのは
どうなのかだが
排水が困難な場合も有るから
危険度は高いのだろうか

円キャリー取引、いずれ方向転換=前FRB議長 

http://www.asahi.com/business/reuters/RTR200703080024.html
此れは何時なのかだが
ヤコブ・ロスチャイルドが
3.30頃に東京ミッドタウンの
リッツカールトンホテルに入った後と言う事は
無いのかだが
ネオコンもグリーンスパンも
米ロックフェラー共和党を衰退させる為の
ロスチャイルドのスパイだったと言う事なのだろうか